アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 21:12 UTC 版)
「進め!電波少年」の記事における「アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク」の解説
ヒッチハイク完結編。シリーズとしては唯一お笑いタレント以外による企画であり、朋友(伊藤高史、チューヤン(謝昭仁))が務めた。ゴール時には、猿岩石・ドロンズがともにスタジオゲストとして出演し、ゴールの瞬間を見守った。 「進ぬ!電波少年#アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク」を参照
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アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク
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「進ぬ!電波少年」の記事における「アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク」の解説
「進め!電波少年#ヒッチハイクシリーズ」も参照 猿岩石・ドロンズに続くヒッチハイクシリーズ第3弾にして完結編。懸賞生活と同時期にスタートした企画。俳優を目指していた伊藤高史がTプロデューサーに連れ出され、成田空港から南アフリカ・喜望峰まで移動。着いた先で当時香港でDJだったチューヤンこと謝昭仁(チェ・チューヤン)が合流、ヒッチハイクでアフリカ・ヨーロッパ大陸を縦断してスカンジナビア半島まで目指す企画だと明かされてスタート。スタジオゲストで横浜銀蠅の翔からの提案を受け、道中で2人のコンビ名が「朋友」(パンヤオ(pang4yau5)、広東語で「親友」の意味)と決まった。 初めは互いの意思疎通もままならない2人だったが、伊藤はカタコトの英語でチューヤンとコミュニケーションを取れるようになり、また英語が堪能なチューヤンのおかげで旅は順調に進むかに見えた。が、アフリカ大陸内では戦争や治安上の理由によるルート変更を余儀なくされ、ついには危険地帯に阻まれ、ケニアから北へ進む道が完全に絶たれる。2人はギブアップさえ考えたが、視聴者にテレゴングでアンケートした結果、「飛行機を使ってでも旅を続けるべき」という答えが最も多かったため、2人で相談し、ケニア・ナイロビからスーダンの非・危険地帯南限の町カッサラまで飛行機で移動した。 松本は、久保田利伸が作った応援歌「AHHHHH!」を届けるべくアメリカで受け取り、スイス経由でタンザニアへ向かい2人を探しに行った。現地で野宿する際、野生の動物が近寄ってくるのを避けるため、Tプロデューサーを含めスタッフで交代で火の番をして大変だったと松本は回顧している。 スーダンでは砂漠をラクダで移動する隊商に同行、彼らもラクダで移動していたが、炎天下で伊藤が脱水症状で倒れ意識を失う。すぐに息を吹き返し事なきを得たが、同行ディレクターも「カメラ回してていいんだろうか」と動揺するほどの衝撃映像だった。この件について、土屋は「スタッフは伊藤とチューヤンを追いこもうとしてたわけではなく、性格の優しい伊藤が水を周囲に譲るなどの配慮を続けていたために起こった事故だった」と語っている。 ヨーロッパでは、チューヤンが持ち前の絵の才能を発揮して路上で水彩画を売ったりしていたが、旅終盤のフィンランドで旅始まって以来最長の5日間絶食、それまでチューヤンの絵も全く売れない事態になった。ここで伊藤は密かに練習していたストリートパフォーマンスに挑戦、集客に成功しわずかながらお金を得ることに成功しハンバーガーを食べる。このハンバーガーについて、チューヤンはのちに「あのハンバーガーが僕の人生で最もおいしい食べ物」と語っている。この出来事で2人の絆は強固なものとなり、ゴールへと向かっていった。 ゴールとなったノルウェーのヨーロッパ大陸最北端・スレットネス灯台からは、生中継が、猿岩石・ドロンズをスタジオゲストに迎えて行われたが、番組の終盤で2人を港に係留されたスワンボートに誘導するところで放送終了の時間となり中継が打ち切られた。放送直後に「スワンボートで日本に帰らせるつもりか!」と視聴者から抗議の電話が殺到したが、当時番組で進行中の別の企画である「電波少年的懸賞生活」(なすびの等身大パネルによる)および「電波少年的スワンの旅」を2人に説明するためのもの(意図的なミスリード演出)だったことが、翌11月15日放送分のレギュラー枠で明かされた。 朋友のゴール後、新企画がなかなか始まらず何週か朋友の未公開VTRを放送したが、ついに流すVTRが無くなり、『進め!』時代に行ったアポなしロケの未放送VTRを流すも1回で終了となった。その後はアルプスの美しい風景を穴埋めとして放送し、出演者を呆然とさせていた。 猿岩石・ドロンズと同様に、この企画も放送と並行して『朋友日記』として書籍化された。
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