天皇賞とは? わかりやすく解説

てんのう‐しょう〔テンワウシヤウ〕【天皇賞】

読み方:てんのうしょう

毎年春秋2回行われる競馬重賞レース。春は4歳以上、秋は3歳以上サラブレッド系競走馬によって争われる


天皇賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 17:06 UTC 版)

天皇賞(てんのうしょう)は、日本中央競馬会(JRA)が春・秋に年2回施行する中央競馬重賞競走GI)である。春は京都競馬場で「天皇賞(春)」(通称:春天)、秋は東京競馬場で「天皇賞(秋)」(通称:秋天)の表記(通称についてはJRAの過去成績掲載ページのURLにも使用されている)で施行されている。記事内ではそれぞれ「天皇賞(春)」または「春の競走」、「天皇賞(秋)」または「秋の競走」と表記する。


注釈

  1. ^ JRAでは、これを天皇賞の前身としている[1]
  2. ^ このほかに横浜農林省賞典四・五歳呼馬も同等の賞金であったが、長く続かなかったので割愛する。詳しくは帝室御賞典の拡大と統一節の注釈を参照。
  3. ^ かつては目黒記念や、中山大障害などの障害重賞も年2回施行され、「目黒記念(春)」・「目黒記念(秋)」のように区別していたり、4歳牝馬特別や金杯のように同一の名称の競走が各地にあって、4歳牝馬特別(桜花賞トライアル)4歳牝馬特別(オークストライアル)金杯(東)金杯(西)となっていた。
  4. ^ トレンチ公使、サトウ公使、マクドナルド公使など[13]
  5. ^ アーネスト・サトウなど、イギリスの外交官は皇族を根岸競馬のパトロンとして仰いだ[15]
  6. ^ 旧幕府と借地契約を行って拓かれた横浜競馬場については、用地の賃貸料を巡って競馬場側と新政府の間に紛争があった。不平等条約(治外法権)の影響があって、交渉は難航したが、1880年(明治13年)になってようやく解決をみた。このとき、賃料で両者が合意するにあたり、政府側からは競馬場の運営組織の名称を“Japan”ではなく“Nippon”にすること等が要望され、競馬場側はこれを受け入れた。この結果、競馬場は政府の公認を得た形となり、明治天皇はこれを機に賞品を下賜した。いくつかの史料には、これ以前にも明治天皇が根岸競馬場を訪問していたという記録がある。その一方で、借地問題が未解決の競馬場に明治天皇が行幸するはずがないとして、これを否定する文献がある[19]
  7. ^ 雑誌「優駿」では“The Emperor's Cup”の日本語訳として、これを採用している[23]
  8. ^ 2001年(平成13年)以降の馬齢表記では3歳にあたる。
  9. ^ 後日、日本競馬会が慣例に従って競走結果を宮内省へ奏上した際、公式に「第1回天皇賞」としている。日本中央競馬会の古い資料や出版物には、1947年(昭和22年)秋の天皇賞を“第1回天皇賞”と表現しているものがある。
  10. ^ 勝ち抜き制は毎日王冠(第5回まで)や中山大障害(1950年(昭和25年)まで)など、他の競走にも定められていたことがあるが、1980年まで制度が存続していたのは天皇賞だけである。
  11. ^ 特に、大橋巨泉競馬エイトの予想のコーナー「巨泉でバッチリ」で、このことを痛烈に批判していた[40][41][42]
  12. ^ わずかな例外として、帝室御賞典を統一した時に横浜競馬場に創設された横浜農林省賞典四・五歳呼馬がある。これは4歳と古馬の一流馬が対決するように企画され、しばしば帝室御賞典を勝った馬が出走した。しかし横浜競馬場が1943年(昭和18年)に閉鎖されたため、この競走は短い期間しか行われなかった。
  13. ^ 第1回のみ「中山グランプリ」の名称で施行され、第2回から「有馬記念」に改称された。
  14. ^ 「大レースは枠順による有利不利が起こらない条件で行うべき」と考えていた大川慶次郎は1998年(平成10年)に刊行した著書で当時を回想、天皇賞(秋)の距離を東京2000メートルに短縮することに対し当初から反対意見を唱えており、「2000メートルで施行するなら中山競馬場での施行、もしくは春を東京の3200メートルにして秋を京都の2000メートルで行ったらどうか」と提案していた[55]。なお、同著では当時競馬評論を行っていた大橋巨泉が距離短縮支持派だったと記載されている[55]
  15. ^ カーブの半径やカーブまでの距離が危険であるという意見があるが、同様のコース設定は地方競馬や海外の競馬場にも多数存在しており、ダート競走格付け委員山野浩一は「世界の競馬の中ではとても中程度の危険さとさえいえるものではない」としている[56]
  16. ^ 1971年 - 1983年(昭和46年 - 58年)までは、持込馬に関しても外国産馬と同じ扱いで出走権が与えられなかったが、1984年(昭和59年)に内国産馬と同等扱いに戻された
  17. ^ イギリス王室でも、競馬の賞品にワインや美術品、絵画、花器、名馬の毛で出来た鞭などを下賜していた。これらの賞品は金額に換算され、当時のリーディングサイアーの統計にも反映されている[61]
  18. ^ こうした式典は、はじめの頃は競走終了後に行われ、その間は馬券の発売を停止していた。1940年(昭和15年)からは、競走終了後に薬物検査を行うことになり、その結果が出てから拝戴式を行うため、帝室御賞典当日ではなく、後日行われるようになった[68]
  19. ^ 仮定名称と言って馬主名義を本名とは異なる名称にする制度があるが、1941年(昭和16年)から帝室御賞典では仮定名称の使用が禁じられ、馬主は実名で出走させなければならなくなった[69]
  20. ^ なお、翌年(1666年)のこの競走は初めて明文化された規則に則って行われた最古の競馬の競走として記録されている[71]
  21. ^ 当時の日本競馬会は、宮内省へ結果を奏上した際に『第1回天皇賞』と報告している[34]
  22. ^ 2022年(令和4年)の地方競馬で施行する競走では、JBCクラシック(JpnI)と東京大賞典(GI)の1着賞金1億円が最高額[74]
  23. ^ 2000年(平成12年)には特別ボーナスが創設され、同一年に天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念の3競走をすべて勝った日本産馬には2億円、外国産馬には1億円が授与されるようになった。なお、このボーナスは1着賞金に含めていない。
  24. ^ 2001年(平成13年)以降のジャパンカップは、世界でもトップクラスの高額賞金競走となった。海外の競馬ではドバイワールドカップ(1着 約6億円)、メルボルンカップ(1着 約3億4,000万円)、凱旋門賞(1着 約3億2,000万円)、ブリーダーズカップ・クラシック(1着 約2億8,000万円)などが主な高額賞金競走である。ジャパンカップは2014年(平成26年)時点で1着賞金が2億5,000万円。一定の条件を満たす馬はこれに1億3,000万円が加算され、年によっては世界1位の賞金になる[87]
  25. ^ 返し馬時に重りを馬場に捨て、競走後に下馬しコース上に捨てた重りを再び装着して検量室に戻るという不正を未然防止するため[90]

