多賀一との出会い - 独立とは? わかりやすく解説

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多賀一との出会い - 独立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 03:25 UTC 版)

尾形藤吉」の記事における「多賀一との出会い - 独立」の解説

1911年元旦藤吉菅野のもとを離れ明治天皇御召馬車御者として宮内省主馬寮勤め多賀一に専属騎手として抱えられることになった多賀御者かたわら新橋料亭経営し、やはり料亭経営次弟平岡広高末弟多賀半蔵共同で「Hクラブ」という名義用いて競走馬所有していた。Hクラブそれまで美馬孝之を専属としていたが、美馬当時チリからの招聘受けて離日する予定で、その後任として藤吉求められたものだった多賀との出会いにより、藤吉宮内省運営になる下総御料牧場、および御料匹敵する大牧場として数々名馬輩出する小岩井農場との間に、優先的な繋がり築いていくことになる。 藤吉はHクラブ所有する祐天寺厩舎移り5月末には目黒競馬場移籍後最初の開催迎えたが、新呼馬戦(新馬戦)での騎乗中に進路妨害受けてもろとも転倒し16日意識不明となる事態陥った覚醒後快方向かったが、多賀の妻が厄払いとして藤吉改名勧め姓名判断から藤吉は「景造」を名乗ることとなった以後この名前は太平洋戦争後に戸籍名での登録が義務けられるうになるまで使用された。 以後騎手として復帰し、Hクラブ所有馬アスベルトクホといった馬で成績挙げた。特にトクホ当時最大級牧場であった小岩井農場生産馬で、藤吉手掛けた最初小岩井であった。Hクラブ次弟広高所有馬だったが、同馬がデビューした1915年当時広高料亭花月」が経営難に陥っていたことから売却視野入れられていた。しかしトクホ当時の大競走である優勝内国産馬連合競走連合二哩)を制して賞金3000円を獲得し花月経営を救うことになったまた、藤吉は同競走で1番人気だったミツイワヰに騎乗していた重鎮北郷五郎これを機に親しく交わるようになり、のちにトクホを「名馬上の馬で福の神」と称えている。 翌1916年には多賀一の勧め主馬寮勤務する梶山甲造の娘・栄子結婚。約半年後、半蔵死去広高多忙化でHクラブ運営難しくなったことから、多賀一より独立勧められる藤吉北郷相談した後この提案を受け容れ、祐天寺厩舎譲り受け騎手調教師として独立した独立当初管理頭数は5~6頭であった藤吉独立後、目先の勝利よりもまず充実した厩舎下地作りに力を注いだ1918年には最初弟子となる美馬信次(Hクラブ専属だった孝之の弟)が入門同年藤吉はシンオーミフジに騎乗し最高級競走帝室御賞典春季阪神競馬倶楽部)に初優勝しているが、雨漏りする厩舎屋根葺き替えることができないほど財政面では苦しかった1923年7月1日馬券発売法的根拠与え新制競馬法施行され15年ぶりに馬券発売復活した翌年春の目黒開催では前年秋の優勝内国産馬連合競走制していたスターリング競走中の事故により死亡する不幸に見舞われたが、それに代わってチヱリーダッチェス、アストラル牝馬2頭が活躍し前者1924年春の帝室御賞典横浜)に優勝後者1927年秋の内外国産古馬競走帝室御賞典横浜)に優勝した。チヱリーダッチェスは抽せん馬アストラル購買1350円という安馬だった。大正末期から昭和初期にかけては、ほかにもフロラーカップクヰンフロラー、キングフロラー、アスベルカイモン、クヰンホークといった馬で大競走次々と制したまた、この頃には大久保亀治、岩佐宗五郎二本柳勇、古賀嘉蔵といった弟子達が騎手として成長し活躍はじめた

※この「多賀一との出会い - 独立」の解説は、「尾形藤吉」の解説の一部です。
「多賀一との出会い - 独立」を含む「尾形藤吉」の記事については、「尾形藤吉」の概要を参照ください。

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