ノーパン喫茶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:41 UTC 版)
ウェイトレスが下着を穿かない状態(ノーパン)でミニスカートを穿くというスタイルで接客する成人向けの喫茶店。
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ノーパン喫茶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 04:25 UTC 版)
従業員が下着を履かない喫茶店。上半身はおっぱいを露わにし、下半身は見えそうで見えないがやはり見えるミニスカートと言うのが典型的なコスチュームで、最盛期には東京で200店舗近く、大阪でも100 - 140店舗以上が見られたという。 1978年または1981年、京都西賀茂で誕生したどどの諸説がある。別冊宝島の記述によると、1981年のサブカル・流行とある。『週刊現代』によれば、1978年10月に「ジャーニー」または「ジャニー」と言う店舗が開店したのが嚆矢だという。山本晋也は、発祥の地については大阪・福岡(『週刊新潮』によれば1979年、博多に「ピンク喫茶」)・京都(『週刊新潮』によれば1980年に博多の「ピンク喫茶」から飛び火して「ノーパン喫茶」が成立)・東京と諸説あり、よくわからないとする。その後1980年12月には大阪に「あべのスキャンダル」が開店した(『週刊現代』によれば、この店舗は、ノーパンラーメンやノーパン牛丼にも手を広げたと言う)。 『週刊現代』によれば、当初はノーパンにストッキングと言ういでたちが一般的であったが、サービスは過激化し、前張りで済ませる店舗や、従業員のスカートの下は何もなしの、正真正銘のノーパンと言う店舗もあったと言う。陰毛を剃っていなければセーフだ、いや陰毛はすぐに生えてくるから剃った部分も陰毛と見なすべきだ、などとの議論もあったという。 また、広岡はこの産業に個室と“抜き”、即ち射精に至る性的サービスが加わり、ファッションヘルスが産まれたとする。『週刊現代』も、客を射精させるようなサービスがあったとしている。 なお後述するイヴによれば、従業員の給与は2時間で6000円と、当時の貨幣価値からすれば高額と言えるものであった。 ノーパン喫茶の大流行は『週刊新潮』によれば、大阪天王寺駅近くの「スキャンダル」(前述した「あべのスキャンダル」と同一店舗であるかどうかは不明)からであったと言う。 1981年3月の週刊誌では、『週刊新潮』昭和56年3月5日号では関西を席巻したノーパン喫茶が東京進出、『週刊現代』3月12日号では大増殖したノーパン・トップレス喫茶の内幕、『週刊サンケイ』3月19日号ではノーパン喫茶突撃体験、などといった言及が見られていたという。 しかしブームは長くは続かず、『週刊サンケイ』が昭和56年7月16日号(1981年)ではノーパン喫茶は夏を越せないとされ、『週刊現代』(昭和58年5月14日号と思われる)によれば、1982年にはブームは鎮静化し、店舗数は最盛期の1/18程度になっていたという。 その後1984年の改正風俗営業法が施行されると、フロア+個室という業態に対する規定がないため、営業が認められなくなる。その際に少なくない店舗がファッションヘルスなどに転業した。 新宿歌舞伎町のノーパン喫茶嬢出身のイヴはテレビ番組トゥナイトで紹介されたほか、1983年9月に風俗雑誌に紹介され人気を博し、1984年には日活ロマンポルノにも出演した。 みうらじゅんによれば、1998年ごろに話題となったノーパンしゃぶしゃぶに比べ、利用者層は若い傾向があったという。 その他ノーパン喫茶以前の、セクシー系喫茶店として、イエロージャーナルに言及がある。同サイトによれば、永井荷風 1932年 『摘録 断腸亭日乗(上)』(岩波文庫)に「エロ喫茶」が紹介されており、「女給テーブルの下にもぐり込み、男の物を口に入れて気をやらせる由評判あり」というものであったと言い、これはピンサロの原点ではないかとしているが、その後『サンデー毎日』 昭和30年12月18日号 には「ヌード喫茶よ、さようなら」なる記事が確認でき、ヌード喫茶の嚆矢は1955年9月、大阪にできた店舗であり、従業員は下着を着けてはいたものの、その後3カ月で27店舗が立ち上げられたという。サービスの過激化も進んだが、公安委員会の介入により、大阪・京都・神戸の各ヌード喫茶は閉店の憂き目にあったとしている。 その後、『週刊平凡』昭和35年8月3日号では、「百円のセクシー・ムードはいかが?」との記事で、東京で「お色気喫茶が流行している」と報じられた。従業員の衣装は水着に近いものだったが、乳房や太ももに触れること、いわゆる「お触り」が可能であると紹介されていたらしい。『週刊朝日』 昭和42年11月10日号でも、「下着喫茶」が言及されている。
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