出典

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「天皇賞」の続きの解説一覧

天皇賞

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第10回ジャパンカップ」の記事における「天皇賞」の解説

着順馬番競走馬名性齢騎手斤量タイム着差単勝オッズ人気1着 7 ヤエノムテキ 牡6 岡部幸雄 58 1:58.2 008.0 3 2着 8 メジロアルダン 牡6 横山典弘 58 1:58.2 アタマ 010.7 5 3着 6 バンブーメモリー 牡6 武豊 58 1:58.4 1馬身1/4 008.9 4 410 オサイチジョージ 牡5 丸山勝秀 58 1:58.5 1/2馬身 005.3 2 612 オグリキャップ 牡6 増沢末夫 58 1:58.9 002.0 1 天候:晴、馬場状態:良第102回天皇賞(秋)(GI)は、10月28日東京競馬場行われたイナリワンは、オールカマー後述)の回避続いて体調不良回避。天皇賞2連覇中のスーパークリークは、直前24日体調不良回避し、「平成三強」はオグリキャップのみが参戦した安田記念優勝宝塚記念2着という春を過ごしたオグリキャップは、アメリカ遠征故障のために断念し福島県JRA競走馬総合研究所常盤支所にて休養していた。治癒明け出走にも関わらず38.3%の単勝支持率記録し、緑帽6は「単枠指定」に、オッズ2.0倍の1番人気に推された。9月栗東トレーニングセンター戻り急ピッチで調整進められた。当日パドックではいつも見せる「元気の良さ」がないよう映っていたという。続く5.3倍の2番人気には、宝塚記念オグリキャップに3馬身半差をつけて勝利したオサイチジョージだった。秋の始動戦には毎日王冠GII)を選択し2.1馬の1番人気に推されたものの4着に敗退した3番人気には、2年前の皐月賞優勝馬ヤエノムテキ直前の2戦は安田記念2着、宝塚記念3着という成績残していた。その他、安田記念高松宮杯GII)を制しているバンブーメモリーオールカマー4着(後述)から臨むメジロアルダン毎日王冠ワンツー決めたラッキーゲラン、マキバサイクロンなど全18頭が出走した最内から発馬したロングニュートリノがハナ奪い、それに次いでラッキーゲランダイユウサク、マキバサイクロン、オグリキャップ先行馬群形成した一方ヤエノムテキメジロアルダンバンブーメモリー後方控える形となった逃げるロングニュートリノが前半1000メートル58秒2で通過する速いペース」となり、後方集団徐々に進出始めた先行するオグリキャップ外側か逃げ馬を見る好位に位置取った一方ヤエノムテキは、最終コーナー内側逃げ馬後ろ突いた次第に、逃げるロングニュートリノやダイユウサク失速しヤエノムテキ進路ができ始める。残り400メートルにて、各馬が横一線広がり追い上げ試みる中、逃げる2頭の内側ヤエノムテキが「弓矢のを放つように勢いよく伸び岡部幸雄)」て抜け出した。外から抜け出し図ったオグリキャップは、伸びがなく後退その内側をバンブーメモリーメジロアルダンオサイチジョージかわした追い上げる3頭の中からメジロアルダンが、先頭ヤエノムテキ並びかけて、馬体併せたがヤエノムテキアタマメジロアルダン退けて入線した。ヤエノムテキ皐月賞以来GIタイトル獲得し1年半ぶりの勝利を挙げた。 勝ちタイム1分58秒2は、サクラユタカオー保持していたコースレコードを0秒1更新騎乗した岡部天皇賞(秋)を初制覇並びにグリーングラスシンボリルドルフクシロキング続いて天皇賞4勝目果たしたヤエノムテキ馬主である有限会社富士の代表大池正夫1989年末に死去していたため、夫人大池俊江が表彰式出席し涙を流したメジロアルダン追い上げ劣ったバンブーメモリーは3着、オサイチジョージは4着、オグリキャップは6着敗退となった。なお、マキバサイクロンが最後直線外側斜行したため騎乗した柴田善臣には過怠金1万円課せられた。

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天皇賞(春)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:12 UTC 版)

第55回宝塚記念」の記事における「天皇賞(春)」の解説

着順馬番競走馬名性齢騎手斤量タイム着差単勝オッズ人気1着 7 フェノーメノ 牡5 蛯名正義 58 3:15.1 011.5 4 212 ウインバリアシオン 牡6 武幸四郎 58 3:15.1 クビ 006.5 3 3着 6 ホッコーブレーヴ 牡6 田辺裕信 58 3:15.1 ハナ 101.5 12 610 フェイムゲーム 牡4 北村宏司 58 3:15.5 1/2 91.7 11 7着 8 ゴールドシップ 牡5 C.ウィリアムズ 58 3:15.6 クビ 004.3 2 1517 ヒットザターゲット 牡6 北村友一 58 3:16.6 2.1/2 206.5 16 天候:晴、馬場状態:良2014年5月4日行われた149回天皇賞(春)はフェノーメノ制覇ウインバリアシオンが2着、ホッコーブレーヴが3位それぞれ入着した。ゴールドシップは7着に沈んだ

