ファナリオティス
ファナリオティス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 19:20 UTC 版)
「トルコクラティア」の記事における「ファナリオティス」の解説
ギリシャ人らはキリスト教という範囲だけで影響力を手に入れたわけではなかった。世俗的な部分でもギリシャ人らは影響力を持っており、その有力者らは主にコンスタンティノープルのフェネル地区に居住したため、ファナリオティス(ファナリオット)と呼ばれた。ファナリオティスらは様々な言語を解していたため、オスマン帝国内でも通訳官としてその能力を発揮した。 当初はムスリムへ改宗したものを通訳官として用いていたが、17世紀以降、ラテン語、イタリア語を話すことができるギリシャ系正教徒らが通訳として用いられ始め、1699年に結ばれたカルロヴィッツ条約にアレクサンドロス・マブロコルダトス (en) が参加以降、御前会議主席通訳官(ディーヴァーニ・ヒューマユーン・パシュ・デルジュマヌ)の役職を独占していった。後にはオスマン艦隊の大都督の通訳官の職も得ることになった。 そして1709年、現在のルーマニア地域にあったワラキア公国、モルダヴィア公国のヴォイヴォダ(君侯)にニコラオス・マヴロコルダトス (en) が就任して以降、多少の例外はあったが、御前会議主席通訳官がヴォイヴォダに任命されるのが通例となって行った。ただし、これらの役職もマヴロコルダトス家 (en) 、カラジャス家、ムルジス家 (en) 、スツョス家、カリマヒス家、ギガス家 (en) などが独占していった。 さらにオスマン艦隊の大提督は地中海州の総督を務めていたが、この地域にはギリシャ系住民が大勢居住しており、その主席通訳官であるファナリオティスらは強い影響力を持つことになった。そしてロシアが台頭し、西欧諸国との交流が重要な位置を占めるようになると通訳を担当する彼らの地位も向上し、さらにはオスマン帝国内に設置された西欧諸国やロシアの大使館などの通訳を司るものまで現れた。これらの事はファナリオティスらがオスマン帝国の中でもっとも有力なギリシャ系臣民であることを意味していた。
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