ルイ16世 (フランス王)
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ルイ16世(フランス語: Louis XVI、1754年8月23日 - 1793年1月21日)は、ブルボン朝第5代のフランス国王(在位:1774年5月10日 - 1792年8月10日)。ナバラ国王としてはルイス5世(バスク語: Luis V.a)。ルイ15世の孫。王妃は神聖ローマ皇帝フランツ1世と皇后マリア・テレジアの娘マリー・アントワネット。曽祖父はブルゴーニュ公ルイ、高祖父はグラン・ドーファン。
注釈
- ^ 前者は「Roi de France」、後者は「Roi des Français」。フランス人の王を名乗ったのは、ルイ16世以外では、ルイ=フィリップ1世のみ
- ^ マリー・アントワネットのドイツ語形(Maria Antonia)
- ^ ルイ16世は日記をつけており、狩りや大工仕事、錠前いじりなどの趣味には詳しく書いていた[1]。
- ^ これは新人議員であった彼の公会での最初の演説であったため「サン=ジュストの処女演説」とも呼ばれる。訳文は桑原 1961, pp.304-309
- ^ これは傍聴人が怒声を浴びせるなかであり、議場の外には武装したサン=キュロットが待ち構えている。下手な発言をした議員は生命の危険もあって、穏便に収めたいと考える派閥には不利な投票方法だった。それまで国王処刑に反対していた議員が、突然態度を翻して、賛成票を入れて国王弑逆者になったのは、こういう背景がある。反対票を入れるのは必死の覚悟がいった。ゆえに王政復古後には、反対票を入れた少数の忠義者は英雄視されることになる
- ^ ジロンド派やフイヤン派などは、この第二回投票が可決されることを予想して、第一回投票で賛成に回っていた。意外な大差での否決は彼らの戦略を混乱させた
- ^ 「マイユ条項」というものは第三回投票で最初に壇上に登った議員マイユが主張したもので、彼は無条件の死刑に賛成としながらも、付加条件をつけ、もし死刑賛成が最多数を占めた場合には死刑を延期すべきかを国民公会で改めて討議するとした。これは執行猶予付きの死刑と同じに誤解されやすいが、延期は無条件死刑の確定という主文を前提とするものであり、延期の提案と判決とは“切り離されたもの”とされ、判決の内容に執行猶予が盛り込まれる執行猶予付き死刑とは異なる。また次に明記されているように、執行猶予付き死刑の46票はその他の刑として計算されている
- ^ 革命戦争終結まで捕虜として禁錮刑とし、終戦後に追放するというもの
- ^ 当時のアンジュー通りの角で、寺院の敷地の外であり、パリ8区にある現在のマドレーヌ寺院とはかなり離れている。贖罪教会は旧敷地の一部に立ち、ルイ18世が兄夫妻の冥福を祈って建てさせたものである
- ^ 1794年3月25日に閉鎖されていた
- ^ この地権者は1802年に購入したものであり、正しく埋葬地を知っていたわけではなかったが、一時期、見物料を取っていたために、このような囲いがあった
出典
- ^ 井上ひさし『この人から受け継ぐもの』(岩波書店 2014年)pp.142-151「ルイ十六世の笑い」参照)。
- ^ 桑原 1961, p.221
- ^ 桑原 1961, pp.221-223
- ^ 『マルゼルブ フランス一八世紀の一貴族の肖像』木崎喜代治著、岩波書店、1986年、pp.334-337
- ^ a b c 桑原 1961, p.225, 定数および欠席に関しては後述の別資料より
- ^ 桑原 1961, pp.224-225
- ^ a b 専修大学人文科学研究所, (編) (1998年), 「フランス革命とナポレオン」, 未来社, ISBN 4-624-11169-9。河野(編)「資料フランス革命」との数字の違いは、一次資料の当時の集計そのものの誤り(重複・似た人名の取り違えなど)とのこと。「資料フランス革命」は一次資料の翻訳がそのまま掲載されている
- ^ a b 河野 1989, pp.319-322
- ^ 芝生 1989、ほか異口同義の記述は多数の書籍にみられる
- ^ マイユ条項の提案の厳密なる文章解釈から、死刑そのものに賛成であったことは疑いの余地はない。マイユ条項の支持者は、延期だけでなく促進も考慮するように検討を要請したのであり、彼らの懸念はいつ殺すのが適当かということであって、できれば刑の執行を延期して有名無実にしたいと思っていたわけではない。逆に死刑判決を確定しつつ減刑の可能性が出てくる平和の実現まで延期させようと主張した人々が2名いたが、これは執行猶予付き死刑の集計に含まれたのであって、マイユ条項の支持者とは数えられていない
- ^ プティティスジャン=クリスチャン; 玉田敦子; 橋本順一; 坂口哲啓; 真部清孝; 小倉孝誠『ルイ十六世 上』中央公論新社、2008年。ISBN 978-4120039584。
- ^ “ルイ16世の遺言書、直筆原本を発見”. www.afpbb.com (2009年5月21日). 2020年5月3日閲覧。
- ^ a b “ルイ16世の直筆遺言、米で発見/逮捕直前に執筆”. 四国新聞社 (2009年5月20日). 2020年5月3日閲覧。
- ^ Ratoff, Gregory; Welles, Orson (1949-08-19), Black Magic, Orson Welles, Nancy Guild, Akim Tamiroff, Edward Small Productions 2023年10月15日閲覧。
