アナトリア象形文字
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アナトリア象形文字(アナトリアしょうけいもじ、Anatolian hieroglyphs)とは、アナトリア中部に起源を持つ、約500文字から構成された表語文字である。かつてはヒッタイト象形文字と呼ぶのが普通であったものの、この文字で表される言語がルウィ語であってヒッタイト語ではないことが明らかになったため、ルウィ象形文字(Luwian hieroglyphs)という用語も英語の出版物で用いられる。さらにフルリ語[1]を書き表すためにも用いられていたことから、最終的には使用地域名[1]を冠して呼ばれるようになった。類型的にエジプトのヒエログリフに類似しているが、ヒエログリフに由来するわけではないし、エジプトにおけるヒエログリフと同等の神聖な役割を果たしたかどうかはわかっていない。ヒッタイト楔形文字との明白な関連性も存在しない[2][3][4]。
- ^ a b c d 「図説 古代文字入門」大城道則編集、髙橋秀樹著、pp.27-32
- ^ Payne, A. (2004). Hieroglyphic Luwian. Wiesbaden: Harrassowitz. p. 1. ISBN 3-447-05026-8
- ^ Melchert, H. Craig (2004). "Luvian". In Woodard, Roger D. (ed.). The Cambridge Encyclopedia of the World's Ancient Languages. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 0-521-56256-2。
- ^ Melchert, H. Craig (1996). “Anatolian Hieroglyphs”. In Daniels, Peter T.; Bright, William. The World's Writing Systems. New York and Oxford: Oxford University Press. ISBN 0-19-507993-0
- ^ アナトリア象形文字でフルリ語を記したテクストについては:Hawkins, J.D. (2003). “Scripts and Texts”. In Melchert, H.C.. The Luwians. Brill. p. 141 鉄器時代の異なる言語からの借用語については:Giusfredi, F. (2012). “Note sui prestiti accadici e urartei in luvio-geroglifico di età del Ferro”. In P. Cotticelli Kurras et al.. Interferenze linguistiche e contatti culturali in Anatolia tra II e I millennio a.C. Studi in onore di Onofrio Carruba in occasione del suo 80° compleanno. pp. 153-171
- ^ Plöchl, R. (2003) (ドイツ語). Einführung ins Hieroglyphen-Luwische. Dresden: Verlag der TU Dresden. p. 12. ISBN 3-86005-351-5
- ^ Yakubovich, I. (2008). “Hittite-Luvian Bilingualism and the Origin of Anatolian Hieroglyphs”. Acta Linguistica Petropolitana 4 (1): 9–36 .
- ^ かつて、プルタルコスのアントニウス伝に登場する上キリキア王の名によって「タルコンデーモス(Ταρκόνδημος)印章」と呼ばれていたが、正しくない。関根正雄・高津春繁『古代文字の解読』岩波書店、1964年、155-156頁および180-180頁
- ^ a b Pope, Maurice (1999). The Story of Decipherment: From Egyptian Hieroglyphs to Mayan Script (rev. ed.). New York: Thames & Hudson. ISBN 0-500-28105-X
- ^ 吉田和彦「象形文字ルウィ語解読の歴史と現状」『ユーラシア古語文献の文献学的研究ニューズレター』第6巻、2004年、2-6頁。
- ^ “Luwian Hieroglyphics”. 2006年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月4日閲覧。
- ^ Rieken, E. (2008): "Die Zeichen <ta>, <tá> und <tà> in den hieroglyphen-luwischen Inschriften der Nachgroßreichszeit." In: Archi, A.; Francia, R. (eds.): VI Congresso Internazionale die Ittitilogia, Roma, 5.-9. Settembre 2005. Roma: CNR, 637-647.
- ^ Simon, Zsolt (2013). “Once again on the Hieroglyphic Luwian sign *19 〈á〉”. Indogermanische Forschungen 118: 1–22 .
- ^ Official Anatolian Hieroglyphs, Unicode, Inc
- 1 アナトリア象形文字とは
- 2 アナトリア象形文字の概要
- 3 類型
- 4 Unicode
- 5 外部リンク
アナトリア象形文字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 16:04 UTC 版)
子音のみを表すエジプトのヒエログリフと異なり、アナトリア象形文字の表音要素は音節文字であるが、やはり絵によって描かれる物の最初の1音節を表している場合が多く見られる。
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アナトリア象形文字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 01:09 UTC 版)
「アーチボルド・セイス」の記事における「アナトリア象形文字」の解説
セイスはシリアのハマトの碑文、ボアズキョイのヤズルカヤ(ヤジリカヤ)碑文、スミルナの碑文などがすべて同じ文字で書いてあることを認め、これが『旧約聖書』にいうヒッタイトの文字であることをはじめて指摘し、また接尾辞や限定符を指摘した(なお、現在ではこの文字はヒッタイト語に近いが同じではないルヴィ語を表していると考えられている)。 ウィリアム・ライト(ハマトの碑文を入手した宣教師)の著書『ヒッタイト帝国』(1884年)の中で、セイスはヒッタイトがアナトリアからシリアに来たことを指摘し、象形文字の中にある主格と対格の接尾辞や、新たな限定符の発見を加えた。 Wright, William (1886) [1884]. The Empire of the Hittites, with Decipherment of Hittite Inscriptions by Prof. A. H. Sayce, LL.D (2nd ed.). London: James Nisbet & co. https://archive.org/details/empireofhittites00wrig 1887年にはエジプトのアマルナから大量の粘土板が発見されたことをセイスは報告した。この報告をもとにフリンダーズ・ピートリーによるアマルナ発掘が行われ、アッカド語で記されたヒッタイト王からの書簡や、未知の言語(ヒッタイト語)で記された粘土板が発見された。ところが、同じ言語で書かれた粘土板がボアズキョイでも発見されたため、セイスはボアズキョイ発掘計画を立てたが、計画はドイツに横取りされてしまった。 セイス自身はアナトリア象形文字を解読するための十分な資料を入手できなかった。解読は1928年以降、イタリア・ドイツ・アメリカの学者によって徐々に進められ、1939年には大部分の音節文字が解読された。
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アナトリア象形文字
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ヤズルカヤはまた、アナトリア象形文字の初期の解読において重要な役割を果たした。1834年にフランスの旅行家シャルル・テクシエ(英語版)がヤズルカヤを訪れて『小アジア旅行記』(全3巻、1839-1848)において挿絵入りで紹介し、ヨーロッパにヤズルカヤが知られるようになった。アーチボルド・セイスは神々の行列の刻文がしばしば特定の文字からはじまっていることに注目し、これが神を意味する限定符であることを指摘した。 アナトリア象形文字は原則としてルウィ語を書くのに用いられるが、ヤズルカヤの刻文ではフルリ語の神々の名を表記している点で例外的である。
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