主な担当列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 01:49 UTC 版)
佐世保線を経由する客車優等列車の多くを当区で担当した他、共通運用で他地域の列車をも担当したことがある。 急行「西海」…愛称襲名と同時に品川客車区より移管(博多回転車両は竹下客車区が担当)。1976年(昭和51年)~1978年(昭和53年)に熊本客車区14系に交代したほかは、1980年(昭和55年)10月ダイヤ改正での廃止まで当区が担当。長崎車両区担当の「雲仙」との併結が東京便・大阪便の末期に見られた。 急行「さつま」…東京~鹿児島間の急行。「雲仙」とのダイヤ交換により、東京駅の同日折り返しが不可能になったことを機に、上り「西海」→下り「さつま」→上り「さつま」→下り「西海」の共通運用を組んだ。1年後に寝台特急「はやぶさ」が就役し、「さつま」の本州コースが廃止されたため撤退した。 急行「筑紫」…東京~博多間の急行。「さつま」の短縮後も東京の同日折り返しが不可能な状況が変わらないため、共通運用の相手を「筑紫」に変更した。末期には長崎区担当の「雲仙」「くにさき」と併結。「筑紫」利用者に備えて食堂車・1等寝台を組み込んだため、「雲仙」より「西海」の客車のグレードが高くなった。「筑紫」の電車化により撤退。 特急「あかつき」…1973年(昭和48年)に向日町運転所に24系寝台車を投入したため、14系が早岐区に転出。西鹿児島便・長崎/佐世保便・佐世保/大分便の3往復に充当された。その後は当区廃止まで担当し、1978年(昭和53年)10月ダイヤ改正で投入された14系15形は全車が当区に配置された。 特急「彗星」…1973年(昭和48年)に「あかつき」を担当した当初より、大分便1往復を佐世保便と併結して運転。山陽新幹線開業を機に併結を廃止した。 特急「明星」…「彗星」に代わり、筑豊本線経由の熊本便を担当。1978年(昭和53年)の減便を機に廃止、筑豊本線経由は「あかつき」佐世保発着列車のうち1往復が1985年(昭和60年)まで運行を引き継いだ。 特急「日本海」…大阪~青森間の寝台特急。「あかつき」西鹿児島便に代わり、1975年(昭和50年)より1978年(昭和53年)まで早岐区が担当。「日本海」は大阪発着のため、「日本海」を含む運用は、新大阪発着・向日町所整備ではなく、大阪発着・宮原客車区整備になっている。 急行「くにさき」…新大阪~大分間の急行。1978年(昭和53年)より1980年(昭和55年)まで「西海」と共通運用。併結相手は「雲仙」と共通運用の熊本便「阿蘇」が長崎区が担当。関西~九州急行4便を集約した列車で、1980年10月の減量ダイヤ改正で一挙に廃止された。
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