古代オリンピックとは? わかりやすく解説

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古代オリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 14:28 UTC 版)

古代オリンピックこだいオリンピック: Ancient Olympic Games)は、古代ギリシアエーリス地方、オリンピアで4年に1回行われた当時最大級の競技会であり、祭典である。ギリシア語ではオリュンピア大祭オリュンピア祭典競技とも呼ぶ。オリュンピアにはエーリスの祭神・ゼウスの神殿があった。本競技会・祭典は紀元前8世紀から紀元後4世紀にかけて行われたもので、ギリシア四大大会(後述)のひとつである。


注釈

  1. ^ 紀元前1世紀頃の製作と推定される古代ギリシアの天球儀「アンティキティラの歯車」には「オリンピック」(開催年=閏年)の文字が記されている。

出典

  1. ^ イリアス』第23歌「パトロクロスの葬送競技」における記述(ホメロス(松平千秋訳)『イリアス』(下)、岩波文庫、1993年、pp. 346-375)。
  2. ^ a b 真田久、宮下憲、嵯峨寿「アテネオリンピック 2004の文化的側面 (<特集 アテネオリンピック・パラリンピック>)」『体育科学系紀要』第28巻、筑波大学体育科学系、2005年3月、129-139頁、CRID 1050282677523573504hdl:2241/11385ISSN 038671292022年9月16日閲覧 
  3. ^ Young, David C. (2004). A Brief History of the Olympic Games. Blackwell Publishing. pp. 5-6. ISBN 978-1-4051-1130-0. https://is.muni.cz/el/1451/jaro2011/bk900/um/A_Brief_History_of_the_Olympic_Games__CuPpY_.pdf 
  4. ^ Wendy J. Raschke (15 Jun 1988). Archaeology Of The Olympics: The Olympics & Other Festivals In Antiquity. Univ of Wisconsin Press. pp. 22–. ISBN 978-0-299-11334-6. オリジナルの12 October 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131012003844/http://books.google.com/books?id=DwU1IlTEhrYC&pg=PA22 2012年8月12日閲覧。 
  5. ^ Young, David C. (2004). A Brief History of the Olympic Games. Blackwell Publishing. p. 6. ISBN 978-1-4051-1130-0. https://is.muni.cz/el/1451/jaro2011/bk900/um/A_Brief_History_of_the_Olympic_Games__CuPpY_.pdf 
  6. ^ Nelson, Max. (2006) "The First Olympic Games" in Gerald P. Schaus and Stephen R. Wenn, eds. Onward to the Olympics: Historical Perspectives on the Olympic Games (Waterloo), pp. 47–58
  7. ^ a b c フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 6』講談社、2004年。 
  8. ^ a b 澤田典子「古代マケドニア王国の建国神話をめぐって」『古代文化 / 古代学協会(58巻・3号)』、2006
  9. ^ 宮﨑亮『西洋史Ⅱ』法政大学
  10. ^ Υπουργείο Πολιτισμού και Αθλητισμού - Αφιερώματα”. odysseus.culture.gr. 2019年7月16日閲覧。
  11. ^ Υπουργείο Πολιτισμού και Αθλητισμού - Αφιερώματα”. web.archive.org (2015年4月28日). 2019年7月16日閲覧。



古代オリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 18:46 UTC 版)