- ^ “ルイ16世に転生してしまった俺はフランス革命を全力で阻止してアントワネットと末永くお幸せに暮らしたい1 | サーガフォレスト | 一二三書房公式サイト”. 一二三書房公式サイト | なろう系ノベル「サーガフォレスト」、ライトノベル「ブレイブ文庫」、Webコミック「コミックポルカ」など様々なレーベルを発行している出版社です。 (2020年8月17日). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “ルイ16世に転生してしまった俺はフランス革命を全力で阻止してアントワネットと末永くお幸せに暮らしたい【WEB連載版】”. 小説家になろう. 2023年6月24日閲覧。
- ^ “踊る!アントワネットさま 1巻 |無料試し読みなら漫画(マンガ)・電子書籍のコミックシーモア”. www.cmoa.jp. 2023年1月12日閲覧。
- ^ “連載シリーズ - コミックポルカ”. コミックポルカ - 毎週金曜夕方更新!. 2022年12月29日閲覧。
- ^ スカーレッドG; いの (2022). ルイ16世に転生してしまった俺はフランス革命を全力で阻止してアントワネットと末永くお幸せに暮らしたい. 東京: 一二三書房
- ^ “ルイ16世に転生してしまった俺はフランス革命を全力で阻止してアントワネットと末永くお幸せに暮らしたい 無料試し読みなら漫画(マンガ)・電子書籍のコミックシーモア|検索結果一覧”. www.cmoa.jp. 2022年12月29日閲覧。
- 1 ルイ16世 (フランス王)とは
- 2 ルイ16世 (フランス王)の概要
- 3 子女及び子孫
- 4 ルイ16世が登場した作品
- 5 脚注
ルイ16世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/04 21:13 UTC 版)
逞しい国王。貴族にしては珍しいパワー型の闘士。威厳があり、真っ直ぐな人間だが、国王としての自分と父親としての自分に板挟みになる。嘘を病的に嫌って(一度嘘をつこうとした結果熱病にうなされてしまった過去がある)つけない代わりに、他者の嘘を絶対に見抜くことができる。それ故に、聞きたくない本音を知ってしまい苦悩することもある。マリー・アントワネットのことを心から愛しているが、祖父のルイ15世が性に関して奔放であったため、色事を不潔と嫌悪してしまっている。ギデオンとの対話により、そのことでマリー・アントワネットを傷つけてしまったと気付き深く後悔した。趣味は錠前作り。鍛冶に使うハンマーでの攻撃はとてつもない破壊力をもつ。
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ルイ16世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 19:50 UTC 版)
ブルボン朝第5代のフランス国王(在位:1774年5月10日 - 1792年8月10日)。ナバラ国王。
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ルイ16世
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「ナポレオン -獅子の時代-」の記事における「ルイ16世」の解説
フランス国王。鈍感ながら温厚なる善人として描かれており、王党派はむろんロベスピエールにまで慕われていた。作中ならびに史実における遺言「私は罪なくして死す」の通り、いかなる違法行為も問われぬまま「王であること(王権を以て人民から主権を奪うこと)」の罪を負って処刑された。
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ルイ16世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:12 UTC 版)
フランス国王。アントワネットの夫。祖父ルイ15世の崩御により即位。趣味は読書と鍛冶と狩猟。小太りでおとなしく優柔不断だが、真面目で家庭的な優しい性格で、国民からも慕われていた。しかし、ヴァレンヌ事件をきっかけに国民の信頼を失って処刑される。タンプル塔へ移される直前、フェルゼンから再び逃亡計画を持ちかけられるものの、国民はおろか国外へ逃亡した貴族達からも見放された事から、「もはや私は 世界中から見捨てられてしまった…」とつぶやいていた。
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ルイ16世
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エピソード2 - 5に登場。本編同様、エピソード2では王太子時でのパリ訪問。エピソード3はマリー・テレーズの会話のみ。エピソード4ではヴァレンヌ事件後にパリへ移動時にかなり小さく登場。エピソード5、エピソード7ではフランスの戴冠式時に登場する。
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ルイ16世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:12 UTC 版)
前述の通り、かなりの相撲好き。それが長じてベルサイユの一角にこっそりとマイ土俵を作ってしまったほどである。
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ルイ16世
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「マリー・アントワネットの料理人」の記事における「ルイ16世」の解説
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