出港と偽装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 09:17 UTC 版)
「ドナルド・クローハースト」の記事における「出港と偽装」の解説
クローハーストがデヴォン州テインマスから出港したのは、レースの出港期限である1968年10月31日であった。出港してからまもなく、船や機材に加えて、クローハーストの外洋におけるセーリングの技術や経験の欠如といった多種多様な問題が表面化しはじめた。最初の数週間、クローハーストは当初予定していた航程の半分以下の距離しか航海を行うことができなかった。最良のコースを航海している間であっても、操船の難しいトリマランで最高速度に近い速度を出すほどの技量をクローハーストは持ち合わせていなかったのである。航海日誌によれば、彼はこの航海を無事に終えられる可能性は五分五分であると考えていた。しかもそれは、自作のさまざまな船舶用安全装置を危険な南極海に到達するまでに完成させた前提でのものであった。しかしそれらの機器は、結局完成させることができず、使い物にならない状態だった。このようにクローハーストは、レースをリタイアし経済的破滅と恥辱に直面するか、それとも航海に適さない期待外れの船に乗ってほぼ確実な死へ向かっていくかの二択に迫られた。1968年11月から12月の間、状況は全く望みのないままで、クローハーストを手の込んだ偽装へと追い詰めていった。ほかのレース参加者が南極海を航行している数か月の間、クローハーストは自身のヨットの無線設備の電源を落とし、南大西洋周辺で時間を潰すことにした。その間、クローハーストは航海日誌の捏造を行い、何食わぬ顔でイングランドへ戻ろうと考えていた。最終到達者であれば、ほかの達成者たちと同様の航海日誌の精査は行われないとクローハーストは推測していたのである。 出港以来、クローハーストは位置情報を故意に曖昧なものにして無線で報告し続けていた。1968年12月6日からは、クローハーストは曖昧ながら虚偽の位置情報を報告し、航海日誌をおそらく捏造し始めた。12月初めに、クローハーストからの無線通信で1日に243マイル(約391キロメートル)もの距離を航行したとの報告があった。1日に243マイルもの距離を航行したというのは、真実であれば当時の世界新記録であった。その後もクローハーストは、記録的なスピードで航海が進んでいると報告を続けていた。このような偽装された報告をもとに、クローハーストには、まるでこのレースの勝者であるかのように世界中から声援が寄せられている。しかしその一方で、フランシス・チチェスターはクローハーストの航海報告の信憑性に疑念を表明している。さらに1969年1月以降はかなり多くの航海が無線不通という状況で行われるようになったため、クローハーストの位置は彼が当初に報告していたものを下敷きに推測されていた。実際のクローハーストの航海は、南極海へ向かうというよりも南大西洋を迷走しているというべき航程をたどっており、無寄港というルールに反して、船の修理のために1969年3月には南アメリカ・アルゼンチンに寄港している。 レースの参加者の1人であるモワテシエは、1969年2月初めに南アメリカ大陸の先端部(ホーン岬沖)を回って大西洋に入ったが、レースを途中で放棄しタヒチに向かって航海を続けると決断した。このとき、モワテシエは大会本部に対して「金や名誉のためにやっているのではない」という旨を伝えたとされる。1969年4月22日、ロビン・ノックス=ジョンストンがイングランドへと帰還し、このレースの最初の達成者となった。ノックス=ジョンストンの航海日数記録は313日であった。実際にはレースを離脱していたクローハーストは、次点でイングランドに向かっているテトリーと2着を争っていると推定された。加えて、クローハーストの出航日が遅かったことから、まだノックス=ジョンストンの記録を超える可能性は残されていた。同月にはクローハーストとの無線通信が再開され、ゴール到着が近いとの報告がなされていた。しかし、テトリーはクローハーストのはるか先を航海しており、クローハーストが潜伏していた場所から約150海里(約278キロメートル)も離れた場所を航行していた。しかし、テトリーはクローハーストと互角の勝負をしていると信じていた。テトリーはクローハーストと同じく40フィート(約12メートル)のパイヴァーが設計したトリマランを操船していたが、5月20日にゴールまで約800マイル(約1,288キロメートル)の位置で船体が崩壊し、沈没。レースを放棄せざるを得なくなった。テトリーがレースを棄権したことで、クローハーストの「航海日数」がノックス=ジョンストンを上回ることが確実となったことから、クローハーストにのしかかる重圧はさらに大きなものとなっていった。もしクローハーストがもっとも早く世界一周を成し遂げた場合、航海報告に疑念を抱いている熟練したセーラーたちによって航海日誌が詳細に調査されることになったと考えられる。そして、その偽装はおそらく白日の下に曝されたであろう。それにクローハーストは、世界一周一歩手前まで正真正銘の航海を行ったテトリーの業績に傷をつけてしまうことに罪悪感を持つようになっていった。また、このころからクローハーストは、ホーン岬を回ってイギリスへ帰還する航路に沿って航海しはじめている。 その後、クローハーストからの無線通信は6月29日のものが、航海日誌は7月1日付の記述が最後となった。そして、クローハーストのヨット、テインマス・エレクトロンは7月10日に無人で漂流しているところを発見された。
※この「出港と偽装」の解説は、「ドナルド・クローハースト」の解説の一部です。
「出港と偽装」を含む「ドナルド・クローハースト」の記事については、「ドナルド・クローハースト」の概要を参照ください。
- 出港と偽装のページへのリンク