大和茶の歴史とは? わかりやすく解説

大和茶の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 11:49 UTC 版)

大和茶」の記事における「大和茶の歴史」の解説

公事根源によると、729年天平元年)、聖武天皇時代宮中衆僧召して大般若経』を読経させる季御読経制度始まり2日目衆僧賜る儀式を「引茶」または「行」と称したのが最初と言われている。当時は、砕いた団茶薬研挽いて粉末にし沸騰した釜の中に投じ盞に入れるもので、抹茶ではなかった。 『竈の賑ひ : 日用助食』は「大和國茶粥 大和國農家にても、一日四五度宛の茶粥食する也、聖武天皇御宇南都大佛建立の時、民家各かゆを食し米を喰のばして御造營御手傳ひをしたりしより、專らかゆを用る事と云傳ふ、奈良茶といへるは是より出た事とぞ」と、茶粥始まり奈良時代であると記している。 これらの記述後世書かれたもので実証性には乏しい。しかし、正倉院文書には、758年天平宝字2年)の「末醤、滓醤、酢、油、糯米大豆小豆漬菜青瓜茄子水葱、搗滑海藻(標出)」をはじめ、「」の文字見え奈良時代奈良の都存在したことは確かである。 大和茶のおこりについては、以下のように紹介されている。 「大和茶大同元年806年)に弘法大師が唐より帰朝の際種子持ちかえり、これを現在の宇陀市榛原赤埴に播種して、その製法伝えられました。またその際持ち帰った茶臼は赤埴の仏隆寺に現在も保存されおります茶の実もまた同境内に「の園」として保存されており、これが「大和茶」の初めとも言われおります。」 もっとも、波多野村住人吉田太郎兵衛江州信楽からチャの実を買い入れ、約70aに蒔いたともいわれている。奈良仏教史跡、寺院多く仏教との関係広まり一方ではヤマチャも諸所にあり、それなりに利用されとされる

※この「大和茶の歴史」の解説は、「大和茶」の解説の一部です。
「大和茶の歴史」を含む「大和茶」の記事については、「大和茶」の概要を参照ください。

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