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天皇賞

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サイン理論」の記事における「天皇賞」の解説

天皇賞では皇族東京競馬場に来ることが多くその都度サイン理論」が起こった。特に東京競馬場行われる天皇賞(秋)スタート地点特性という偶然もあり1枠(白い帽子)の連対率が非常に高い(皇は「白に王」と書くため)ということもある。特に昭和天皇観戦され1987年第96回天皇賞と明仁天皇観戦した2005年第132回天皇賞では偶然とはいえともに勝ったのは1枠の馬であり皇族がらみの馬券決着した第96回天皇賞は1着にニッポーテイオー、2着にレジェンドテイオー入り帝王」の名を持つ2頭で決着した。 第110回天皇賞は、1着に馬番10番ネーハイシーザー、2着に馬番1番のセキテイリュウオー入り馬連1-10で決着ちなみに、この2頭はともに「シーザー」「オー」の名を含んでいることも注目に値する第132回天皇賞は元々、紀宮清子内親王ご成婚記念競走と銘打たれていたことから「サイン理論」の的となり実際に三連単(1-13-12)の数字並び替えると愛子内親王誕生日平成13年12月1日)になり、結婚ロマンスヘヴンリーロマンス勝利した天皇賞(春)においても1枠(白い帽子)の勝率高く2008年から2017年10年間で1枠の馬が5勝している。さらに開催時期世間一般ゴールデンウィークにあたることから、株式会社ベストセラーズ出版している競馬最強の法則予想ではゴールデンウィーク関連した馬名ゴールドと名のつく馬への注意喚起をしている。一例として、1998年誌上ステイゴールド要注意注意喚起をしていたが実際ステイゴールドは2着に入った。それとは別に1999年スペシャルウィークが1着となり、2010年人気薄のメイショウドンタクが3着に入ったゴールデンウィークには博多どんたく開催される)。

※この「天皇賞」の解説は、「サイン理論」の解説の一部です。
「天皇賞」を含む「サイン理論」の記事については、「サイン理論」の概要を参照ください。


天皇賞(春)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:43 UTC 版)

第164回天皇賞」の記事における「天皇賞(春)」の解説

着順馬番競走馬名性齢騎手斤量タイム着差単勝オッズ人気1着 1 ワールドプレミア 牡5 福永祐一 58 3:14.7 5.2 3 212 ディープボンド 牡4 和田竜二 58 3:14.8 3/4 3.6 1 3着 3 カレンブーケドール 牝5 戸崎圭太 56 3:15.2 2 7.3 4 7着 7 ユーキャンスマイル 牡6 藤岡佑介 58 3:16.5 3.1/2 12.0 5 天候:晴、馬場状態:良第163回天皇賞(春)は、中団でレース進めたワールドプレミアが、直線で外から各馬を差し切り、その内食い下がったディープボンド3/4馬身差をつけて優勝した。さらに2馬身差の3着にカレンブーケドール入った

※この「天皇賞(春)」の解説は、「第164回天皇賞」の解説の一部です。
「天皇賞(春)」を含む「第164回天皇賞」の記事については、「第164回天皇賞」の概要を参照ください。


天皇賞(秋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:52 UTC 版)

エフフォーリア」の記事における「天皇賞(秋)」の解説

第164回天皇賞」も参照 9月30日に帰厩。最終追い切り後、武史は「いつもは力みやすい面があるのですが、凄くリラックスして折り合えましたし何より終い楽に動けたのでとても良かった思います調教だけの部分なら今までで一番良かったんじゃないかなと思います。夏を越えてパワーもついて一段と成長して改め良い馬だなと感じています」と語った。鹿戸は「凄く良い感じ走れいましたひ弱も少しずつ解消されてきて心配事減って思い通り調教出来ようになったセレクトセール時期に、秋田オーナーや木實谷場長何回相談したところ、タフな阪神3000mよりは東京の2000mの方が合っているんじゃないかという結論達して、天皇賞を目標にすることになりました」と語った10月31日第164回天皇賞(秋)(2000m)に出走前年三冠馬である4歳馬コントレイル120016002000メートルGI3階級制覇を狙う5歳グランアレグリアに続く3番人気支持され3つの世代代表する強豪による三強対決として注目集まった道中は中団やや前目位置控えゴール手前グランアレグリアに代わって先頭躍り出て追い込んできたコントレイルにもハナを譲らず1馬身ほど抜け出して優勝した。これは2002年シンボリクリスエス以来19年ぶりである3歳馬による秋盾制覇であった。さらにキャリア6戦目でのJRA古馬G1”優勝は、グレード制導入され1984年以降最少キャリアタイ記録となった鞍上横山武史騎手は2週連続のG1制覇で同レース史上初の親子3代制覇成し遂げた武史は「ダービーのこともあって、人生初め嬉し泣きしましたコロナ禍でも競馬場入れ人数増えていてその中で競馬乗れることに感謝したいです。ファン皆様の前で勝て本当に良かったですスタート上手いですし競馬器用なので馬の邪魔をしないように馬の力を信じて乗るだけだと思いました道中理想的なポジションでしたし変にインこだわらない多少外を回ってもいいという思い乗りました任せて頂いた関係者オーナー皆様感謝しています」と語った。鹿戸は「みんなと相談して、このレース選択したのがベスト選択だったと思います」と語ったキャロットファーム秋田博章代表は「春から比べてトモ良くなって、追い切り見てグリップ力が強くなっていた。まだまだ伸びしろがあるし来年はもっと良くなる一戦一戦一生懸命走る馬なので、大丈そうなら次は有馬記念向かいたい」と語った

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天皇賞(秋)

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サイレンススズカ」の記事における「天皇賞(秋)」の解説

毎日王冠後、橋田この年最大目標として定めていた第118回天皇賞(秋)に出走サイレンススズカ出走するとあって他馬の陣営恐れをなしてか同レースとしては珍しい12頭立てと少頭数でのレースとなった。さらに逃げ馬としては有利となる1枠1番を引き当て当日単勝支持率は61.8%、単勝オッズ1.2倍と圧倒的な番人気に支持された。レース前多くTV競馬紙も上記有利な条件踏まえてサイレンススズカ負け要素探したものの、アクシデントがない限りサイレンススズカ負けないという意見大勢占めサイレンススズカレース勝ち負けよりも、「どう逃げるのか」「どういう内容競馬をするのか」という点に注目注がれた。武は天皇賞の週の半ば受けたインタビューにおいて、インタビュアーから「オーバーペースにならないように?」と問われると、「オーバーペースでいきますよ。」と宣言していた。 当日体調について、加茂と武は「あの時間違いなく一番具合良かった」と口をそろえて言うほど優れていた。サイレンススズカは好スタートを切り、2ハロン目から加速して後続突き放すと、毎日王冠上回る1000m57秒4の超ハイペース大逃げをうった。競りかける馬はサイレントハンター含めて1頭もおらず3コーナー手前では2番手に10馬身、さらにそこから3番手までが5馬身後続大きく引き離し、この時点二番手サイレントハンターとは約2秒差、最後ローゼンカバリーとは6秒ほどの差となっていた。 しかし、4コーナーの手前で突然の失速左前の手骨粉骨折発症し競走中止した結局予後不良診断され安楽死処置がとられた。

