ビワハヤヒデとは? わかりやすく解説

ビワハヤヒデ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 00:32 UTC 版)

ビワハヤヒデ(欧字名:Biwa Hayahide1990年3月10日 - 2020年7月21日)は、日本競走馬種牡馬[1]


ビワハヤヒデ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 カロ系フォルティノ系
[§ 2]

*シャルード
Sharrood
1983 芦毛
アメリカ
父の父
Caro
1967 芦毛
アイルランド
*フォルティノ
Fortino
Grey Sovereign
Ranavelo
Chambord Chamossaire
Life Hill
父の母
Angel Island
1976 黒鹿毛
アメリカ
Cougar Tale of Two Cities
Cindy Lou
Who's to Know Fleet Nasrullah
Masked Lady

*パシフィカス
Pacificus
1981 鹿毛
アメリカ
Northern Dancer
1961 鹿毛
カナダ
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
母の母
Pacific Princess
1973 鹿毛
アメリカ
Damascus Sword Dancer
Kerala
Fiji Acropolis
Riffi
母系(F-No.) 13号族(FN:13-a) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah 5×5(父内) [§ 4]
出典
  1. ^ 血統情報:5代血統表|ビワハヤヒデ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年8月27日閲覧。
  2. ^ ビワハヤヒデの血統表”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2021年8月27日閲覧。
  3. ^ 血統情報:5代血統表|ビワハヤヒデ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年8月27日閲覧。
  4. ^ 血統情報:5代血統表|ビワハヤヒデ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年8月27日閲覧。

