予想外の結末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/14 06:49 UTC 版)
「1974-1975シーズンのNBA」の記事における「予想外の結末」の解説
1960年代前半のゴールデンステート・ウォリアーズ(当時はフィラデルフィア・ウォリアーズ)は稀代のセンターウィルト・チェンバレンに率いられ、リーグ有数の強豪チームとしてボストン・セルティックスと覇を競った。1965年にチェンバレンが去って以降はネイト・サーモンドがチェンバレンに代わるエースセンターとしてチームの中心を担い、1967年にはファイナルに進出(チェンバレン率いるフィラデルフィア・76ersに敗れる)、以後も中堅チームとしての地位を守り続けたが、リーグはミルウォーキー・バックスなどの新興チームが幅を利かせるようになり、ウォリアーズは上位争いからは程遠い位置に居た。 シーズン前、ウォリアーズは決断を下した。すでに30歳を過ぎ、成績が下降し始めたネイト・サーモンドをシカゴ・ブルズにトレードに出したのである。トレード内容はウォリアーズのサーモンドに対し、ブルズからはセンターのクリフォード・レイと将来のドラフト1巡目指名権、現金50万ドルだった。チームのスターを出してまでウォリアーズが欲したのは決してクリフォード・レイではなく、あくまで現金だった。つまりウォリアーズはチームの再建に入ったのであり、このトレードに周囲はウォリアーズのプレーオフ出場はないだろうと予想していた。しかしウォリアーズはチームにとっても予想外の健闘を見せ、1972年からウォリアーズに加わったリック・バリー、新人王を獲得したジャマール・ウィルクスらが中心を担い、またクリフォード・レイもトレード時の予想を上回る貢献を見せ、48勝を記録してデビジョン優勝を果たした。 この年のプレーオフは60勝を達成したボストン・セルティックスとワシントン・ブレッツのイースタン2強に注目が集まった。ウエスタンには50勝以上達成したチームはおらず、そのためセルティックス対ブレッツのイースタン・カンファレンス決勝は、事実上のファイナルと言われた。シリーズは4勝2敗でエルヴィン・ヘイズ、エルヴィン・ヘイズ、ウェス・アンセルドらを擁するワシントン・ブレッツが勝利し、4年ぶりにファイナルに進出した。一方のウエストからはカンファレンス決勝でシカゴ・ブルズを第7戦の末に破ったゴールデンステート・ウォリアーズが勝ちあがってきた。ブレッツはK.C.ジョーンズ、ウォリアーズはアル・アットルスがそれぞれヘッドコーチを務めており、このファイナルはアメリカメジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチ同士の対決となった。 レギュラーシーズン60勝対48勝のチーム同士の対決であるため、ファイナルの行方は明らかであるように思えた。しかしファイナルは意外な所から横槍が入った。ウォリアーズのホームアリーナであるオークランドアリーナがファイナル期間中に使用できず、試合はサンフランシスコのカウ・パレスで開催されることになった。ブレッツのメンバーはこのカウ・パレスで一度もプレイしたことがなく、そしてウォリアーズのエース、リック・バリーにとってはサンフランシスコ・ウォリアーズ時代からの相性の良い場所だった。さらに通常のファイナルは2-2-1-1-1フォーマットで行われるが、スケジュールの都合上第1戦をブレッツのホームコートで行う1-2-2-1-1フォーマットに変更された。このフォーマットはファイナルを自らのホームコートで始めたいブレッツの希望で決められたのだが、第2戦、第3戦を続けて敵地ウォリアーズのホームコートで戦うことがブレッツにとっては仇となった。ブレッツはレギュラーシーズンの成績で遥かに下回るウォリアーズに、まさかの4戦全敗のスイープ負けを喫するのである。 ブレッツの誤算は大事な第1戦を落としたことにあった。シカゴ・ブルズとのカンファレンス決勝を第7戦まで戦い、疲労困憊にあるはずのウォリアーズは前半で14点のリードを奪った。ブレッツは後半に懸命な巻き返しを見せたが、レギュラーシーズンの平均出場時間が15分に満たないフィル・スミスが31分の出場で20得点を記録する活躍などで、101-95でウォリアーズが勝利した。初戦を躓いたブレッツは、建て直しの機会を与えられないまま敵地サンフランシスコでの2連戦へと突入するのである。 カウ・パレスでの第2戦ではリック・バリーが36得点を記録して92-91でウォリアーズが2連勝を飾る。さらに第3戦でもバリーは38得点を記録し、ウォリアーズはあっという間の3連勝で優勝に王手を掛けてしまった。ウォリアーズの快進撃を支えるのはここまで平均35得点のリック・バリーの活躍のほかに、ジャマール・ウィルクスのウェス・アンセルドに対する好ディフェンスもあった。スモールフォワードであるウィルクスはセンターのアンセルドをこの3試合で計29得点に抑えていた。さらにブレッツを圧倒したのがウォリアーズのベンチ陣であった。この3試合でブレッツのベンチ総得点53得点に対し、ウォリアーズは115得点だった。 後が無くなったブレッツは長く辛いロード2連戦を終えて、ようやくホームのワシントンD.C.に戻った。巻き返しを図りたいブレッツは第4戦の序盤に14点のリードを奪うことに成功した。そしてブレッツのK.C.ジョーンズHCはリック・バリーを止めるべくマイク・リオーダンに徹底マークを命じた。リオーダンは非常に激しいディフェンスでバリーに当たった。そしてリオーダンは第1Qの中盤にドライブしたバリーに後ろから激しいファウルを犯した。すでに多くのストレスを溜めていたバリーはリオーダンを押し返した。一気に緊迫したコート上の2人の間に割って入ったのは、ウォリアーズのアル・アットルスHCだった。あろうことかアットルスはバリーを宥めるどころか、自らリオーダンに食って掛かったのである。当然アットルスは退場を言い渡されたが、しかしアットルスの行為でリック・バリーの退場という最悪の事態は避けられた。アットルスが故意に騒ぎを起こしたかは定かではないが、その後ウォリアーズはバリーの活躍で逆転を果たし、バリーは大ブーイングが鳴り響くアリーナの中で最後のフリースローを決め、96-95でウォリアーズが勝利し、19年ぶり3度目の優勝を決めた。ファイナルMVPにはリック・バリーが選ばれた。 表 話 編 歴 ゴールデンステート・ウォリアーズ 1974-75NBA優勝10 チャールズ・ジョンソン | 15 チャールズ・ダドリー | 20 フィル・スミス | 21 ブッチ・ベアード | 22 スティーヴ・ブレイシー | 23 ジェフ・マリンズ | 24 リック・バリー (ファイナルMVP)| 32 ビル・ブリッジーズ | 34 フランク・ケンドリック | 40 デレック・ディッカー | 41 ジャマール・ウィルクス | 44 クリフォード・レイ | 52 ジョージ・ジョンソン | コーチ:アル・アットルス
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