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天皇賞(春)

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タマモクロス」の記事における「天皇賞(春)」の解説

続いて4月29日天皇誕生日行われた天皇賞(春)出走GI初出であったが、ゴールドシチー東京優駿日本ダービー)を制したメリーナイスといった同期GI優勝馬抑えて、1番人気に推された。メイショウエイカンやダイナカーペンター先行する中、最初ゴール板通過後方位置稍重ながら、前半1600メートルを1分39秒6で通過する速いペースとなった向こう正面外側移り、中団にいたゴールドシチー捉える位置まで前進失速する先行馬を外からかわして最終コーナー5番手で通過し直線では馬場内側転進した先に抜け出したメジロデュレンランニングフリー馬体併せて競り合っていたが、その内すくって先頭となり、1着で入線。6連勝重賞4連勝GI勝利を達成した。2着ランニングフリーにつけた3馬身差は、1968年大差勝ちしたヒカルタカイ以来最大着差となった鞍上の南井は八大競走50連敗、旧八大競走を含むGI競走40連敗経て、初のGI勝利となった騎手生活18年目で初のタイトルには「タマモクロスみたいなGI級の馬にめぐりあえば、GI勝てるというだけのこと」「勝てる馬に乗れば勝てるんですよ(笑)」と振り返っている。野平祐二は南井の騎乗に対してあんなに巧みな南井騎手をみたのは初めてです。よほど自信持って乗っていたのでしょうパーフェクト騎乗絶賛していいです」と評した。 本レースは、調教師小原にとって1980年開業以来オーナー三野にとって馬主50年にして初めてのGI制覇となった昭和天皇と同じ明治34年1901年生まれ87歳三野は「ダービーを勝つよりも天皇賞の盾が欲しい」を口癖としており、表彰式演奏され君が代感激表情見せた

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天皇賞(秋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 00:38 UTC 版)

タマモクロス」の記事における「天皇賞(秋)」の解説

芦毛の2頭タマモクロスオグリキャップJRA 1着 3歳笠松1着 秋風ジュニア 1着 ジュニアCR 1着 中京盃 1着 中日スポ杯 1着 師走特別 1着 ジュニアGP 400下 1着 1着 ゴールドJ 藤森特別 1着 1着 ペガサスS JRA鳴尾記念 1着 1着 毎日杯 金杯(西) 1着 1着 京4歳特別 阪神大賞典 1着 1着 NZT4歳S 天皇賞(春) 1着 1着 高松宮杯 宝塚記念 1着 1着 毎日王冠 第98回天皇賞 第8回ジャパンカップ 第33回有馬記念 少食太りにくいことから、小原前哨戦を使わなくとも良化すると考え10月27日天皇賞(秋)ぶっつけ参戦東京競馬場滞在中は、小原が「東京はいい」「見てくださいよ、この食いっぷりを。まったくうれしい悲鳴です」と述べ食欲見せたまた、ダートコースでの最終追い切りは「これまでで最高の状態だった鳴尾記念上回るデキ」と評された。一方騎乗予定の南井は10月8日落馬し打撲診断受けたため翌週騎乗取りやめていた。休みとなった南井は、ローカル線乗って大分県熊本県温泉巡り調子整えて1週間空けて復帰した天皇賞(秋)出走する13頭で最も注目集めたのは、移籍後6連勝笠松から14連勝中の4歳馬オグリキャップ、そして7連勝中のタマモクロスという「芦毛同士対決であった当日第55回日本ダービーに次ぐ12万人上の観客集まり観衆表情について鶴木遵は「『祭り』を迎え興奮漂って離れなかった」と表現している。オグリキャップ単勝支持率35.3パーセント2.1倍で1番人気となり、対すタマモクロス29パーセント、2.6倍の2番人気となったこれまで超一流馬はいなかった」、「弱いものと相場決まっていた(本田靖春)」「良くも悪くも中略名脇役結城恵助)」とも呼ばれていた芦毛人気集中互いに単枠指定となったまた、連複式(枠連)の「(1)オグリキャップ - (6)タマモクロス」の組み合わせには、50億円が投じられていた。 レースではスタートからレジェンドテイオー大逃げを展開。タマモクロスは、後方からではなく2番手で先行して好位に位置した一方オグリキャップその5、6馬身後方の中団7、8番手位置した逃げレジェンドテイオーは、前半1000メートル59秒4で通過1986年サクラユタカオー日本レコードタイム樹立した時のウインザーノット逃げよりも0.5秒速ペースとなった最終コーナー手前からは、タマモクロスレジェンドテイオーとの2馬身差を徐々につめて、抜け出し図った直線に入ると南井はオグリキャップのみを相手定め、右後ろ複数振り返って視認した。一方オグリキャップも内から外へと持ち出して追い上げ開始残り200メートルほどにてオグリキャップ鼻先タマモクロス尻尾差し掛かる同時に、南井がムチ入れてタマモクロス促した。すると、オグリキャップ末脚見せて追い詰めた差がそれ以上に縮まることはなく、1馬4分の1の差で入線オグリキャップ余力なくなりゴール板付近馬場内側にもたれてしまい、タマモクロスよりも内側ゴール板通過した。 これにより、GI3勝目、7連勝記録したまた、1981年天皇賞優勝馬の出走解禁され以降三冠馬ミスターシービーシンボリルドルフなど6頭が成し遂げられなかった天皇賞春連覇、天皇賞2勝を達成並びに史上初めGI競走のみでの3連勝成し遂げた先行策について、南井は「スタート良かった無理に抑えるともない」「(2番手の位置取りにも)不安はなかった」と振り返り、「これまでの騎手人生で最高の馬」と称えた小原は、南井に対して事前に騎乗指示をしていなかったが、先行策を講じた南井を見て勝利半分あきらめた」と思ったという。大川慶次郎は、タマモクロス先行する展開ではオグリキャップ有利と見ていたが、直線タマモクロス強さ想像以上であった述懐している。また、タマモクロスを「勝ちにいって勝つ。この馬の真価初め見た気がする強さだけでいうなら、戦後でも5本の指に入る」と評した。(レースに関する詳細は、第98回天皇賞参照。)

