ギフチョウの発見と名前の由来とは? わかりやすく解説

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ギフチョウの発見と名前の由来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:03 UTC 版)

ギフチョウ」の記事における「ギフチョウの発見と名前の由来」の解説

1731年の作とされる国立国会図書館所蔵『東莠南畝讖』にはギフチョウ図が掲載されているが、その当時は「錦蝶」と呼ばれていた。吉田高憲1840年前後に『雀巣庵譜』でギフチョウを「ダンダラチョウ」として挿絵付き解説していたことから、伊藤篤太郎は『動物学雑誌 第11号』でこの和名をダンダラチョウとするべきと主張していた。 和名は1883年明治16年4月24日名和靖によって岐阜県郡上郡祖師野村現下呂市金山町祖師野)で採集されたことに由来する名和靖採取した標本石川千代松同定依頼し当時新種であることが確認された。1887年明治20年ギフチョウ食草発見したものには懸賞金与えられることになり、当時14歳だった名和梅吉名和昆虫研究所2代目所長)がその食草1種であるウスバサイシン谷汲村発見し20銭の懸賞金名和靖から与えられた。1889年明治22年4月15日発行された『動物学雑誌 第1巻 6号』に、明治22年3月中に岐阜県採取され目録として「ギフテフ」という名称が掲載されその後この呼び名多くの人に知られるようになった1887年横浜市在住していたイギリス人博物学者ヘンリー・ジェイムズ・ストヴィン・プライヤーは、「日本図譜」で岐阜採取されていたギフチョウ北海道ヒメギフチョウ同種発表していたが、イギリス昆虫学者ジョン・ヘンリー・リーチ(英語版)の鑑定により1889年明治22年)に新種ギフチョウLuehdorfia japonica Leech)であると訂正された。1897年明治30年)に『昆虫世界第1巻第1号巻頭口絵ギフチョウヒメギフチョウ生態観察スケッチ学名付き掲載された。

※この「ギフチョウの発見と名前の由来」の解説は、「ギフチョウ」の解説の一部です。
「ギフチョウの発見と名前の由来」を含む「ギフチョウ」の記事については、「ギフチョウ」の概要を参照ください。

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