ゆうせいほご‐ほう〔イウセイホゴハフ〕【優生保護法】
優生保護法
優生保護法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 05:18 UTC 版)
1948年(昭和23年)に制定された優生保護法では、遺伝性疾患だけでなく、ハンセン氏病や「遺伝性以外の精神病、精神薄弱」を持つ患者に対する断種が定められた。優生保護法に基づく強制的な優生手術は、1949年(昭和24年)から1994年(平成6年)の間に1万6千件に及んだ。断種は男性にも女性にも行われたが、このうち7割は女性の断種であった。同意に基づく優生手術は80万件以上であった。優生保護法第三条では、以下の場合本人及び配偶者の同意を得て医師が優生手術を行えるとしていた。 本人又は配偶者が精神病、精神薄弱、遺伝性精神病質、遺伝性疾患又は遺伝性奇形を有する場合 本人又は配偶者の4親等以内の血族関係にある者が、精神病、精神薄弱、遺伝性精神病質、遺伝性疾患又は遺伝性奇形を有する場合 本人又は配偶者がらい疾患(ハンセン病)に罹っているもの 妊娠又は分娩が母体の生命に危険を及ぼすおそれのあるもの 数人の子を有し、分娩ごとに母体の健康度を著しく低下するおそれのあるもの ハンセン氏病患者に対する優生手術は1915年(大正4年)に始まり、後に優生保護法で法律的背景を得た。ハンセン氏病患者はらい予防法で強制隔離され、療養所では妊娠した女性の妊娠中絶を実施し、また断種を結婚の条件としていた。中には医師の手によらず、看護師の手で手術されたこともあった。公表されただけでも男性2300人以上、女性1252人が断種をうけた。これらは「本人及び配偶者の同意」を得ていることにはなっているが、強制隔離された環境での同意がどれほど有効なものか問題になった。
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優生保護法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 20:47 UTC 版)
戦後も優生学の動きは残り、戦後の混乱期の人口抑制を目的として優生保護法が1948年(昭和23年)に全会一致で成立した。 日本社会党は福田昌子、加藤シヅエ、太田典礼を中心に1947年(昭和22年)「優生保護考案」を第2回国会に上程したが、GHQとの折衝に時間をとられ、国会で十分な審議がなされないまま廃案となった。 ついで後に日本医師会会長になる民主党の谷口弥三郎参議院議員を中心とした超党派による議員立法で優生保護法(1948年・昭和23年)が提案・採択された。 優生保護法は優生学的見地からの強制断種が強化される原因になったことでも特筆される。当時必須とされた日本の人口抑制による民族の逆淘汰を回避することを提案理由として、子孫を残すことが不適切とされる者に対する強制性を増加させたものとなった。 同法は、らい予防法でハンセン病を新たに断種対象としたほか、1952年(昭和27年)の改正の際、新たに遺伝性疾患以外に、精神病(精神障害)、精神薄弱(知的障害)も断種対象とした。1952年(昭和27年)から1961年(昭和36年)の間の医師申請の断種手術件数は約1万6,000人に行なわれた。またあわせて遺伝性疾患による中絶も年に数千件あった。強制不妊手術の実施数は次第に減少し、1980年代にはほとんど行われなくなった。1996年(平成8年)に優生条項を削除する法改正がなされ、名称も母体保護法と変更された。
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