カラクムル遺跡
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「カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と熱帯保護林」の記事における「カラクムル遺跡」の解説
カラクムルの都市遺跡は30 km2 (3,000 ha)の面積に6,000以上の建造物群が残り、マヤ低地南部では最大級の都市遺跡である。また、石碑の数120はメソアメリカ最多である。そのうち100以上が西暦652年から752年に建てられており、その期間がカラクムルの絶頂期ともほぼ対応する。この都市の中心部22 km2の範囲に約22,000人、周囲も含めた70 km2に約5万人が暮らしていた時期があったと考えられている。 カラクムル周囲に大河川はなく、雨季に水の溜まるバホと呼ばれる窪地のそばに築かれた都市の一つである。カラクムルに限らず、先古典期には大きなバホ沿いに都市が築かれることがしばしばであった。カラクムルの場合、石灰石の地盤を穿ったチュルトゥンと呼ばれる地下貯水池も含め、40近くの貯水池を擁していた。 都市内に残る主な構造物は以下の通りである。 建造物I - 底辺 85 x 95 m、高さ 50 m。これはカラクムルで2番目に高い建物で、200 x 50 m の中央広場周辺に配置されている。 建造物II - 底辺は縦横共に 140 m、高さ 55 m で、カラクムルで最大の建物である。この神殿ピラミッドは王陵として用いられ、ヒスイの仮面をはじめとする複数の副葬品が出土している。 建造物III - 王宮として機能していた建物である。古典期前期の墓所も含まれており、ヒスイ製品や土器なども多数発見された。その出土品からは王権の強大さが推測されている。 建造物IV - この建物は建造物VIと共に、太陽の運行にあわせて公共広場の東西で対をなしている。こうした建物の配置は他のマヤ都市でも見られ、「Eグループ」と呼ばれている。 カラクムルにも、マヤ都市に見られるサクベと呼ばれる舗装された道が15本通っており、その中にはエル・ミラドールに通じる「サクベ6」など、他の都市と繋がるサクベもあった。 2014年に大幅拡大された3,300 km2あまりの世界遺産登録範囲には、250箇所の関連遺跡群が残っている。
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