楚王が越の干将や呉の欧冶子に作らせた鉄製の宝剣の一つ《越絶書》。龍淵は「龍泉」、太阿は「泰阿」とも書く。
孫呉の時代、紫色の気が牛・斗の方面に現れ、占い師は呉国繁栄の兆しだと言っていたが、張華という人は納得できなかった。
呉が平定されたのち、その気はますます明るさを増した。張華は、雷孔章が瑞祥に精通していると聞いて、宿を求め、人払いして天文による将来の吉凶について訊ねてみた。雷孔章が「それ以外に現象がなく、ただ牛・斗方面に気があるだけならば、宝物の精気が天に昇ったのでしょう」と言うので、「この気は正始・嘉平(二四〇~二五〇)のころから今日でも続いておる。人々はみな孫氏に対する吉祥だと言ったが、吾だけはそうでないと思っておった。いま子(あなた)の言葉を伺ったところ、根底では吾と同じだ。いまどこの郡にあるだろうか?」と訊ねると、「予章の豊城県にございます」とのことであった。
張華はそこで雷孔章を豊城の県令に任じた。雷孔章が地面を二丈ほど掘ると、長さ八・九尺の玉飾りの付いた箱が出てきて、開けてみると二振りの剣が入っていた。一つは龍淵、もう一つが太阿である。その日の夕方、牛・斗の気はもう見えなくなった。
雷孔章は一方を留め置き、箱と龍淵とを(張華)に進呈した。剣が届けられ、張華が密室でそれを開けると、電気のはじけるように光が飛び交った。
のちに張華が殺害されたとき、この剣は(勝手に)襄城の川の中へ飛び込んだ。雷孔章は臨終のとき、剣をいつも自分で持っているようにと息子に遺言した。のちに息子は建安従事になったが、浅瀬を通りがかったとき、腰に帯びていた剣が突然躍り上がり、初めは剣そのものであったが、浅瀬の水に入るなり変化して龍になった。目を見張りつつそれを追いかけると、二匹の龍が寄り添って行くのが見えた。
雷孔章の曾孫雷穆之は今でも(曾)祖父と張華とがやりとりした手紙を持っているが、桑の根ですいた紙に古い形の字で書かれている《御覧引予章記》。