ワンドロップ・ルール
ワンドロップ・ルール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 01:27 UTC 版)
「アフリカ系アメリカ人」の記事における「ワンドロップ・ルール」の解説
1967年まで、一部の州では、ワンドロップ・ルールというものが使われていた。これは、16分の1、つまり自分の曽祖父に一人でもアフリカ系黒人がいれば差別の対象者の一人とされていた。例え欧米系白人の血の方が濃くても黒人に分類されるという考えである。そのため、欧米系白人とアフリカ系黒人の間に生まれた子供も多くが奴隷として売られていった。例えば、第3代アメリカ合衆国大統領トマス・ジェファーソンが所有する奴隷であったサリー・ヘミングスは、4分の1だけ黒人の血を引いていた。外観はほとんど白人に近く、真っ直ぐな髪を背中に垂らしていたが、奴隷とされていた。ケニア出身のアフリカ系黒人の父とアメリカ出身の欧米系白人の母を持つバラク・オバマが「アメリカ史上初の黒人大統領」と呼ばれている事からも分かるように、奴隷制度が無くなった現代でもこの考え方は無くなっていない。有色人種と欧米系白人の間に生まれた子供は自動的に有色人種に分類される事が多い。オバマは若い時期をインドネシアやハワイで過ごしており、本土の多くの黒人とは事情が少し異なるのも事実である。 南北戦争以前の奴隷制廃止州であっても、黒人の公民権・公立学校就学・異人種間結婚を禁止、または制限する「黒人法令」が制定されていたり、黒人の血を4分の以上ひいている人間を州内に連れ込むことを禁止した特別令を出している自由州(en:Slave and free states)はあったが、終結の後の奴隷解放で南部の多くの州でも、「白人」と「黒人」の「違い」を無理矢理維持するために、奴隷解放令以前の南部には無かった「異人種結婚禁止法」が作られる。1913年時点には、48州中で32州で、白人と黒人の結婚と性交渉は法律で禁止されていた。1952年でも、48州のうち、29州に「異人種結婚禁止法」があった。アフリカから連れて来られた奴隷の血が一滴でも混じると「黒人」とされた。白人が黒人をレイプして産まれた子供も黒人になり、南部では公共の場で人種隔離が続き、生活のあらゆる面で誰が黒人で誰が白人か、線引きされた。それによって、黒人は「一滴の血」による奴隷の過去と差別を共有する強いグループ意識を持つようになった。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が登場し、彼の行いが起源となってアメリカ各地で黒人の平和的な解放運動が始まった。 現在のアフリカ系アメリカ人は他国のアフリカ系に比べると混血化が進んでおり、全体の約58%が8分の1以上、19.6%が4分の1以上、1%が2分の1以上白人の血が、5%が8分の1以上ネイティブ・アメリカンの血がそれぞれ混じっていると言われている。
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