谷口弥三郎
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谷口 弥三郎(たにぐち やさぶろう、1883年(明治16年)8月13日 - 1963年(昭和36年)8月19日)は、日本の政治家、産婦人科医師、医学者。熊本県立医学専門学校(現熊本大学)教授、久留米大学長。日本医師会会長、参議院議員(3期)。「不良な子孫の出生を防止する」として、太田典礼、加藤シヅエに一時提携をもちかけながらその影響を排除しつつ、福田昌子らと共に優生保護法の成立に深く関わった。また、熊本県におけるハンセン病患者隔離政策の中心人物である[1]。
- ^ a b 第3回検証委員会 2011.
- ^ 横山尊『日本が優生社会になるまで』勁草書房、2015年(8章)
- ^ 荒木精之『谷口弥三郎伝』谷口弥三郎伝記編集委員会、1964年、282ページ
- ^ 山本 2016, p. 14.
- ^ a b 「優生保護法」の制定.
- ^ 森岡 1998.
- ^ 参議院厚生委員会13号 昭和23年06月19日
- ^ 参議院本会議26号 昭和24年05月13日
- ^ 『日本医師会通史』p18,p33、日本医師会公式webページ、2009年2月27日閲覧
- ^ 「久留米大学歴代理事長・学長」、久留米大学公式webページ、2009年2月27日閲覧
- ^ 『官報』第11005号11頁 昭和38年11月18日号
- ^ 「谷口長雄」『愛媛県史 人物』愛媛県史編纂委員会、1989年、397頁。
- 1 谷口弥三郎とは
- 2 谷口弥三郎の概要
- 3 参考文献
- 4 関連書籍
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