注釈

  1. ^ 他の著名な福島県産馬には1974年に牝馬二冠を制したトウコウエルザなどがいる。
  2. ^ 肌=繁殖牝馬。この場合は母の父(パシフィカスの父)がノーザンダンサーという意味。
  3. ^ 「ハヤ」は早田牧場の「早」ともされる[9][3]
  4. ^ ジンクタモンオー(父:*コーモラント)、1991年の小倉3歳ステークスGIII)を制した[11]
  5. ^ 浜田によると中島は朝日杯での敗戦後にも騎手の交代を要求していたが、この時はビワハヤヒデが関東到着と同時に気持ちが萎縮してしまい、そのような状態で出走していたことを理由に岸をかばっていたため続投が決まっていた[13]
  6. ^ 1600m前後の距離を得意とする馬。
  7. ^ なお、当時2戦2勝の成績であったクエストフォベストを岡部の本命視とする報道も多くされていたが、岡部は同馬について「いい素質があったけど、体力的にクラシックはきついだろうと思っていた」と述べている[21]
  8. ^ トウカイテイオーは翌年故障し、結果としてこれが最後の出走となった。
  9. ^ a b 当年は京都競馬場の改修工事のため、阪神競馬場で開催。
  10. ^ 共同通信杯4歳ステークスは本来京都記念と同じ土曜日に行われる予定であったが、積雪によって施行日が1日順延したため、兄弟による同日重賞制覇とはならなかった。
  11. ^ 掛かる、引っ掛かる=抑えようとする騎手の手綱に反し、ペース配分ができないこと。
  12. ^ タイキシャトルのたてがみを切断した犯人は、翌2020年3月27日に埼玉県川口市に住む55歳の女性が器物破損容疑で逮捕された[82]
  13. ^ 浜田曰く「全体の80%が女性ファン」だったといい、段ボール5箱分のファンレターが届いたという[60]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q ビワハヤヒデ”. www.jbis.or.jp. 2021年7月15日閲覧。
  2. ^ 木村(1998)p.145
  3. ^ a b 『優駿』2002年11月号、p.59
  4. ^ a b 『優駿』2009年2月号、p.63
  5. ^ a b 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.4
  6. ^ a b 『忘れられない名馬100』pp.176-177
  7. ^ a b 『名馬列伝ビワハヤヒデ』p.88
  8. ^ a b c d e 渡辺(1999)pp.209-211
  9. ^ a b 木村(1997)p.13
  10. ^ a b c 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.11
  11. ^ ジンクタモンオー”. www.jbis.or.jp. 2021年7月15日閲覧。
  12. ^ a b c d 『名馬物語 The Best Selection』pp.116-119
  13. ^ a b c d e f g 渡辺(1999)pp.204-208
  14. ^ a b c d e f g 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.89-90
  15. ^ 木村(1997)p.14
  16. ^ a b c 木村(1997)p.15
  17. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.13
  18. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.20-21
  19. ^ a b 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.22-23
  20. ^ 『優駿』2002年11月号、p.61
  21. ^ a b 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.34
  22. ^ a b 『名馬列伝 クラシック93』p.20
  23. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.26-27
  24. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.15
  25. ^ a b c 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.28-29
  26. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.17
  27. ^ 渡辺(1999)pp.218-219
  28. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』p.6
  29. ^ a b 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』pp.18-19
  30. ^ 『名馬列伝 クラシック93』p.26
  31. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』p.8
  32. ^ 渡辺(1999)p.227
  33. ^ 吉沢(1997)p.81
  34. ^ 吉沢(1997)p.84
  35. ^ a b c 『名馬物語 The Best Selection』pp.120-123
  36. ^ a b c 渡辺(1999)pp.230-231
  37. ^ a b 『夢はターフを駆けめぐる10』p.162
  38. ^ 『名馬列伝 クラシック93』p.57
  39. ^ a b 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.32-33
  40. ^ a b c 『名馬列伝 クラシック93』p.30
  41. ^ a b 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.25
  42. ^ a b 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.34-35
  43. ^ a b 『名馬列伝 クラシック93』p.32
  44. ^ 吉沢(1997)pp.82
  45. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』p.92
  46. ^ a b 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.37
  47. ^ a b 吉沢(1997)p.89
  48. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.24
  49. ^ 木村(1997)p.21
  50. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』p.93
  51. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.8
  52. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.26
  53. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.38-39
  54. ^ 『さようならナリタブライアン全書』p.20
  55. ^ 橋本(1997)pp.77-80
  56. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.40-41
  57. ^ a b 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.29
  58. ^ a b 杉本(1995)pp.29-30
  59. ^ a b 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.42-43
  60. ^ a b 『名馬列伝ビワハヤヒデ』p.94
  61. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.30
  62. ^ a b 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.44-45
  63. ^ a b c d 『名馬列伝ビワハヤヒデ』p.95
  64. ^ 『優駿』1994年9月号、p.8
  65. ^ 『優駿』1994年11月号、pp.32-33
  66. ^ 『優駿』1994年11月号、p.31
  67. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』p.134
  68. ^ 『優駿』1995年1月号、p.174
  69. ^ a b c d 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.35
  70. ^ a b c d 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.33
  71. ^ 『優駿』2009年2月号、p.68
  72. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.46-47
  73. ^ 杉本(2001)p.116
  74. ^ 杉本(1995)p.96
  75. ^ a b 『優駿』1995年8月号、p.42
  76. ^ a b 『優駿』1998年8月号、p.52
  77. ^ a b 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.49
  78. ^ 菊花賞馬ビワハヤヒデが種牡馬を引退”. netkeiba.com (2006年1月22日). 2014年1月19日閲覧。
  79. ^ 『優駿』2010年9月号、p.111
  80. ^ 菊花賞ビワハヤヒデも被害 たてがみ切り取られる 4頭目”. sankei.com. 産経新聞. 2019年12月1日閲覧。
  81. ^ タイキシャトルとローズキングダムのたてがみ切られる きょうから見学一時中止、予約は個別に対応”. hochi.news. スポーツ報知. 2019年12月1日閲覧。
  82. ^ 名馬のたてがみを切断した疑い 55歳女を逮捕 北海道 日高町 at the Wayback Machine (archived 2020年3月27日)
  83. ^ ウイニングチケットのたてがみ切られメルカリ出品”. nikkansports.com. 日刊スポーツ. 2019年12月1日閲覧。
  84. ^ 今度はビワハヤヒデ!たてがみ切り取られる被害”. sponichi.co.jp. スポーツニッポン. 2019年12月1日閲覧。
  85. ^ ビワハヤヒデ死す 93年菊花賞などG1を3勝”. 日刊スポーツ. 2020年7月21日閲覧。
  86. ^ ビワハヤヒデ逝く 老衰のため30歳で…93年の年度代表馬も種牡馬としては重賞勝ち産駒なく05年に引退していた 中日スポーツ 2020年7月21日 13時24分(2020年7月21日閲覧)
  87. ^ ビワハヤヒデの競走成績”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2020年7月23日閲覧。
  88. ^ 『優駿』1998年5月号、p.52
  89. ^ a b 吉沢(1997)pp.85-86
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  92. ^ a b 岡部(2006)p.130
  93. ^ 『Sports Graphic Number PLUS』p.22
  94. ^ a b 『サラブレッド怪物伝説・平成版』p.54
  95. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』p.104
  96. ^ よしだ(2000)p.74
  97. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』p.39
  98. ^ 橋本(1997)p.138
  99. ^ 『臨時増刊号Gallop'94』p.48
  100. ^ 『さようならナリタブライアン全書』p.27
  101. ^ a b 島田(2004)pp.16-18
  102. ^ 『臨時増刊号Gallop'94』p.63
  103. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』pp.82-83
  104. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』p.99
  105. ^ 杉本(1995)pp.181-182
  106. ^ a b 大川(1999)p.137
  107. ^ 伊藤(1995) p.71
  108. ^ 『名馬列伝ビワハヤヒデ』p.74


「ビワハヤヒデ」の続きの解説一覧

ビワハヤヒデ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:07 UTC 版)

馬なり1ハロン劇場」の記事における「ビワハヤヒデ」の解説

天然ボケ性格現実同じく当初は赤いメンコトレードマークとなっていた。古馬となってからは弟・ナリタブライアンとのネタ増加当時規定天皇賞出走できない騸馬マーベラスクラウンに「天皇賞会おうと言ったりと、古馬になって天然ボケは変わらなかった。幼馴染同期生のビワミサキに密かに想い寄せていた。

※この「ビワハヤヒデ」の解説は、「馬なり1ハロン劇場」の解説の一部です。
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