アジャータシャトルと仏教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/25 04:53 UTC 版)
「アジャータシャトル」の記事における「アジャータシャトルと仏教」の解説
アジャータシャトルは釈迦の生きた時代のマガダ王として、父ビンビサーラとともに初期仏教に深く関わった人物である。ある仏典に説かれる所によれば、父ビンビサーラは老いて子なきを憂い神に祈った。時にある一祖師から、毘富羅山(ヴィプラ)に住する仙人が近々死んで托生することを告げられ、ビンビサーラ王はこれを待ちきれず殺したところ、間もなく夫人が懐妊した。これ生まれざる前に、すでに怨みを懐く意味で未生怨といった。然るに生まれるにあたり相師に占わせると、生兒が怨を懐き父王を害すだろう、と告げたので、ビンビサーラ王はこれを信じるようになり、楼上から我が子を投げ捨てた(もしくは高い楼閣を造り、そこから産み落とさせたとも)が、一指を折ったのみで死ななかった。これ故に阿闍世を婆羅留支(バラルシー=折指)とも称した。 なお、ビンビサーラ王の仙人殺害については、善導の『観無量寿経疏(観経疏)』に出典が見られるが、涅槃経には仙人が3年後に死ぬ前に殺害したという件はないが、父ビンビサーラ王がビプラ山に鹿狩りに出た際に一頭も狩ができずにそこにいた仙人が追い払ったと思い込み臣下に殺させようとした。その仙人は死ぬ直前に怒りの心を起しビンビサーラに「来世において心と言葉であなたを殺害するだろう」と言った。釈迦は阿闍世に「父王は自らその罪による報いを受けただけで、そなたに罪はない」と言った、という記述がある。おそらくこの『涅槃経』の記述と『無量寿経』など他の多くの経典に見られる阿闍世や父母に関する記述が善導によって混同されたものであると推察される。 その後、成長したアジャータシャトルは、釈迦仏に反逆し新教団を形成せんとしていた提婆達多(デーヴァダッタ)に唆され、その言を入れてビンビサーラを幽閉した。また母が身体に蜜を塗って王に施していた事を知るや母も幽閉せしめ、ついに父王は餓死し命終してしまった。しかし、その後アジャータシャトルはその罪を悔い、激しい頭痛を感ずるようになった。そして医者である耆婆(ジーヴァカ)大臣の勧めにより、釈迦に相談した所頭痛がおさまったため、仏教に帰依し教団を支援するようになったと伝えられている。釈尊が入滅後、王舎城に舎利塔を建立して供養し、四憐を服して中インドの盟主となり、仏滅後の第一仏典結集には、大檀越としてこれを外護(げご)したといわれる。 アジャータシャトルが登場する経典としては『観無量寿経』、『阿闍世王経』、『阿闍世王問五逆経』、『阿闍世王授決経』などがある。 また、『文殊師利普超三昧経(普超経、阿闍経ともいう)』「心本浄品」には、未来に浄界如来(劫は喜見、国は無造陰)という仏に成るという未来成仏の記別を与えられた記述もある。
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