予見者たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 14:25 UTC 版)
20世紀における「新古典主義音楽」を準備した作曲家は3人いる。一人はフェルッチョ・ブゾーニ、もう一人は最晩年のクロード・ドビュッシー、そしてもう一人はマックス・レーガーである。 ブゾーニは、同時代の動向からロマン派音楽の終焉を予見し、そのうえで「モーツァルトへの回帰」「バッハへの回帰」を呼びかけている。ブゾーニは、歴史主義的立場に立ってロマンティックに過去を回顧したのではなく、19世紀末のロマン派音楽は動脈硬化を起こしかけてもはや袋小路に入っており、それを脱するには若返りが必要だとの認識に立っていた。したがって、古典派音楽以前に倣って、感情から超然とした、どちらかといえば形式主義的な音楽づくりに取り組むこと、苦悩や絶望の表現ではなく、愉悦感の表現を取り戻すことが重要であるとされ、ブゾーニ自身その主張に従って、ディヴェルティメントやセレナード的な性格の器楽曲を量産した。また、番号オペラへの復帰やオペラ・ブッファの作曲も、その主張と関係があった。ブゾーニは、亡くなる前にも新古典主義音楽の理念を自ら擁護している。 ドビュッシーは意識的な、あるいは理論的な新古典主義者ではなかった。しかし、しばしばラモーやクープランを称揚し、またモーツァルトへの愛情を語るなど、音楽家として古典的なものへの憧れを持っており、それが表現の節度を目指すという姿勢につながっていた。またピアノ曲では、早くからバロック舞曲やトッカータ的な書法を採用している。とりわけ注目すべきは、最晩年の3つのソナタ(チェロソナタ、フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ、ヴァイオリンソナタ)である。それまでのように詩的な題名に頼らず、抽象的に作品を構成しようとしている姿勢は、戦後の新たな動向を十分に予告するものとなっている。 レーガーは基本的にはロマン主義者であり、ドビュッシーと同じく自らの作風を理論武装していたわけではない。重厚で入り組んだテクスチュアは、後期ロマン派音楽の典型とさえ言いうる。しかし、同時代の情感過多を排除した、超然とした表現や機械的・形式主義的な楽曲構成は、ブゾーニの主張を別の側面から実現するものでもあった。レーガーはその意味において、ブラームスからヒンデミットに橋渡しする作曲家であったと言える。ちなみにヒンデミットは、レーガーのみならずドビュッシーからも影響を受けていた。
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