初期のサンプラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 08:42 UTC 版)
フェアライトCMIやシンクラヴィアといった楽器は、サンプラーよりは音声合成装置とでもいうべきものであった。しかも、重量物で可搬性が無く、動作も不安定な代物でとても楽器としての常時使用に耐え得る物ではなく、増してやステージ上での使用などは到底無理な話であった。また価格はもとより運用コスト面でも極めて高く、それらを総合的に勘案すれば、それこそ「ちょっとした1戸建て住宅が買える」などと表現された程の経済力が必要となるものであり、音の個性や先進性は大きな魅力でも、メジャーシーンのミュージシャンでさえ個人レベルでおいそれと手を出せる様な代物ではなかった。 この状況を覆したのが、Emulator(イミュレーター)の登場である。当時の価格で300万円以上したが、前出の2台と比べれば圧倒的に安く、しかも操作は簡略化されていてミュージシャン達から支持を得た。競合各社もサンプリングシンセサイザーを発売するが、Emulatorが売れた原因は、楽器の録音済みデータを販売したことに寄るところが大きい。 他方で、日本ではシンセ・プログラマーの先駆けである松武秀樹が1983年当時、国産初と思われるデジタル・サンプラーをスタジオで使用していた。LMD-649というそれは当時「PCM録音機」と呼ばれた、いわばハンドメイドのマシンであった。サイズは一般家庭向けのステレオのプリアンプ程度の大きさで、サンプルタイムは1.2秒程度。音源素材は6 mmのテープに保管しており、ローランドのシーケンサーMC-4によるGATE信号、またはトリガー信号で音を出す事ができた。ただし、サンプルデータの保存は出来ず、電源を切るとデータは消滅した。そのため、ステージ上でも使用されたが現在とは比べ物にならないほどの手間が伴うものであった。 実は、この当時のメモリーチップは極めて高額なパーツであり、これを節約するためには録音データを荒くするしかなかった。つまり、音が悪く短かったのである。データ量を減らしながらも原音に近づけるべく、様々な工夫が試みられた。サンプラーの場合は、各音程毎のデータはなくとも、データの読み出しスピードで音程を付けることは可能である。そのため、全音階の録音データを用意するのではなく、ある間隔をおいてデータを用意し、他の音程は読み出しスピードを変化させることで補完した。また、1つの音を時間軸で、アタック部分、ロングトーン部分、減衰部分に分け、ロングトーン部分は繰り返しの読み出しでデータ量を減らしていった。これらの工夫があっても、発売当時の技術では高速処理に限界があったので、どうしたところで原音とは似ていない音が出ることが多いのは仕方がなかった。 しかし、レコードなどの音としては、意表をついたタイミングで使われることも多く、一時的に多用された時期がある。例えば、フェアライトCMIを使用したいわゆるオーケストラル・ヒットなどは、最先端の「音」として当時のレコードには多く収録されている。また、全編をサンプリングで録音したアート・オブ・ノイズのビートボックスは画期的な音楽で、これらは、サンプラーの弱点を逆手にとってヒットした例である。 他に、シンセサイザーでは合成の難しい自然音のサンプリングや、既存の楽曲などを1拍節から数小節単位でサンプリングしたものを、シーケンサーと組み合わせて繰り返すことで、新たなリズムトラックやリフの一部または全部をサンプラーに演奏させてしまうといった方法も用いられる。楽器ではないが、人間の声をサンプリングし、効果的に使われた例として、ポール・ハードキャッスルの「19(Nineteen )」などが挙げられる。
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