日本剣道形
大日本帝国剣道形
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明治44年(1911年)7月、文部省は柔道・剣道を中等学校の正科に加えることを決定した。東京高等師範学校で開催された中等教員講習会において責任者の嘉納治五郎は、より統一的、普遍的な形の必要性を強調し、大日本武徳会は全国を東京、京都、近畿、東海、関東、東北、北陸、中国、四国、九州、台湾の11方面に分け、教士の人員に応じて各1名または2名の代表者を選出し、25名からなる調査委員会を発足させた。 委員 太字は主査 氏名称号流派府県根岸信五郎 範士 神道無念流 東京府 辻真平 範士 心形刀流 佐賀県 門奈正 教士 北辰一刀流 武徳会本部 内藤高治 教士 北辰一刀流 武徳会本部 高野佐三郎 教士 小野派一刀流 東京高師 柴江運八郎 範士 神道無念流 長崎県 真貝忠篤 範士 田宮流 東京府 和田傳 範士 新陰流 熊本県 湊辺邦治 教士 山口流 武徳会本部 木村敷秀 教士 直心影流 東京高師 太田弥龍 教士 直心影流 京都府 矢野勝治郎 教士 直心影流 京都府 柴田衛守 教士 鞍馬流 東京府 中山博道 教士 神道無念流 東京府 高橋赳太郎 教士 無外流、津田一伝流 近畿、兵庫県 田中厚 教士 北辰一刀流 東海、愛知県 小澤一郎 教士 北辰一刀流 関東、茨城県 星野仙蔵 教士 小野派一刀流 関東、埼玉県 小関教政 教士 無刀流 東北、山形県 上村信夫 教士 貫心流 北陸、新潟県 二宮久 教士 新陰流 中国、山口県 川崎善三郎 教士 無外流 四国、高知県 佐々木正宜 教士 水府流 九州、鹿児島県 浅野一摩 教士 津田一伝流 九州、福岡県 富山円 教士 直心影流 台湾 大日本武徳会剣術形を基として草案形の制作が始められたが、各流の意見を統一することは難航を極め、委員たちは自流の形を少しでも取り入れようとして、激しい議論となった。主査の一人高野佐三郎は懐に短刀を蔵し、自分の意見が容れられないときは、刺し違えて死ぬ覚悟で会議に臨んだという。 約1年間の討議を経て、大正元年(1912年)10月に太刀の形7本、小太刀の形3本の計10本で構成される「大日本帝国剣道形」が発表された。同時に、「他日もし改正を要する点を発見して、多数の輿論たるを認むるにいたらば、本会は再び調査会を開催するに吝かならざるべし」と表明された。 普及が進むにつれて、解釈に異同が生じたため、大正6年(1917年)に註が加えられた。さらに昭和8年(1933年)に増補加註された。
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