ライブ活動の終了
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「ビートルズの解散問題」の記事における「ライブ活動の終了」の解説
1966年8月29日、ビートルズは同年の夏から開始したツアーの最終公演としてサンフランシスコのキャンドルスティック・パークでライブを行った。メンバーは本ツアー中、様々なトラブルに見舞われ、1964年から1965年にかけて問題なくツアーを行ってきたメンバーにとって、この経験が非常に辛かったという。 ライブ活動を終了させる考えは日本公演時から既に決まりつつあったという。日本武道館での公演時は騒動ともなり、同年6月5日に放送されたTBS系列局の討論番組『時事放談』では小汀利得が、「大体ね、あんな気違い共の為に武道館を使わせるなんて、以ての外だよ。ゴミ溜めの夢の島でやらせりゃいいんだ。」と発言。このように「神聖な場所」と考える人々の反対にも関わらず公演は予定通り実施された。コンサートは1966年6月30日から7月2日まで計5回行われたものの、警備上の制限もあり非常に静かな観客の前で行われた。 ハリスンは『ザ・ビートルズ・アンソロジー』において日本公演を振り返り、「全体的に静かだった」と話している。普段は観客の叫び声や歓声によって演奏の様子すら聞くことが出来なかったメンバーにとって、日本の観客の静かさはその演奏を確認させることとなり、演奏能力が低下したように感じたという。 日本公演の数日後、メンバーはフィリピンを訪れる。しかし、警察がホテルから立ち去る許可を与えなかったほか、ライブの後に、大統領夫人のイメルダ・マルコスが自らの家族や友人のためにパーティーを開催、ビートルズもこのパーティーに招待されたが、メンバーもマネージャーのブライアン・エプスタインもその事実を知らされておらず不参加となった。 翌朝の新聞ではビートルズが「ファーストレディに肘鉄を食らわした」と報じられた。このことに腹を立てた民衆は暴動を引き起こし、ビートルズはフィリピンから脱出することを決行。また、リンゴ・スターは飛行機に乗ろうとした際に肋骨に怪我を負い、他のメンバーも負傷した。メンバーの機材は失われたほか、コンサートの収益はすべて課税され、何名かのメンバーは空港での乱闘後にそのまま取り残されたという。また、スターはその後のインタビューで「動物並みの待遇を受けた」と皮肉交じりに語っている。 ツアー終了後ハリスンは幾つかの理由を挙げ、エプスタインにビートルズの脱退を申し入れた。その理由に関しては、音楽を創造したいという願望、そして、1960年代中頃から発達した録音技術によって作られた曲をライブ演奏する際の技術的な制限との葛藤から生じた不満があったというが、彼の申し入れは却下。その後、ビートルズは大きな路線変更を行うこととなる。
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