一強化と半弟ナリタブライアンの台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:49 UTC 版)
「ビワハヤヒデ」の記事における「一強化と半弟ナリタブライアンの台頭」の解説
翌1994年は2月の京都記念から始動し、過去最高の負担重量となる59kg、初めて経験する稍重馬場といった懸念を払拭し、2着に7馬身差をつけて圧勝。京都記念の翌日には半弟のナリタブライアンが共同通信杯4歳ステークスを勝利し、兄弟で連日の重賞制覇を達成した。 次走の天皇賞(春)では、ウイニングチケットが休養中、トウカイテイオーと前年度優勝馬のライスシャワーが回避し、出走馬の層が薄くなった中で単勝オッズ1.3倍と圧倒的な1番人気に支持された。レースではスローペースに堪えきれず掛かる様子を見せながらも最後の直前で抜け出し、2番人気のナリタタイシンの追い込みを待ってからスパートを掛けるという余裕を見せ、同馬に1馬身余りの差を付け優勝。GI2勝目を挙げた。この前週にナリタブライアンが皐月賞をレコードタイムで制していたため、民放のテレビ実況を行った杉本清はゴール前で「兄貴も強い、兄貴も強い、弟ブライアンについで兄貴も強い」と伝えた。これについて杉本は「気の早いマスコミは『三冠か』などと騒ぎ出してなんとなく弟一色に傾いていたので、『いや、兄貴も強いんだぞ』という気持ちが出ました」と述べている。 続く春のグランプリ・宝塚記念では前走の顔触れからナリタタイシンも抜け、GI勝ち馬が本馬とベガの2頭のみとなり、浜田が「どれが相手だか分からないようなメンバー」と回顧するほど出走馬が手薄になったレースで、2着アイルトンシンボリに5馬身差、2分11秒2という芝2200メートルの日本レコードタイムで優勝した。この2週間前に行われた日本ダービーではナリタブライアンが2着に5馬身差をつけて圧勝し、競走後に兄弟対決について水を向けられると「今のビワハヤヒデなら何とかなるんじゃないか……。いや、これ以上は勘弁してくれよ」と語った。 夏は前年と同様に栗東で過ごしたが、当年は記録的な猛暑となり、馬房の前に氷を吊すなどの暑さ対策が施された。そうした中、浜田がビワハヤヒデの秋の予定についてオールカマーから天皇賞(秋)、有馬記念という路線を進むことを発表。当時欧米やオセアニアから数々の強豪を招いていた国際競走のジャパンカップを回避することについて、「昨年の有馬記念では口惜しい思いをしました。また、ともに順調にいけば、有馬記念でナリタブライアンとぶつかることになるでしょう。だから是非、有馬記念をこの秋のピークに持っていけるようにしたい。(中略)最近の傾向を見ていると、ジャパンカップと有馬記念という2つのレースをともに万全の体調で迎えることは非常に難しいように思うんです」と説明した。 しかしこの決定は、特に天皇賞出走について一部に「勝負付けの済んだ相手と走り、未知の強豪から逃げている」という旨の批判を招き、作家の石川好は日本中央競馬会の広報誌『優駿』に「日本最強馬の動向」と題した抗議文を特別寄稿した。また、同誌で国際欄を担当していた石川ワタルは、ジャパンカップへの展望記事でこの回避を「退散」と表現し、後に「今はもうそんなことは思っていない」としながら、当時は「日本最大のレース・ジャパンカップをあえて逃げるなんて、そんな及び腰では、そのうち良くないことが起こるだろう。勝負の世界では、弱気になったら負けなんだ」と感じたとしている。一方、こうした出来事を受けて同誌が「有力馬のGI回避説」について読者からの意見を募集すると、回避に賛成する意見が48%、そもそもファンに口出しする権利はないとする意見が25%、回避に反対する意見が22%であった。浜田は後にジャパンカップ回避は中島の意向だったと明かし、「(天皇賞は)昔の賞典競走だから。昔の人間にとっては、やっぱり天皇賞は大きいよ」と述べている。
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