アリウス派問題とニカイア公会議とは? わかりやすく解説

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アリウス派問題とニカイア公会議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:14 UTC 版)

コンスタンティヌス1世」の記事における「アリウス派問題とニカイア公会議」の解説

そこで、現在の問題発端次のところにあったと余は理解している。すなわち、アレクサンドロスよ、汝が、法に書かれたうちの或る箇所について、或いはむしろ何らかの問いのつまらない部分について、司祭たちの各々何を理解するということを彼らに訪ねてアレイオスアリウス)よ、汝がそもそも思念されてはならず、また思念されたとしても沈黙付すのが至当であったことを、不注意に返答したのだ。それゆえ汝らの間に不一致生じ集会交わり否定され至聖なる民は両者分裂し、共通のからだの調和から分離された。それゆえ汝ら各々等しく赦し与えて汝らと同じしもべが正しく汝ら勧めることを受け入れよ。ではそれは何か。そもそもこのような事柄については、問うことはふさわしくなく問われた側は答えることはふさわしくなかったのだ... -コンスタンティヌス1世からアレクサンドロスアリウス送られ手紙324年リキニウス支配していた東方手中に収めコンスタンティヌス1世は、この新たな征服地のキリスト教徒たちが西方におけるドナトゥス派よりも深刻で広範な分裂起こしているという事実に直面した東方教会分裂エジプトアレクサンドリア司教アレクサンドロス司祭アリウスアレイオス)との間の、絶対者である神とその子キリストどのような存在であると認識するか、という問題についての論争端を発するものであったアリウスは神が「永遠にして不可知」たるモナド単子存在究極単位)であり、完全に単一分割不可能であると主張した。この神の超越性厳格に強調する立場の下、父(神)が分割不可能である以上はその御子キリスト)は神と同一存在ではありえず、完全なる神性備えない下位被造物であるとした。そして父なる神とは別個の存在であり被造物である以上、キリストは無から創造されたものであるとも主張した一方司教アレクサンドロスキリスト万物の創造主人類の罪をあがなう存在であり、神そのものであると主張したアレクサンドロスアリウス破門したが、アリウス各地教会支持呼びかけ論争小アジアパレスチナにも飛び火していた。 コンスタンティヌス1世はこの状況解決求めた。彼はこの難解な形而上学的神学的論争について理解できなかったか、少なくともそれを厳密に追及することに興味を持たなかった。そして「取るに足らぬ非常に小さな事柄」(ウィルケン)を争うのをやめ速やかに論争止めることを要求した。しかし両派は頑なであり論争と分裂拡大一途辿ったその後本格的な介入考慮されるうになると、エジプトではさらにメリティオス派がアレクサンドリア教会対立し分裂していることも明らかとなった散発的に行われる各地司教会議事態一向に沈静化しないことに業を煮やしたコンスタンティヌス1世は、ドナトゥス派の時と同じようにより大きな規模公会議によってこれを解決しよう目論み、325年5月20日ニカイアニケア)に東方から数百名の司教招集し西方から司教6名とローマ司教教皇)の代理助祭2名を加えニカイア公会議第1回全教会議)を開催した。この会議ローマ元老院都市参事会会議モデル進められ教義において重要な論争にはコンスタンティヌス1世が自ら参加し指導的な役割演じたその中でコンスタンティヌス1世は、アリウス積極的に支援した。何故なら、アリウス理論は、子なる神父なる神従属させることで、神の唯一性を理論的に基礎づけることができ、これによって帝国独裁政治理念都合のいいイデオロギー提供したからである。 主要な参加者としてアリウス派からアリウス本人の他、強力なアリウス派司教であったニコメディアエウセビオス英語版)、反アリウス派からアレクサンドリア司教アレクサンドロスや特に強硬であったことで知られるアンティオキアエウスタティオス英語版)、そして当時はまだ重要な人物ではなかったものの、アレクサンドロスの死後に反アリウス派ニカイア派アタナシウス派)の議論主導することになる助祭アレクサンドリアアタナシウスアタナシオス)らが参加した。さらにアリウス派には組しないものの、コンスタンティヌス1世信頼厚く妥協的な態度取ったカエサレアのエウセビオスや、西方教会属しコンスタンティヌス1世相談役務めたコルドバのホシウス(英語版)なども重要な役割果たしたと言われている。他に、東方指導的な司教のほとんどが参加していた他、アルメニアクリミアペルシアといったローマ帝国外の司教参加し、その世界性・普遍性強調された。 この会議におけるコンスタンティヌス1世姿勢は明確であった。彼はこの論争が本来不要なものであり、また教会分裂はそれ自体が罪であると見做した。このため全体受け入れられるような包括的かつ妥協的な決着探られたが、各派神性について多用見解提出し容易に収拾はつかなかった。そして会議最中コンスタンティヌス1世は「ホモウーシオス(Homousios、同一本質の)」という用語で父(神)と御子キリスト)の関係を表現するという(ジョーンズによれば不用意な提案行った。これは相談役であったヒスパニア司教ホシウスの影響受けて西方教会信条から着想得たものと推定され東方教会関係者はこの用語を受け入れることを嫌った。しかし、この皇帝自らの提案アリウス派神学的に受け入れることが不可能であることに乗じた東方の反アリウス派は、まずアリウス派排除することを優先してこの用語の受け入れ表明し議論リードすることに成功した。この結果ニカイア公会議においてアリウス破門アリウス派排除決定されコンスタンティヌス1世は各司教たちにこの信条ニカイア信条)を圧力をかけて受け入れさせた。 こうして反アリウス派アリウス派勝利したが、アリウス派その後自分達の信条捨てことはなく、またコンスタンティヌス1世もその死までアリウス派との妥協による教会統一諦めなかった。そのため327年に再びニカイア公会議開催されアリウス教会復帰認められた。しかし、その後アリウス派、反アリウス派主流派)、メリティオス派など各派諍い続けコンスタンティヌス1世はこれに激しく苛立った。特にアレクサンドロスの死後328年アレクサンドリア司教となったアタナシウス強固な信念持ち皇帝帝国政府からいかなる圧力受けてアリウス派拒否し続けコンスタンティヌス1世妥協的な方針断固として受け入れなかった。 コンスタンティヌス1世335年テュロス公会議開き、さらにエルサレム大教会会議開催して自身キリストの墓建てた大聖堂統治30周年式典執り行われること、そして教会統一為されることを求めた。しかし、最終的に教会統一されることなくアリウス派と反アリウス派争いその後1世紀以上に渡って継続することになる。

※この「アリウス派問題とニカイア公会議」の解説は、「コンスタンティヌス1世」の解説の一部です。
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