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天皇賞(春)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:19 UTC 版)

オルフェーヴル」の記事における「天皇賞(春)」の解説

4月11日天皇賞(春)の2週前追い切りも兼ね平地調教再審査(以下「再審査」という)が栗東トレーニングセンターEコース実施された。前走の阪神大賞典において第3コーナー逸走したことについての再審査であったため、裁決委員3名、ハンデキャッパー5名の計8名が第3コーナーから第4コーナーにかけての走行振り注視する中で審査が行われた。その結果逃避癖やタイム含めた走行状態に問題はないと判断され合格判定下された。これにより天皇賞(春)への出走が可能となった前年クラシック三冠制し年度代表馬にも輝いたトップホースの再審査異例とあって関係者記者らの視線集中する中での再審査となったが、無事に合格果たし、池添が「やっと競走馬戻れました。ホッとしました」と述べると、池江も「GIの1番人気より緊張しました」と当時心境明かしている。このように阪神大賞典での逸走アクシデントオルフェーヴルおよび陣営試練もたらしたが、結果として池添が付きっきりオルフェーヴル調教携わることになった。これについて池添は「受かったからといって折り合い大丈になったわけじゃないでも、普段からコミュニケーションを取ることができたのはよかった」と述べている。 天皇賞(春) レース後、引揚げるオルフェーヴル 迎えた4月29日天皇賞(春)では、前走と同様に大外18番)からの発走となった。再び逸走することも心配されたが、単勝1.3倍の圧倒的1番人気に推された。レースでは、横一線スタートを切るとすぐに位置取り下げ前に壁をつくるようにして後方2、3番手控えたその後レースは、前方ゴールデンハインドビートブラック大逃げ打ち、少し離れた3番手にナムラクレセント控え4番手以下のグループ牽制し合う展開となり、2周目の向正面まで進んでいく。第3コーナー手前からようやく4番手以下も差を詰めにかかり、オルフェーヴルも外に持ち出して追い上げようとするが、近走のように手応え良くポジション上げていくことはできず、池添の手激しく動いたまま迎えた第4コーナーでは大きく外に膨らんだ結局メンバー3位タイとなる上がり3ハロン34秒0の末脚使ったものの前も止まらずビートブラック後続を4馬身突き放して優勝オルフェーヴル勝ち馬から1.8遅れて入線となり、見せ場なく生涯最低着順11着(ヒルノダムールとの同着)に敗れた敗因については、レース直後時点でははっきり判明しなかったものの、池添が「(最後の)直線でもだいぶ脚をとられて、4、5回くらいつまずくような感じになった」として故障疑ったほどだったと振り返るなど、池江・池添は共に馬場可能性挙げたまた、池添はオルフェーヴルの状態について、「3コーナー下り利用して動かしていったんですけどいつもの伸びがなかった」「返し馬で、いつもの柔らかいフットワークではなかった」と語っている。さらに、展開の不向きに触れ、前が逃げていてもオルフェーヴル折り合い重視すると動くに動けず、「嫌な展開だと思っていた」としている。後にこの敗戦振り返った池江は、「返し馬全然良い頃とは違いました」と述べるなど上記敗因改め言及したほか、「ひょっとしてオルフェーヴル場合、体の違和感とか、馬場硬くて合わない感じたら、レース投げてしまうところがあるのかも知れませんね。兄弟そういうところがありましたから」と述べ異な可能性についても示唆した。また調教再審査について「段々、前捌き硬くなって、コズミもでて、調教中に躓くこともありました。あの馬にはあり得ないことですからね」として影響があったことを認めた。さらに、中間下痢起こしていたことを明かしたうえで、調教動き見てベストの状態ではないけれど、競馬行けばキッチリ走ってくれると思ったのですが」と当時心境回顧している。ただ、最終的には池江も明確な敗因突き止めるまでには至らず、「理由ひとつだけではなかったように思います位置取り悪かったとか、メンコ覆面)をしていたとか、調教再審査負担掛かったとか、馬場が向かなかったとか、展開に泣かされたとか、色々な要素複雑に絡み合っている」「正直今でも手探りの状態で、これが明確な敗因だという理由突きとめられていない」と明かしている。この敗戦により、レース直後に池江が「この着順では凱旋門賞目指すとは大きな声では言えない」と述べるなど、前年から目標として掲げていた凱旋門賞挑戦について大きくトーンダウンすることとなった

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天皇賞(春)

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イナリワン」の記事における「天皇賞(春)」の解説

それから4月29日天皇賞(春)GI)に出走陣営は、近走のかかるクセ改善するため、鞍上クセのある馬への騎乗について、評価高かった武豊起用。武は前年菊花賞優勝馬であるスーパークリーク主戦騎手であったが、体調不良脚部不安戦線離脱していたため、イナリワンへの騎乗実現した人気は、スルーオダイナランニングフリーオッズ3倍台、コクサイトリプルが7.6倍、イナリワンはそれに次ぐ9.3倍の4番人気であった最内から発走し、上位人気スルーオダイナランニングフリー背後である、中団後方位置最初ゴール板通過では、スタンド喚声反応してしまったが、武は馬群入れて前方他の馬を置くことで折り合いをつけた。2周目の向こう正面、外から追い上げて第3コーナーの坂を登り下りすると、最終コーナー逃げたミヤマポピー2番手で先行したミスターシクレノン、中団にいたランニングフリーに次ぐ4番手で通過直線では、ミスターシクレノンランニングフリーの間から追い込み残り200メートル抜け出して独走した後方との差を5馬身まで広げて先頭入線移籍後勝利かつGI勝利相成った走破タイム318秒8は、モンテプリンス1982年天皇賞(春)樹立したコースレコードおよびレースレコードを0.4秒更新また、1954年秋のオパールオーキット1956年秋のミッドファーム1961年秋のタカマガハラ1962年春のオンスロート1968年春のヒカルタカイ続いて史上6頭目21年ぶりとなる地方競馬出身競走馬による天皇賞勝利となった加えて、武は父の武邦彦19挑戦しても届かなかった天皇賞を初挑戦優勝当日20歳であり、天皇賞優勝騎手としては、1939年帝室御賞典・秋(天皇賞の前身)をテツモン制した保田隆芳19歳に次ぐ、史上2番目の若さであった。そのうえ、生産した山本にとっては、初めJRA重賞勝利が天皇賞であった表彰式では、イナリワン左右鈴木福永が共に轡を取り優勝レイ福永贈られている。

