たけくらべ論争とは? わかりやすく解説

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「たけくらべ」論争

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/21 19:24 UTC 版)

「たけくらべ」論争(たけくらべ ろんそう)は、樋口一葉の小説『たけくらべ』に登場する数え年14歳の女主人公・美登利の終盤における変貌の原因に関する解釈をめぐって繰り広げられた文学論争[1][2][3][4][5]


注釈

  1. ^ 伊勢物語第23段の以下の二首の和歌から「たけ」「くらべ」の語を取って「たけくらべ」となった[10]
    「つゝゐつゝ ゐつつにかけし まろがたけ すぎにけらしな いもみざるまに」
    くらべこし ふり分髪も かたすぎぬ きみならずして たれかあぐべき」
  2. ^ 「三人冗語」の森鷗外幸田露伴の評は以下のようなものである[13]
    ひいき(幸田露伴):此作者の作にいつもおろかなるは無けれど、取り分け此作は筆も美しく趣きも深く、少しは源の知れたる句、弊ある書きざまなども見えざるにはあらぬものゝ、全体の妙は我等が眼を眩まし心を酔はしめ、応接にだも暇あらしめざるほどなれば、もとよりいさゝかの瑕疵などを挙げんとも思はしめず。(中略)
    美登利が島田髷に初めて結へる時より、正太とも親しくせざるに至る第十四、十五、十六章は言外の妙あり。其の月其の日赤飯のふるまひもありしなるべし。風呂場に加減見たりし母の意尋ねまほし。読みてこゝに至れば、第三章の両親ありながら大目に見て云々の数句、第五章の長吉の罵りし語、第七章の我が姉さま三年の馴染に銀の川同様以下云々の悲しむべき十数句、学校へ通はずなりしまであなどられしを恨みしこと、第八章のかゝる中にて朝夕を過ごせば以下の叙事の文など、一時に我等が胸に簇り起りて、可憐の美登利が行末や如何なるべき、既に此事あり、やがて彼運も来りやせんと思ふにそゞろあはれを覚え、読み終りて言ふべからざる感に撲たれぬ。鹵莽なる読者ならずば、唯に辞句の美を説くにとゞまらず、必ずや全篇の秘響傍通して伏采潜発する第十四、十五、十六章に至りて、噫と歎じて而して必ずはじめて真に此篇の妙作たることを認むべし。文の癖など人によりては厭ふべき節の別れ路、十三夜等よりは此篇に多きかは知らねど、全体より云へば、此篇却て勝れたること数等なるべし。
    第二のひいき(森鷗外):兎いはん角いはんと思ひ居たりしことも、その言葉こそ同じからね、先づ前席の人の無碍自在なる弁才もて演べ尽されたる心地すれば、われ口を杜いでも止むべきかなれど、さてはまた余りに残惜しかるべし。大寺前とはそもそもいかなる処なるぞ。いふまでもなく売色を業とするものの余を享くるを辱とせざる人の群り住める俗の俗なる境なり。されば縦令よび声ばかりにもせよ、自然派横行すと聞ゆる今の文壇の作家の一人として、この作者がその物語の世界をこゝに択みたるも別段不思議なることなからむ。唯々不思議なるは、この境に出没する人物のゾライプゼン等の写し慣れ、所謂自然派の極力模倣する、人の形したる畜類ならで、吾人と共に笑ひ共に哭すべきまことの人間なることなり。われは作者が捕へ来りたる原材とその現じ出したる詩趣とを較べ見て、此人の筆の下には、灰を撒きて花を開かする手段あるを知り得たり。われは縦令世の人に一葉崇拝の嘲を受けんまでも、此人にまことの詩人といふ称をおくることを惜まざるなり。且個人的特色ある人物を写すは、或る類型の人物を写すより難く、或る境遇のMilieu に於ける個人を写すは、ひとり立ちて特色ある個人を写すより遙に難し。たけ競出でゝ復た大音寺前なしともいふべきまで、彼地の「ロカアル、コロリツト」を描写して何の窮迫せる筆痕をも止めざるこの作者は、まことに獲易からざる才女なるかな。 — 「三人冗語」[13]
