カラクムル遺跡とは? わかりやすく解説

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カラクムル遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 21:56 UTC 版)

カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と熱帯保護林」の記事における「カラクムル遺跡」の解説

カラクムル都市遺跡30 km2 (3,000 ha)の面積に6,000上の建造物群残りマヤ低地南部では最大級都市遺跡である。また、石碑の数120メソアメリカ最多である。そのうち100以上が西暦652年から752年建てられており、その期間がカラクムル絶頂期ともほぼ対応する。この都市中心部22 km2範囲に約22,000人、周囲含めた70 km2に約5万人が暮らしていた時期があったと考えられている。 カラクムル周囲大河川はなく、雨季水の溜まるバホと呼ばれる窪地のそばに築かれ都市一つである。カラクムル限らず先古典期には大きなバホ沿いに都市築かれることがしばしばであったカラクムル場合石灰石地盤穿ったチュルトゥンと呼ばれる地下貯水池含め40近く貯水池擁していた。 都市内に残る主な構造物以下の通りである。 建造物I - 底辺 85 x 95 m、高さ 50 m。これはカラクムル2番目に高い建物で、200 x 50 m の中央広場周辺配置されている。 建造物II - 底辺縦横共に 140 m、高さ 55 m で、カラクムル最大建物である。この神殿ピラミッド王陵として用いられヒスイ仮面はじめとする複数副葬品出土している。 建造物III - 王宮として機能していた建物である。古典期前期墓所含まれており、ヒスイ製品土器なども多数発見された。その出土品からは王権強大さが推測されている。 建造物IV - この建物建造物VIと共に太陽運行あわせて公共広場東西で対をなしている。こうした建物の配置は他のマヤ都市でも見られ、「Eグループ」と呼ばれている。 カラクムルにも、マヤ都市見られるサクベ呼ばれる舗装された道が15本通っており、その中にはエル・ミラドール通じる「サクベ6」など、他の都市と繋がるサクベもあった。 2014年大幅拡大された3,300 km2あまりの世界遺産登録範囲には、250箇所関連遺跡群が残っている。

※この「カラクムル遺跡」の解説は、「カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と熱帯保護林」の解説の一部です。
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