ギフテッドの定義をめぐる議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 15:54 UTC 版)
「ギフテッド」の記事における「ギフテッドの定義をめぐる議論」の解説
かつて心理学者や精神科学者たちはルイス・マディソン・ターマンの1906年の研究を踏襲し、長年に渡ってギフテッドは高知能指数と同意義だと考えていた。この遺物的概念は今日でもギフテッドの概念の中にいくらか残っている。ただし当初から他の研究者たち(たとえばレイモンド・キャッテルやジョイ・ギルフォード、Thurstone(英語版))は知性とはそのような一元的な形で表せるものではなく、もっと多面的な分析が必要だと提唱していた。 1980年代と1990年代に行われた研究によって知性は複数の要素からなるという考えを支持するデータが得られた。Sternberg(英語版)とDavidson(英語版)による『Conceptions of Giftedness』の中の『giftedness』の再研究において、それが特に顕著に検証されている。そこで提示された様々なギフテッドの概念は、それぞれ別個であるにも関わらず様々な面で互いに関連性がある。ほとんどの研究者はギフテッドを複数の資質(すべてが知的な要素というわけではない)として定義している。 またIQ値は、学問や芸術の実質的な創造的貢献を計測することができないとして、ギフテッドの選別には不適切であると考えられている。 Joseph Renzulli(英語版) (1978) の「three ring定義」は、詳しい研究から得られたギフテッドの概念の1つである。これは、ギフテッド個人というより、ギフテッドの行動の定義であり、その行動は、以下の3つの基本要素から成り立っている。すなわち、平均以上の能力、高い目的達成意識、高い創造性という3つの特徴が、互いに関連しあい、それを反映した行動がRenzulliによるギフテッドの定義である。ギフテッドの行動を実現できる者とは、こうした3つの特徴を総合的に持っている人、あるい相互的に開発できる能力のある人であり、かつ、何らかの形で有益な活動として活かせる人である。そして、こうした人々には通常の学校の教育カリキュラムでは、提供されない様々な形式の学習の機会と支援が必要である。 スーザン・K・ジョンセン(英語版)は『ギフテッドの子供の判別法:実践ガイド』の中において、ギフテッドの生徒とはアメリカ合衆国による「ギフテッド」、および、「タレンテッド」の定義に含まれた分野において、高い潜在能力を示す生徒であると説明している。 子供、生徒、若者に対して、ギフテッド、および、タレンテッドという言葉が用いられた場合、知性、精神性、創造性、芸術、リーダシップ、あるいは特定の学術分野において高い潜在能力を示し、また、そうした能力をフルに開発するには通常の学校教育にはない支援や活動を必要とする子供、生徒、人々を意味する。 この定義の一部、あるいは、すべてが、アメリカ合衆国の大半の州において、採用されており、また、大半の州が下記のテキサス州の例と似通った定義を用いている。 ギフテッド・タレンテッドの生徒とは、同じ年齢・経験・環境を持つ子供と比較して、著しく高いレベルを達成する、あるいはその可能性をうかがわせる子供。知的能力、独創性や芸術の分野において高い実行能力を示す、並外れたリーダーシップ能力を持つ、あるいは特定の学術分野で秀でている。 ギフテッドの定義の大きな特徴として、以下の事柄が挙げられる。 ギフテッドの能力を発揮するのは、学業に限らず多様な分野である。 ギフテッドは、他のグループとの比較に基づく(同学年の生徒たち、同年の子供たち、同じ経験や環境を持つ子供たちなど)。 ギフテッドは、能力を伸ばす教育的支援が必要である。 しかし、上記3点だけでは、努力で高学力を身に付けた優等生とギフテッドのふるいわけが十分にできないという懸念がある。 ポーランドの心理学者ドンブロフスキが指摘する、刺激への激しい反応や敏感さ、自己批判能力、高い精神性や感情性といった、より高い人格へ成長する潜在能力も含まなければ、ギフテッドの定義としては不十分だという意見がある。
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