中老職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:25 UTC 版)
家老職に次ぎ、評定役を構成。常設の機関ではなく一代限り。役高500石。『長岡市史』では500石高の奉行で功労者であるが家老家の格式でないので家老になれない者のためのポストとし、家老格になって用番勤務となった者は600石になるとある。中老職・年寄役は同じ役職であり、呼び方の違いである。 長岡藩では着座家から推挙され、本人の意志で辞職可能であった。江戸時代初期には存在しなかったポストである。なお、家老連綿の格式の者を家老職とする場合と異なり、若輩者が家督を相続していきなり、筋目だけで中老職・年寄役に就任することはなかった。 長岡藩の中老職・年寄役について定数は特にないが、武鑑では文化6年(1809年)頃以後には増加が見られる。 世禄120石の河井継之助は別格として、現存する長岡分限帳で、中老職に名があるものは、長岡入封以来または、新規召し出し以降で、先祖の家禄が300石以上あった者がほとんどであるが、知行250石で就任した者もある。柳営の老中就任資格が3万石以上であったとされるが、2万5千石以上の諸侯が老中に数例、就任したことに似ている。 なお、『新潟市史・資料編』14号の『新潟町奉行・町方役人勤役期間留書』の解説に原資料の『天保十亥年正月 貞亨元子年より諸役人留』に中老・中老格の記載があったが、新潟市と直接関係ないので省略した旨の説明がある。 中老の前職は番頭職であることがほとんど、番頭で功績があった者を就任させたことが多い。 なお、幕末・非常時の河井継之助のように奉行加判役から、番頭を経験せずに中老職に列したのを例外と見る向きもあるが、後述のとおり町奉行は番頭兼務なので、番頭を経験していないわけでない。
※この「中老職」の解説は、「越後長岡藩」の解説の一部です。
「中老職」を含む「越後長岡藩」の記事については、「越後長岡藩」の概要を参照ください。
- 中老職のページへのリンク