丸亀城
名称: | 丸亀城 |
ふりがな: | まるがめじょう |
名称(棟): | 大手一の門 |
名称(ふりがな): | おおていちのもん |
番号: | 1415 |
種別1: | 近世以前/城郭 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1957.06.18(昭和32.06.18) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 香川県 |
都道府県: | 香川県丸亀市一番丁 |
所有者名: | 国(財務省) |
指定基準: | |
管理団体名: | 丸亀市 |
管理団体住所: | 香川県香川県丸亀市大手町二丁目3番1号 |
管理団体指定年月日: | 1957.12.25(昭和32.12.25) |
構造形式: | 櫓門、入母屋造、本瓦葺 |
時代区分: | 江戸中期 |
年代: | 寛文10頃(1670頃) |
解説文: | 丸亀城は生駒氏が慶長年間築城したが、一時廃城となり、山崎氏が寛永末年復興、万治元年京極氏が代り六万石の居城となった。大手一の門及び二の門は寛大十年の再建になり、一の門は櫓門、二の門は髙麗門で これに両脇塀が附属している。 これら遺構は手法にも特徴があり。且つ大手口の堂々たる偉容を示し、枡形の保存上からも大事な建物である。 |
丸亀城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 12:56 UTC 版)
丸亀城(まるがめじょう)は、讃岐国、現在の香川県丸亀市にある日本の城。別名、亀山城(かめやまじょう)、蓬莱城(ほうらいじょう)ともいう。
注釈
出典
- ^ 村田修三 監修『日本名城百選』小学館、2008年。ISBN 978-4-09-681564-9。65ページ。
- ^ a b 三浦正幸『城のつくり方図典』小学館、2016年。ISBN 978-4-09-626327-3。
- ^ “丸亀城管理室だより No.15”. 2024年4月13日閲覧。
- ^ 丸亀市教育委員会『讃岐丸亀城研究調査報告書昭和63年度』丸亀市教育委員会、1988年。12ページ。
- ^ 山地茂『見合分別勘用也―“私説”丸亀城普請物語』2010年。14ページ。
- ^ 丸亀市教育委員会『讃岐丸亀城研究調査報告書昭和63年度』丸亀市教育委員会、1988年。104ページ。
- ^ 山地茂『ウォチング丸亀城 第四部 石垣築様目録』2005年。
- ^ 「お城の燈台」『朝日新聞』昭和26年2月17日 3面
- ^ 《公明新聞》2018年8月21日 7面
- ^ 帯曲輪西面石垣、三の丸坤櫓跡石垣崩落(丸亀城公式サイト)
- ^ 『がんばれ!丸亀城応援募金』として募金箱を設置(丸亀城公式サイト)
- ^ 「駆け付けた職員の目前で…丸亀城の石垣崩れる 香川、台風24号の大雨影響か」産経新聞 2018年10月8日
- ^ 「丸亀城石垣、3度目崩落 台風24号影響 修復めど立たず」 日本経済新聞 2018年10月9日
- ^ 『名城 (日本発見第13号)』暁教育図書
- ^ 重文八城「丸亀城」の特徴
- ^ 丸亀城跡
丸亀城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 06:01 UTC 版)
詳細は「丸亀城」を参照 香川県丸亀市 (室町初期)1597年(慶長2年)築城 - 1871年(明治4年)廃城 天守建造年:1660年(万治3年) 大名分類:外様 石高:5万1500石 築城者:(奈良元安)生駒親正 主な改修者:山崎家治、京極高和 代表紋章:「四つ目結(よつめゆい)」 文化財指定:史跡、重要文化財3棟 その他指定:日本の歴史公園100選、日本100名城(78番) 独立式層塔型3重3階の天守で、高さは約14.5メートルと弘前城天守(高さ約14.4メートル)の次に低い三重天守であるが、総高66メートルある総石垣の城の頂上に建てられている。一国一城令により廃城になったが、1660年(万治3年)に「御三階櫓」として建造された。最上重の屋根は平側面(南北面)に入母屋屋根の妻側を向け2重目の北面に向唐破風を一つ付けた外観は建物を大きく見せるためと見た目を重視したためである。
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