ヒトラー『我が闘争』に見るナチスのプロパガンダ指針
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「ナチスのプロパガンダ」の記事における「ヒトラー『我が闘争』に見るナチスのプロパガンダ指針」の解説
1924年から1926年にかけて著した『我が闘争』で既にヒトラーは、後のナチのプロパガンダにとって核となる原型と指針を編み出していた。これによれば、プロパガンダが焦点を合わせるべきは専ら感情に他ならず、知能へは非常に限られた場合のみである、とされた。プロパガンダで必須なものとして「庶民が親しめるものであること、そして対象とする者のなかでも最も程度の低い者の受容力に合わせること」を挙げた。また「プロパガンダに学術講義のような多面性を与えようとすることは誤り」とした。プロパガンダと客観的であること、また真実であることは、操作する上でどのようにかかわるのか、ヒトラーははっきりと自己の考えを明らかにした。プロパガンダとは「真実が他者を利する限り、大衆に向かって教条的に正しく客観的にこれを追究するためではなく、絶え間なく大衆を自らの意のままにするためにある。」 広範な大衆に向けたプロパガンダの根本原則とは、ヒトラーによれば、テーマ、考え、結論を絞り、執拗に繰り返せばよい、とした。 ヴィクトール・クレンペラー(ドイツ語版)は、後に著書『第三帝国の言語「LTI」―ある言語学者のノート(ドイツ語版)』において、ナチスの言語とのかかわりについて述べた。結論としては、ナチスのレトリックが人々に影響を与えたが、これは個々の演説やビラなどによるものではなく、ナチ的イメージが刷り込まれた常に同じ概念や常套句を、判で押したように繰り返すことによるものであった、とした。
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