劍とは? わかりやすく解説

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Jian

ケン

周瑜

呉の赤烏年間二三八~二五一)、ある者が淮陰侯韓信の剣を発見した。帝はこれを周瑜下賜した《周瑜集解》。

周瑜建安年間すでに亡くなっていたことから、盧弼激しくこの説を批判する周瑜集解》。

曹操孟徳
建安二十年二一五)、曹操孟徳暗く深い谷間一振りの剣を手に入れた長さ三尺六寸、上に金色文字で「孟徳」との銘があった。曹操はいつもこれを帯びていた《古今刀剣録》。
孫亮流光
建興二年(二五三)、呉帝孫亮一振りの剣を鋳造させ、小篆書で「流光」と銘じた孫亮集解》。
張華龍淵
雷煥(太阿)

楚王が越の干将や呉の欧冶子に作らせた鉄製宝剣一つ越絶書》。龍淵は「龍泉」、太阿は「泰阿」とも書く。

孫呉時代紫色の気が牛・斗の方面現れ占い師呉国繁栄兆しと言っていたが、張華という人は納得できなかった。

呉が平定されたのち、その気はますます明るさ増した張華は、孔章が瑞祥精通していると聞いて、宿を求め人払いして天文による将来吉凶について訊ねてみた。孔章が「それ以外現象がなく、ただ牛・斗方面気があるけならば宝物精気が天に昇ったのでしょうと言うので、「この気は正始嘉平(二四〇~二五〇)のころから今日でも続いておる。人々はみな孫氏対す吉祥と言ったが、吾だけはそうでない思っておった。いま子(あなた)の言葉伺ったところ、根底では吾と同じだ。いまどこの郡にあるだろうか?」と訊ねると、「予章豊城県にございますとのことであった

張華はそこで孔章を豊城県令任じた孔章が地面を二丈ほど掘ると、長さ八・九尺の玉飾り付いた箱が出てきて、開けてみると二振りの剣が入っていた。一つ龍淵もう一つが太阿である。その日夕方、牛・斗の気はもう見えなくなった

孔章は一方留め置き、箱と龍淵とを(張華)に進呈した。剣が届けられ張華密室でそれを開けると、電気はじけるように光が飛び交った

のちに張華殺害されたとき、この剣は(勝手に襄城の川の中へ飛び込んだ孔章は臨終のとき、剣をいつも自分持っているようにと息子に遺言した。のちに息子建安従事になったが、浅瀬通りがかったとき、腰に帯びていた剣が突然躍り上がり初めは剣そのものであったが、浅瀬に入るなり変化してになった目を見張りつつそれを追いかけると、二匹の龍が寄り添って行くのが見えた

孔章の曾孫穆之は今でも(曾)祖父張華とがやりとりした手紙持っているが、の根ですいた紙に古い形の字で書かれている御覧予章記》。

劉禅
延煕二年(二三九)、蜀の後主劉禅は、長さ一丈二尺におよぶ一振り大剣製造し、それを剣口山に奉納して山の鎮めとした。往来する人には(剣が置かれた場所が)光り輝くのが見えたが、(蜀が滅亡して後世の人がそれを探して見付けられなかった《後主集解》。
劉備
章武元年二二一)、蜀主劉備金牛山から採取し、八振りの剣を鋳造した長さそれぞれ三尺六寸一つ劉備自身帯び一つ太子劉禅与え一つ梁王劉理与え一つ魯王劉永与え一つ諸葛亮与え一つ関羽与え一つ張飛与え一つ趙雲与えた。のち唐の時代尚書郎方古という者が諸葛亮所持のこの剣を手に入れ、名を李章武改めた先主集解古今刀剣録》。




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