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天皇賞(秋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 18:42 UTC 版)

ウオッカ (競走馬)」の記事における「天皇賞(秋)」の解説

秋は、10月12日毎日王冠GII)で始動初め逃げ出て最終コーナー先頭通過残り100メートル地点では、後方から迫ったスーパーホーネット競り合いとなった。2頭はしばらく並んでいたが、決勝線10メートル手前先頭スーパーホーネット譲りアタマ差の2着に敗れた11月2日天皇賞(秋)GI)に参戦出走17頭すべてが重賞優勝馬である中、ウオッカ単勝オッズ2.7倍の1番人気に推された。以下、同期ダイワスカーレット3.6倍の2番人気1歳下の東京優駿優勝馬で、四位騎乗するディープスカイ4.1倍の3番人気となり、オッズ一桁台の人気はこの3頭だけだったスタートからダイワスカーレット逃げる中、ディープスカイ並んで中団に位置ハイペースの中、馬場の最も内側逃げダイワスカーレット先頭のまま最後直線入りディープスカイとともに追い上げた残り200メートルにて、内で逃げダイワスカーレット、外から迫るディープスカイウオッカで3頭が横並び状態、次第に外2頭の末脚勝り、一番外ウオッカ先頭躍り出た。しかし、残り100メートルから、ダイワスカーレット盛り返してウオッカ迫り、2頭の並んだところで決勝線通過したどちらもウイニングラン行わずに、退場している。検量室前の場では、先に退いたダイワスカーレットが1着馬用に収まったため、武は2着馬用で下馬した。 すんなり確定することはなく、1位2位には、写真判定用いられた。終決までは13分を要しウオッカハナ先着、2センチ先着認められた。走破タイム1分57秒2は、スペシャルウィーク1999年樹立したレースレコードを0.8秒更新ウオッカGI競走4勝目史上初め牝馬による牡牝混合GI競走3勝。また、牝馬による天皇賞制覇2005年ヘヴンリーロマンス以来3年ぶりであり、牝馬による天皇賞(秋)1着2着(ウオッカダイワスカーレット)は、1958年(1着:セルローズ、2着:ミスオンワード以来50年ぶりであった。武は、メイショウサムソン制した前年続いて天皇賞(秋)連覇達成表彰式後にはスタンドファンとともに万歳三唱行った。(レースに関する詳細は、第138回天皇賞参照。) それから11月30日ジャパンカップ出走。武がメイショウサムソン選んだため、再び岩田乗り替わった安田記念同じよう先行したが、スローペースのために抜け出すほどの末脚発揮することができず、3着。有馬記念ファン投票では136619票を獲得し2年連続で1位になったが、回避した第53回有馬記念)。 JRA賞表彰では、全300票中180票を集めてJRA賞年度代表馬196票を集めてJRA賞最優秀4歳以上牝馬受賞牝馬による年度代表馬受賞は、1997年エアグルーヴ以来11年ぶり史上2頭目であった

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天皇賞(春)

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サクラローレル」の記事における「天皇賞(春)」の解説

4月21日前年欠場した天皇賞(春)GI)に出走を果たす。単勝オッズ14.5倍の3番人気推される。それ以上人気集めたのは、前哨戦阪神大賞典第44回阪神大賞典)にて、接戦の末にアタマ差で決着した2頭であった。その勝者ナリタブライアンが1.7倍の1番人気となる。前々年クラシック三冠果たし有馬記念阪神大賞典連勝その後連敗し、この阪神大賞典1年ぶりの勝利を挙げたばかりだった。そして、マヤノトップガンが2.8倍の2番人気となる。菊花賞有馬記念連勝古馬初戦阪神大賞典ナリタブライアンアタマ敗れていた。対戦成績1勝1敗、共に年度代表馬である2頭に人気集中。特に馬番連勝式の2頭の組み合わせは、支持率37.5パーセント116億円が投じられているという「二強」状態であった一方サクラローレルは、この2頭との対決経験がなかった。3番人気評価は『優駿によれば真に実力評価されたというよりも、未知魅力買われたという要素大きかった。」と伝えられる1枠1番からスタートして、中団の内、ナリタブライアン近く追走スローペースの中、ナリタブライアンが2周目の向こう正面動き先行するマヤノトップガン接近最終コーナー手前では2頭が並び立っていた。サクラローレルナリタブライアン追って2頭の背後確保して最終コーナー通過直線入ってまもなく、ナリタブライアンマヤノトップガン下して先頭となっていたが、その後方外から末脚発揮ナリタブライアン差し切って差を広げ先頭入線した。GI勝利ナリタブライアンに2馬身半差をつけての優勝は「金星」(蔵内哲爾)と呼ばれるほど価値の高いものであった横山は「サクラローレルの力を信じて乗りました。それと4(最終コーナーで(ナリタブライアン直後につけられたのも勝因のひとつでしょうね。(中略想像以上末脚使ってくれました直線では相手中略)以上の瞬発力持っていましたね。(ナリタブライアン交わしたママ時に勝利を確信しました。(後略)」と述懐している。前年天皇賞(秋)サクラチトセオー勝利しており、境および谷岡牧場さくらコマース天皇賞秋春連覇。境は、グレード制導入以降史上3例目となる管理馬の連覇となり、別の管理馬で成し遂げたのは史上初めであった。また横山は天皇賞初勝利、父横山富雄1969年秋をメジロタイヨウで、1971年春をメジロムサシ勝利しており、伊藤正四郎正徳親子続いて史上2組目の天皇賞親子制覇となった。(レースの詳細第113回天皇賞参照。)

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天皇賞(秋)

