元協力隊員の吉岡逸夫の論
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「青年海外協力隊堕落論」の記事における「元協力隊員の吉岡逸夫の論」の解説
石橋の『青年海外協力隊の虚像』が出版された後、元青年海外協力隊員である吉岡逸夫が、『青年海外協力隊の正体』を出版した。内容は、「ボリビアの協力隊員の活動」、「パラグアイの日系移民」、「協力隊として派遣されたエチオピアでの活動から帰国後までの自分の行動と心情」から協力隊とボランティア精神について語ったものである。 この書の「プロローグ」で石橋慶子が寄稿した『新潮45』1994年(平成6年)6月号の誌上に『あえて書く青年海外協力隊堕落論』を4ページ分にわたり引用。一方で、作文コンクールに応募された千葉県木更津市の中学三年生の書いた作文「テレビ番組で見たルワンダで活動する看護師の協力隊の姿に感激し、将来、看護師になり協力隊に参加することを夢見て勉強をしている」という内容を紹介し、石橋の記事と対比させた。 また「あとがき」の項で吉岡逸夫は、石橋慶子の著書を読んだこと、また石橋へのインタビューを手紙で申し込んだことを明らかにした。石橋からは以下の内容の返信を受け取ったことを記している。 お手紙いただいてから、気にしておりました。でも、あえてご連絡はさしあげませんでした。百の言葉を語るよりも一冊の書物の方がいい(話し言葉よりも書き言葉)と思ったからです。私が話すべきこと、話せることは、すべて書いてあると思います。 — 青年海外協力隊の正体 また吉岡は、『あとがき』で、この著書の『まえがき』で示した中学生の作文と石橋の厳しい批判の対比について「二つの文章の根っこには、同じ精神が宿っているのではないか」とし、その上で石橋慶子の論旨に対して「内容についてはとやかく言うことはない」と反論を放棄。その上で、石橋慶子について「石橋さんは、(中略)協力隊に対する美しいイメージを描いていたに違いない。それが現実を前に失望し、落胆し、恨みに似た感情さえ抱くようになったのではないか。その意味では、石橋さんは、(中略)純粋な気持ちの持ち主ではなかったか。純粋であるが故に、その反動も激しい。そんな気がしてならない」と評した。 ただし、吉岡が自ら『あとがき』で書いているように「最後に、この作品を書くにあたって大きな問題点があった。それは、私が、青年海外協力隊機関誌『クロスロード』の編集評議委員であるという立場をどうするかという問題だ」「(批判されることを承知の上で)あえて私は、その身分を持ったまま出版することにした。(そして著書の中に、)私自身を登場させた」と述べている。吉岡自身が、青年海外協力隊の経験者である。そして協力隊の活動後しばらくしてから、協力隊の就職支援窓口の斡旋により中日新聞に就職した経歴を持つ。また、この本の出版時には青年海外協力隊機関誌『クロスロード』の編集評議委員であり、その後青年海外協力協会の理事も務めている。さらに、この後に発生する在ペルー日本大使公邸占拠事件の時のペルー大使であった青木盛久が後書きを寄せている。青木盛久は1990年(平成2年)から1993年(平成5年)まで青年海外協力隊事務局長を務め、外務省退官後、JICAの理事を務めた経歴も持つ。その中で青木は、吉岡逸夫のジャーナリストとしての過去の著書を無批判に賞賛し、協力隊事業は日本の国際協力の中で最も素晴らしい事業だと述べている。
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