三強対決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 00:39 UTC 版)
「1993年の日本競馬」の記事における「三強対決」の解説
牡馬クラシック路線はウイニングチケット・ビワハヤヒデ・ナリタタイシンの三強対決で盛り上がった。ビワハヤヒデは前年の朝日杯3歳ステークスに次いで年明け緒戦の共同通信杯4歳ステークスも2着に終わり、騎手を岸滋彦から岡部幸雄に変更してクラシックに進むこととなった。弥生賞ではウイニングチケットが完勝し、ナリタタイシンは2着。皐月賞は若葉ステークスを勝ち上がったビワハヤヒデとの2強といったムードになったが、少し離れた3番人気のナリタタイシンがゴール前での強烈な追い込みで、粘り込むビワハヤヒデを交わす。ウイニングチケットが4着に終わった。そして迎えた東京優駿では、ウイニングチケットが雪辱を果たして、柴田政人が念願のダービージョッキーに輝き、ビワハヤヒデは2着、ナリタタイシンは3着に終わったが、三強が他馬を圧倒し、見ごたえのあるレースとなった。 秋にかけて、ビワハヤヒデは特に気性面で大きな成長を遂げ、神戸新聞杯を完勝。ウイニングチケットも京都新聞杯を勝って菊花賞に駒を進めたが、ナリタタイシンは肺出血で順調さを欠いた。そしてクラシック最後の大一番・菊花賞では、春無冠にも関わらず1番人気に支持されたビワハヤヒデがレコード勝ちで5馬身差の圧勝劇を演じ、雪辱を果たした。ウイニングチケットは3着に終わり、ナリタタイシンは17着と惨敗した。 ウイニングチケットはジャパンカップこそ3着とまずまず健闘したが、有馬記念は11着と惨敗。ビワハヤヒデは有馬記念では1年ぶりの出走となったトウカイテイオーに屈し2着に終わったが、この年のJRA賞年度代表馬に選出された。
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