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バブルガムフェロー」の記事における「天皇賞(秋)」の解説

11月3日行われる菊花賞は、四天王一角ダンスインザダーク勝利することになる。一方バブルガムフェローは、それに先立って10月27日天皇賞(秋)臨んだ岡部藤沢は、共にタイキブリザードブリーダーズカップクラシック参戦のためにカナダへ遠征しており、代わり騎手としてデビュー10年目GI未勝利騎手である蛯名正義起用される。藤沢は、蛯名対し受けて立つ競馬をして大丈夫だから」という「指示いたもの」(石田敏徳)だけを託して出国していた。蛯名が、初めバブルガムフェローに跨ったのは、レース当日パドックだった。 出走メンバー唯一の4歳馬として臨む。天皇賞(春)クラシック三冠ナリタブライアン破りGI勝利この年3戦3勝のサクラローレル重賞4連勝を含む6連勝通算9戦8勝のマーベラスサンデー。夏に宝塚記念勝利しGI3勝目挙げたマヤノトップガンなどの古馬勢が立ちはだかった揃った17頭は『優駿によれば中距離最高峰レースにふさわしい、ベストメンバー」だったという。サクラローレル2.5倍の1番人気、マーベラスサンデー4.0倍の2番人気であり、7.4倍の3番人気バブルガムフェロー評価だった。そしてマヤノトップガンは、8.1倍の4番人気であり、ここまでオッズ一桁台に支持されていた。 2枠4番得たバブルガムフェローは、好スタートから先行する。トウカイタロー、カネツクロス先導するスローペース3番手を追走した。直線では、外から追い込むマヤノトップガンマーベラスサンデーサクラローレルなどに追われる立場となった馬場中央持ち出し直線半ば抜け出したが、追う3頭の中では、マヤノトップガンが最も接近して並びかけてきた。しかし蛯名バブルガムフェローは、マヤノトップガン傍ら出向き併せて相手を挫かせた。他もバブルガムフェローには、及ばなかった。並びかけてきたマヤノトップガン突き放し、半馬身先着する形で決勝線通過する。 GI2勝目第1回1937年ハッピーマイト以来59年ぶり史上2頭目出走復活してから史上初めてとなる4歳馬による天皇賞制覇を果たす。蛯名は、入線直後ガッツポーズをしてGI勝利至っている。蛯名は、前年天皇賞(春)にてステージチャンプ騎乗した際、ライスシャワーとほぼ同時入線。その直後ガッツポーズをしたが、2着だったことがあり、それを乗り越えてGIタイトル奪取だった。カナダ藤沢は、タイキブリザード敗退直後夜にホテルからの国際電話受話器越しに、天皇賞の実況聞いていたという。また映像確認したのは帰国飛行機だった。 その後岡部舞い戻って11月24日ジャパンカップGI)に2番人気で臨むも、終い伸びずに後退13着に敗退する。デビュー以来初めてとなる二桁着順となった直後、ある記者岡部対しバブルガムフェロー故障を心配して壊れたとかではないんですね」と訊いていた。それに対し岡部は「壊れたのは、馬の頭だよ」と切り出し、走る気がなかったと振り返っている。その後有馬記念回避しこの年終えたこの年JRA賞では、全183票中40票を集めて最優秀4歳牡馬第3位同じく1票で年度代表馬次点となった

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天皇賞(春)(4歳5月)

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ヒシミラクル」の記事における「天皇賞(春)4歳5月)」の解説

産経大阪杯から1カ月後の5月4日天皇賞(春)GI)に出走出走馬18頭のうち、GI優勝馬ヒシミラクルダンツフレームのみであり、河村清明によれば「層がかなり薄い」メンバー構成だったという。しかしヒシミラクルは、単勝オッズ16.1倍の7番人気留まり直前阪神大賞典で初重賞勝利果たしたダイタクバートラムや、金鯱賞優勝馬ツルマルボーイ中山金杯優勝馬一昨年菊花賞2着馬トーホウシデンなどよりも軽視される存在となっていた。 スタートから後方追走菊花賞同じよう京都第3コーナー坂の上下り利用して追い上げ先行集団取り付いて最終コーナー通過した直線まもなく、すべてかわし、後続追い上げ振り切り、先頭入線後方に半馬身差をつけてGI2勝目。『優駿』には「菊花賞再現ともいえるレース運び」と評された。 1998年メジロブライト以来となる父内国産馬による天皇賞(春)優勝。前走7着からの優勝は、天皇賞(春)史上最も大きな巻き返しとなった角田は「大阪杯負けはしましたが、いい負け方というか次につながるレースをしてくれたので自信持っていました成績成績なだけにやっぱり人気はありませんでしたが、1番人気より1着ですね。」と述べている。その後佐山は、持続力のある末脚活かせるような直線コース長い東京競馬場安田記念参戦目指す宣言。しかし、疲労の面でそれを断念し宝塚記念進んだ

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天皇賞(秋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:51 UTC 版)

