古代ギリシアとアラビア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 18:54 UTC 版)
太陽や月までの距離を知る試みは古代ギリシア時代から行われてきたが、天上の単位と地上の単位とを結びつけることは容易ではなかった。太陽と月との距離の比を求めたアリスタルコスも、それらの日常の単位での値を得ていない。 プトレマイオス(トレミー)とパップスは、紀元前2世紀のギリシアのヒッパルコスが日食の見え方が各地で異なることを利用して地球の半径を基準とした月や太陽までの距離を見積もっていたことに言及している。ヒッパルコスが求めた太陽までの距離は地球半径の 490 倍以上というものであった(実際の値は約 23500 倍)。ヒッパルコスの著作そのものは現存しておらず、その具体的な算出方法は伝えられていないが、断片的言及から現在ではその巧妙な幾何学的方法がほぼ再構築されている。 やはりその著作は失われているが、クレオメデスによれば、ポセイドニオスも紀元前90年ごろに月と太陽までの距離を評価している。ポセイドニオスは地球の影を円柱だと考え、月食の影の大きさから月が地球の半分の直径をもつとした。さらに月の見かけの大きさと、知られていた地球の大きさから地上の単位で月までの距離を見積もった。その5百万スタディオンという値は、実際より 2.1 – 2.6 倍過大であった。これは地球の影を円錐だと考えず、月を実際のおよそ2倍の大きさだと見積もったことによる。一方で太陽までの距離の見積もりは根拠に乏しい推測的なものにとどまっている。 2世紀のプトレマイオスは『アルマゲスト』の中で、天球に囲まれた天動説にもとづく詳細な宇宙像を構築した。プトレマイオスはアリスタルコスやヒッパルコスの観測と幾何学的推論、さらに独自の推測をまじえて、太陽や月のみならず、惑星までの距離を見積もっている。そこでは例えば、月の平均距離が地球半径の 48 倍、太陽が 1210 倍、土星が 17026 倍などとされた。こうして確立された宇宙像はギリシアとヘレニズム文化を継承したアラビアへと伝わった。中でも9世紀の天文学者アル=バッターニーはプトレマイオスの宇宙像を詳細に研究し、太陽の平均距離が 1108 倍などとしている。これらの宇宙像はその後ヨーロッパへと伝わり、中世にかけて大きな権威をもつものとみなされることになった。
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