戦車競走」の記事における「古代オリンピック」の解説

古代オリンピックをはじめとするギリシア規模開催され競技大祭では、4頭立て(テトリッポス)および2頭立て(シノリス)の戦車競走が行なわれた。両者の違いは馬の数だけである。戦車競走最初に古代オリンピックの競技加わったのは紀元前680年とされている(が、実際にオリンピックはじまりきっかけとなった競技である)。 レースはまず競技場競馬場ヒッポドローム)への行列から始められ伝令その間御者戦車持ち主オーナー)の名前を読み上げたオリンピア競技場長さ600ヤード、幅は約300ヤードあり、同時に60台までの戦車競技することができた(もっとも実際の競技ではそれよりもずっと少ない数で行なわれた)。競技場は丘の真下幅の広い川のたもとにあり、おそらく1万人の観衆収容可能だった。 テトリッポスは両端急な折り返し点の標柱がある競技場12周するもので、レース開始する際に下ろされるスタートゲート(ヒュスプレギス、単数形はヒュスプレクス)をはじめ、さまざまな機械装置用いられた。パウサニアスによれば、それらの装置建築家クレオイタスによって発明されたもので、外周にある戦車内周戦車よりも先に出走できるように位置ずらした構造となっていた。 レースは、外側戦車内側戦車よりも先にスタートしおおよそすべての戦車一列に並ぶ最終ゲート開いてはじめて実際開始となったレース開始は「」と「イルカ」と呼ばれる装置高く掲げられることで示され、これらの装置競技が進むと残り周回数を示すために降ろされた。これらはおそらくそれぞれの生物かたどった青銅彫刻で、スタートライン標柱設置されていた。 裸で行なっていた他のオリンピック競技とは異なり戦車競走御者たちは衣服まとっていた。これはおそらく馬や戦車巻き上げる粉塵や、流血をともなう事故から身を守るためという安全上の理由があったと考えられている。御者たちはキスティス呼ばれる衣を身に着けていた。これは足首までの長さがあり、ウエストの高い位置簡素なベルトをするものであった背中の上部で2本の革紐交差させることで、レースの間、キスティスが風をはらんでふくらむのを防いでいた。 現代競馬騎手同様に戦車競走御者たちには体重の軽い者が選ばれた。しかし同時に背の高さも必要とされたため、しばしば十代若者御者となった競技用いられ戦車は、戦闘用いられる戦車改造したのである戦車基本的に2つ車輪をもつ屋根のない木製カートで、この時代には既に戦争では用いられなくなっていた。御者定まった位置にその両足をおいたが、カートにはスプリングがなく直接車軸の上載っていたため、戦車ガタガタ揺れカート乗る者はその激し振動に耐えねばならなかった。 少なくとも観客にとって戦車競走の最もエキサイティングな部分は、競技場両端にあった折り返し点である。パトロクロスの葬送競技において、ネストル我が子対し勝負の鍵は折り返し点においていかに馬を操るかであると説いて、体を左に軽く傾け外側を走る馬の手綱を緩めながら、内側の馬には折り返し標柱ぎりぎり走らせるよう指示している。これらの折り返しは非常に危険で、ソポクレスの悲劇エレクトラ』で描写されているように、馬が暴れて玉突き衝突起きたり手綱さばき誤って標柱ぶつかったりする事故発生、しばしば命にかかわるほどであった折り返し点より前で競走相手転覆させられていない場合でも、このような事故巻き込まれる可能性はあった。故意競走相手向かって衝突仕掛けることはルール違反であったが、起きてしまってからはどうすることもできなかった(パトロクロスの葬送競技において、アンティロコスはまさにこのやり方メネラオス戦車壊した)し、偶発的にこのような事故起こりえた。 戦車競走スタディオン走ほど高い評価を受けるスポーツではなかったが、例えば非常に早い時期五輪競技から外れた競馬のようなそれ以外馬術競技比べると、より重要なものとして位置づけられていた。 ミケーネ時代には御者オーナーは同じ人物であり、それゆえ優勝した御者自身が賞を受けたしかしながら、汎ギリシア競技会時代までには、大抵のオーナー奴隷実際戦車制御をさせるようになり、御者ではなくオーナー優勝賞品受け取るようになっていた。 キュレネの王アルケシラオス彼の奴隷だった御者がそのレース唯一ゴールしたことにより、紀元前462年ピューティア大祭戦車競走優勝したペロポネソス戦争中の紀元前416年アテナイ将軍アルキビアデスは7台の戦車レース出走させ、1位と2位、4位となった。彼自身が7台すべての戦車乗るのは明らかに不可能である。マケドニア王国ピリッポス2世も彼がバルバロイではないことを証明するためにオリンピック戦車競走優勝した。もっとも、もし彼が自ら戦車御者となっていれば蛮族よりも下の身分の者と見なされたであろうしかしながら詩人ピンダロスは自ら戦車駆ったヘロドトス勇気を讃えている。なお、ピリッポス2世は自らのオリンピアにおける戦車競走優勝記念して金貨銀貨鋳造させた。これらはフィリッペイオイと呼ばれ戦車御者描いた図案広くヘレニズム世界普及した戦車オーナー勝者とするこのルールは、競技会参加したり、競技観戦したりすることすらできなかったという事実にもかかわらず女性レース勝利することが技術的に可能であることも意味していた。これはまれに起きたことであるが、最もよく知られた例はスパルタの王アルキダモス2世の娘、キュニスカであり、彼女は戦車競走2度勝利している。 戦車競走ギリシア人にとって競技会においてその富を誇示する場であり、非常に金のかかるものであったリュクルゴス都市に壁や神殿建設するほどにはこのスポーツ有益なものでないと批判している。アリストパネスはその戯曲』の中で、戦車競走夢中になり家の金を浪費する貴族趣味息子頭を悩ませる父親の姿を描いている。 戦車競走ギリシア世界における他の競技会でも行なわれアテナイ開催されたパンアテナイア競技会においては最も重要な競技であった。これらの競技会では4頭立て戦車競走優勝者にはオリーブ油が140アンフォラ与えられた。これは非常に高価な賞品であり、競技者がその競技人生用い切れないほどの量なのでその大半他の競技者売られたものと考えられる。 パンアテナイア競技会にはアポボタイもしくはアナボタイの名で知られる異な形式戦車競走存在した。これは御者戦車から飛び降りて一定の距離を戦車並んで走るというもの(アナボタイ)、そこからさらに再び戦車飛び乗るというもの(アポボタイ)である。これらのレースでは御者飛び降りて走る間、手綱を握るもう一人御者がいたが、もちろん、そのいずれの御者勝者とは見なされない御者戦車乗ってようがいまいが最初にゴールした戦車優勝となり、また事故にあった場合でも御者が自ら歩くことができるならば、徒歩ゴールライン達した場合勝利と見なされた

