放電灯
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放電灯(ほうでんとう、英: discharge lamp)は、広義には放電発光を利用した電灯[1]。ただし、狭義には炭素アーク灯(カーボンアーク灯)などのアーク灯と区別される[1]。放電灯は高圧放電灯と低圧放電灯に分けられる[2]。
- ^ a b c d e f g 関 & 伊東 1987, p. 43.
- ^ a b c d e “平成16年度特許出願技術動向調査報告書 放電灯点灯回路(要約版)”. 特許庁. 2021年10月9日閲覧。
- ^ a b c d “博覧会 近代技術の展示場 電灯”. 国立国会図書館. 2021年10月9日閲覧。
- ^ a b c 松本栄寿 『「はかる」世界』玉川大学出版部、2000年、154頁
- ^ 旧工部大学校史料
- ^ 『東京日日新聞』1882年11月1日
- ^ 東京銀座通電気燈建設之図
- ^ 『電気学会五十年史』
- ^ 『大阪朝日新聞』1884年5月9日
- ^ 『東洋紡績七十年史』
- ^ a b c d 関 & 伊東 1987, p. 45.
- ^ 関 & 伊東 1987, p. 48.
- ^ 関 & 伊東 1987, p. 50.
- ^ a b 関 & 伊東 1987, p. 51.
- ^ 関 & 伊東 1987, p. 54.
アーク灯
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喜八郎は東京電燈に出資した一人で、「電灯がどういうものかを庶民にも知ってほしい」との思いから、大倉本館2階に発電機を置き、建物前(中央通り)に電灯を建てた。その明るさは人々を驚かせ、当時一躍東京の名物となった。この電灯が銀座から消えた時期はわかっておらず、関東大震災時とも戦時中ともいわれている。 1956年(昭和31年)、銀座の歴史遺産を復活させる機運が高まり、初代の記念灯と同じ場所に建てられ、72年、86年と老朽化のたびに建て替えられた。2012年(平成24年)には3代目が撤去されたが、東日本大震災から間もない時期であったため、地域の活動として東京電力から協力が得られず、4代目はつくられないままだった。しかしながら、今回新しい大倉本館のオープンにあたり建設当時の灯のデザインで忠実に再現されることになり、2016年9月26日夕に点灯式が開かれた。設置された4代目は銀座の商店でつくる銀座通連合会が中心となり復活させたもので、高さは11メートル60で、歴代では初めてLED照明が採用された。
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アーク灯
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