初期のシリンダー式装置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 22:02 UTC 版)
「キネトスコープ」の記事における「初期のシリンダー式装置」の解説
1888年2月25日、連続写真の技法を開拓した写真家エドワード・マイブリッジが、ニュージャージー州オレンジ近郊でズープラキシスコープ(英語版)を用いた講演を行った。ズープラキシスコープは連続写真を元にした絵を描いたガラスの円盤を高速回転してスクリーンに投影し、静止画が一つの動きに見えるようにする装置である。その2日後、マイブリッジはウエスト・オレンジ(英語版)にあるエジソンの研究所でエジソンと会談し、彼が発明したフォノグラフ(蝋管式蓄音機)とズープラキシスコープを連結して、映像と音声を同期させることを提案したが、実現には至らなかった。映画史家のチャールズ・マッサー(英語版)によると、マイブリッジとの出会いが「エジソンにとって映画発明の最初のひらめきとなったかもしれない」という。同年10月8日、エジソンはキネトスコープに関する最初の特許保護願を提出した。エジソンはこの文書で、映像を記録する装置を「キネトグラフ」、再生する装置を「キネトスコープ」と名付けている。保護願の原稿の冒頭には、以下の内容が記述されている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}私はフォノグラフが耳に与えるのと同じことを目に与える装置を実験している。それは動いているものを記録し再現するものであり、安価で便利な形をとっている。 エジソンの最初のアイデアは、フォノグラフの技術的原理を応用したシリンダー式で、幅1/32インチ(約0.8ミリ)の写真をシリンダーに螺旋状に配置し、回転するシリンダーがレンズを通過する時にシャッターが開閉するカメラで撮影するというものだった。ポジ画像用の不透明な素材またはネガ画像用のガラスで作られたシリンダーは、写真感光剤としてコロジオンが全体を覆うように塗布された。撮影された一連の画像は顕微鏡のような鑑賞装置で覗いて見るという仕組みで、エジソンはフォノグラフの音を聞きながら動く映像を見ることができるとし、非常に大きいシリンダーを使えばスクリーンに映写することもできると考えていた。しかし、得られる画像は小さく、シリンダーの表面が曲面のため焦点もうまく合わないなどの問題が生じた。1889年2月、エジソンは平らな表面を持つシリンダーを導入した2度目の特許保護願を提出した。 同年6月、エジソン研究所の従業員ウィリアム・K・L・ディクソンが映画装置の開発に配属された。ディクソンの助手にはチャールズ・A・ブラウンが就いた。エジソンは映画装置のアイデアを考案して実験を始めたが、その開発作業はディクソンを中心とするエジソン研究所の従業員によるチームで行われ、現代の研究家のほとんどはディクソンが開発の大きな貢献者としている。マッサーは、エジソンの映画の発明はエジソンとディクスンの異なる資質が協力し合った結果であり、エジソンは最初のアイデアを発展させ、その基本原理に基づいてディクスンが改良を進めたとしている。 同年初夏に書かれた3度目の特許保護願では、これまでのシリンダーの表面に感光乳剤を直接塗る方法ではなく、ガラスのシリンダーに写真フィルムを覆う方法が記述された。ディクソンはジョン・カーバット(英語版)のキーストン・ドライ・プレート・ワークス社が製造したセルロイドの写真フィルムのシートを使用し、幅が約1/4インチ(約6ミリ)のより大きな画像を採用した。この写真フィルムを使うシリンダー式キネトグラフで実験的に撮影したのが『モンキーシャインズ』である。この作品は3本の映像が残されており、いずれも黒地の背景に白い衣装を着た従業員が大きく身振りをする姿が記録されている。撮影時期については1889年6月説と1890年11月説があり、未だにこの議論は決着していない。
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