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古代オリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 09:55 UTC 版)

ゼウス」の記事における「古代オリンピック」の解説

オリュンピアゼウス主な神域であり、そこで4年1度開催される古代オリンピックはゼウス讃えるギリシア的な大祭であった。この開催期間中は、ギリシア人全員戦争止め、古代オリンピックに参加するためにオリュンピアへと向かったこの道中はゼウスによって守護されると考えられた。不正を決し行わないという宣誓をゼウス・ホルキオス(誓いゼウス)に捧げ選手たち各種目に分かれて競い合った。古代オリンピックで優勝した者は、神々から寵愛されている者、もしくは神々血を引く者とされ、祖国では大い賞賛された。現在は廃墟となってしまっているが、当時オリュンピアにあるゼウス神殿内部には12mを超える黄金象牙出来た巨大なゼウス像が聳え立っていたという。この巨大なゼウス像は世界の七不思議ひとつとしても有名である。 また、マケドニア王国にあるゼウス神域ディオンでも、オリュンピア祭開催された。主催者ヘーラクレース血筋を持つとされたマケドニア王家であり、これはオリュンピアの古代オリンピックに次いで盛況であった

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古代オリンピック

出典:『Wiktionary』 (2021/08/16 01:05 UTC 版)

名詞

古代 オリンピック (こだいおりんぴっく)

  1. 古代ギリシアオリュンピア紀元前9世紀から紀元後4世紀にかけて4年一度行われていたゼウス捧げる神聖競技会祭典。別名、オリュンピア大祭

「古代オリンピック」の例文・使い方・用例・文例

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