シンボリクリスエス」の記事における「天皇賞(秋)」の解説

10月27日天皇賞(秋)GI)は、東京競馬場改修工事のため、1967年以来35年ぶり2度目となる中山競馬場での開催となった出走メンバーは、シンボリクリスエス除いてすべて古馬であった牝馬二冠を含むGI3勝、札幌記念GII優勝から臨む4歳牝馬テイエムオーシャン単勝オッズ4.9倍。菊花賞優勝馬この年GII3戦3勝、6歳牡馬ナリタトップロード5.1倍。シンボリクリスエス6.5倍の3番人気であった。 「好スタート」(阿部)から、18頭中6番手という中団、馬場の最も内側位置第3コーナーから、後方勢が位置上げて馬群密集したシンボリクリスエス変わらず中団で、前方ブレイクタイムイブキガバメント阻まれるなど、馬群囲まれながら最終コーナー通過した直線では、テイエムオーシャン抜け出し、それにブレイクタイム並びかけ、ブレイクタイムイブキガバメントの間に隙が生まれた進路得たシンボリクリスエスは、そこから追い上げ開始末脚見せて抜け出したシンボリクリスエス後方待機し直線外から追い込んだナリタトップロードに4分の3馬身差をつけ、先頭入線GI勝利となった3歳馬による優勝は、1937年ハツピーマイト1996年バブルガムフェロー続いて史上3頭目外国産馬による優勝は、前年アグネスデジタル続いて史上4頭目デビュー9戦目での優勝は、バブルガムフェローの7戦に次ぐ史上2位記録であった。また走破タイム1分58秒5は、コースレコードタイであった藤沢バブルガムフェロー以来2勝目加えて岡部は、1990年ヤエノムテキ以来となる天皇賞(秋)2勝目であった。また岡部はこの時53歳11か月であり、史上最年長GI勝利記録樹立した。さらにシンボリ牧場系列にとっては、1967年スピードシンボリ1985年春のシンボリルドルフ以来3度目天皇賞優勝であった。 それから11月24日同じく中山競馬場行われたジャパンカップGI)に、オリビエ・ペリエ乗り替わって出走外国調教馬7頭を迎えたこの競走は、4番人気まで日本調教馬占めシンボリクリスエス単勝オッズ3.4倍の1番人気。以降人気は、ナリタトップロード前年優勝馬天皇賞(春)2着から臨むジャングルポケットノーリーズン続いたシンボリクリスエスは、発馬機内で暴れて出遅れ後方位置最終コーナーにて外から追い上げたが、内から伸びる外国調教馬2頭、9番人ファルブラヴ11番人気サラファン争いクビ届かず3着となったオリビエ・ペリエは「ジャパンカップではゲートで隣の馬がうるさくて出遅れてしまった」ことを敗因としている。

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天皇賞(秋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:51 UTC 版)

シンボリクリスエス」の記事における「天皇賞(秋)」の解説

秋は11月2日東京競馬場天皇賞(秋)始動、再びペリエ乗り替わった単勝オッズ2.7倍の1番人気に推され人気ヨーロッパ遠征帰国初戦ローエングリン香港を含むGI級3勝のエイシンプレストンアグネスデジタルツルマルボーイ続いた。 不利とされる大外から発走する。ローエングリンとゴーステディがハナを争う一方馬群外側、中団に位置したハナ争った2頭は、後続20馬身差をつける大逃げとなり、1000メートルを56.9秒で通過するハイペース形成直線では、逃げる2頭が失速し、追う後続優勢となったシンボリクリスエスは、進路を外から内に切り替えて末脚発揮、他の後続勢を上回る脚で抜け出した以後先頭守って入線最後方で待機し大外から追い込んだツルマルボーイに、1馬身半差をつけて勝利した。 GI3勝目史上初め天皇賞(秋)連覇となった。また走破タイム1分58秒0は、コースレコード樹立改修前の旧コース1999年スペシャルウィーク記録したレースレコードに並ぶものであった加えてペリエ天皇賞(秋)勝利となり、外国人騎手が天皇賞を制したのは史上初めてのことであったペリエ前年騎乗した際に感じた悪癖見られなかったことから「馬に乗っているというよりも空を飛んでいるような感じでした。」と述べている。 続いて11月30日東京競馬場ジャパンカップ出走外国調教馬9頭を含む18頭が参戦する中、単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された。スタートから中団につけ、第3コーナーからは常にペリエにより促され続けた直線では大外から追い込んだが、抜け出すことはできなかった。単騎逃げタップダンスシチー逃げ切り許し、9馬身上後れを取る3着。タップダンスシチー2位に9馬身差をつけて入線グレード制導入され1984年以降GI競走史上最大着差での優勝果たしている。

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天皇賞(秋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:02 UTC 版)

第39回ジャパンカップ」の記事における「天皇賞(秋)」の解説

詳細は「第160回天皇賞」を参照 2019年10月27日 第160回天皇賞(秋) (GI)天候:晴、馬場状態:良着順馬名性齢騎手斤量タイム着差人気1アーモンドアイ 牝4 C.ルメール 56 1:56.2 1 2ダノンプレミアム 牡4 川田将雅 58 1:56.7 3馬身 0.5 3 3アエロリット 牝5 戸崎圭太 56 1:56.7 クビ 0.5 6 4ユーキャンスマイル 牡4 岩田康誠 58 1:56.8 クビ 0.6 7 5ワグネリアン 牡4 福永祐一 58 1:56.8 クビ 0.6 2 7スワーヴリチャード 牡5 横山典弘 58 1:57.1 0.9 5 10マカヒキ 牡6 武豊 58 1:57.6 1.4 8 アーモンドアイ・ダノンプレミアムの4歳牡馬牝馬エースの再決戦ムード中行われた第160回天皇賞は、アーモンドアイ完勝ダノンプレミアム以下は3馬身以上引き離され完敗終わった上位陣からはユーキャンスマイルワグネリアン、他にスワーヴリチャードマカヒキ出走ワグネリアン福永祐一騎乗停止により、京阪杯でエイシンデネブに騎乗予定があった川田将雅テン乗り騎乗することになった

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天皇賞(春)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:27 UTC 版)

TTG」の記事における「天皇賞(春)」の解説

京都記念鳴尾記念連勝波に乗ったテンポイントが、見事1番人気に応え悲願のタイトル獲得。だが、トウショウボーイ長期休養中不参加と言う不満が残る勝利であった

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天皇賞(秋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:27 UTC 版)

TTG」の記事における「天皇賞(秋)」の解説

トウショウボーイグリーングラス激しく競り合い共倒れ優勝馬ホクトボーイ

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天皇賞(春)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:12 UTC 版)

第62回宝塚記念」の記事における「天皇賞(春)」の解説

着順馬番競走馬名性齢騎手斤量タイム着差単勝オッズ人気1着 1 ワールドプレミア 牡5 福永祐一 58 3:14.7 5.20 3 212 ディープボンド 牡4 和田竜二 58 3:14.8 3/4 3.600 1 3着 3 カレンブーケドール 牝5 戸崎圭太 56 3:15.2 2 7.3 4 6着 5 ディアスティマ 牡4 坂井瑠星 58 3:15.6 クビ 12.6 7 7着 7 ユーキャンスマイル 牡6 藤岡佑介 58 3:16.2 3.1/2 12.000 5 17着 9 ジャコマル 牡7 横山和生 58 3:16.6 2.1/2 153.9 15 天候:晴、馬場状態:良2021年5月2日行われた163回天皇賞(春)はワールドプレミア制覇ディープボンドが2着、カレンブーケドール3位それぞれ入着した。

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