サッチウィーブ
サッチ・ウィーブ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:44 UTC 版)
日本海軍が開発した新鋭戦闘機「ジーク」(三菱零式艦上戦闘機・通称ゼロ戦のこと)の高性能に連合国軍は恐怖におののいたが、1941年9月22日の報告でその噂を耳にしたサッチは部下のオヘア少尉と対策を考え、集団戦術で対抗する事が有効だという結論に達した。この時サッチ自身はこの戦法を「ビーム・ディフェンス・ポジション」と命名していたが、アメリカ海軍はサッチにあやかり「サッチウィーブ」(サッチの機織り」)と命名、以後アメリカ海軍では航空戦集団戦術の代名詞となっている。サッチが実戦でテストしたのはミッドウェー海戦で、この時零戦1機を撃墜した。 1942年6月4日アメリカ海軍がアリューシャン列島アクタン島でほぼ完全な状態で鹵獲した零戦古賀忠義一飛曹機をレストアすると、ノース・アイランド基地で試乗、他の兵士が欠点ばかり指摘する中でサッチは、ベテランパイロットにとっては良い飛行機だが、そんなパイロットがいなくなったら命運は尽きるだろう、と感想を漏らしている。 アクタン・ゼロの徹底的な研究により、零戦が優れた旋回性能と上昇性能、航続性能を持つ一方で、高速時の横転性能や急降下性能に問題があることが明らかになり、アメリカ軍は「零戦と格闘戦をしてはならない」「背後を取れない場合は時速300マイル以下で、ゼロと空戦をしてはならない」「上昇する零戦を追尾してはならない」という「三つのネバー(Never)」と呼ばれる勧告を、零戦との空戦が予想される全てのパイロットに対して行った。また、不要な装備を除きなるべく機体を軽くするように指示した。これによってサッチウィーブとともに一撃離脱戦法が採用された。急降下に弱く、防御装甲が乏しいという零戦の弱点を突いた攻撃方法になった。 米軍が「サッチウィーブ」と一撃離脱戦法導を本格的に用いたのはラバウルからで、ガダルカナル島でもヘンダーソン飛行場の部隊で多用され、「零戦神話」を打ち砕いた。 「サッチウィーブ」は後にベトナム戦争でも用いられ、現在でも戦術の一つとして取り入れられている。
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