    なお、樋口一葉はこの高評について自身の日記の中で、〈その外にはいふ詞なきか、いふべき疵を見出さぬか〉といった不満も漏らしていた[17][14][18]
    我れをたゞ女子と斗見るよりのすさび、されば其評のとり所なきこと疵あれども見えず、よき所ありともいひ顕すことなく、たゞ一葉はうまし、上手なり、余の女どもは更也、男も大かたはかうべを下ぐべきの技倆なり、たゞうまし、上手なりと、いふ斗その外にはいふ詞なきか、いふべき疵を見出さぬか、いとあやしき事ども也。 — 樋口一葉「水の上日記」[17]
  3. ^ 「番頭新造」とは、最高級の遊女や部屋持ちの遊女について、客や茶屋と遊女屋との間の全てのことを取り仕切る役目の者で、多くは廓離れした年増が多かった[25]
  4. ^ a b この点について小谷野敦は、湯地孝は「初潮」説を特に書いていないとしている[5]
  5. ^ 前田愛は、『たけくらべ』の結末を、「ロマン主義文学における子どもの役割を先取りしていた」と見ることも可能だとして、ワーズワースの影響が看取される国木田独歩の詩篇「門辺の子供」と相通ずるものがあると解説した[20]
  6. ^ 他の著書内においても前田愛は、酉の市の日は美登利の「第二の受難の日」だとして以下のようにまとめている。
    夏祭の宵には表町組、横町組の旗じるしをかかげて互いに元気をきそいあった大音寺前の子ども集団は、酉の市の夜には結束を解いて分散し、人出をあてこんだ小遣いかせぎの俄か商いに精出すことになる。しかも、このハレの日は美登利にとって第二の受難の日であって、初潮を見た美登利は大鳥大明神にささげられたいけにえとして、吉原の悪場所に送りこまれて行く。信如もまた造花の水仙を美登利への記念かたみにのこして、大音寺前から旅立つ人になるだろう。大音寺前の侘しい街並を賑わせていた子どもたちのアソビの世界を跡かたもなくつきくずしてしまった見えない力――それは周辺部の農村地帯を貪欲に蚕食することで拡大しつづけた近代東京の苛責ないエネルギーなのである。 — 前田愛「一葉の文学風土――3〔地縁の論理〕」[31][12]
  7. ^ 佐多稲子は以前から「初店」だと思っていたとして、自身が担当した1953年(昭和28年)刊行の『樋口一葉集』(河出市民文庫)以外の、もう一つの文庫の解説の方では「初店」説に基づいて解説したと述べた[27][24][1][4]。前田愛と松坂俊夫はその佐多の言うもう一つの解説本について未見と断った上で、創芸社から刊行の近代文庫版『にごりえ・たけくらべ 他四篇』ではないかと推察し[24][1][4]、創芸社の近代文庫版のタイトルは正確には『にごりえ・たけくらべ 樋口一葉集』(1953年6月刊)であることを山根賢吉が指摘するが[32][4]、その本での佐多の解説は、河出市民文庫の解説と似たもので以下のような文面である[4]
    「たけくらべ」における子どもの生活も、大人を支配する環境におき、その性格もまたそこにとらへられてをり、愛情さへそれに支配されたものとして描かれてゐる。栄耀が金に屈してはじめて可能となる庶民生活では、美登利の悲劇はその母親にとつて悲劇には感じられない。 — 佐多稲子「解説」(創芸社近代文庫『にごりえ・たけくらべ 樋口一葉集』)
  8. ^ この「高価な『初店』」説を掲載するにあたって佐多稲子は控え帳に、「初潮があったから『水揚げ』ということも聞いたことなし これも関係ないと見てよし むしろ男はそんなことのない少女に高価なものを見ていたかもしれぬ」というメモ書きを残していたという[34]
  9. ^ 「厄介節」は、「わたしや父さん母さんに、十六七になるまでも、蝶よ花よと育てられ、それが曲輪に身を売られ、月に三度の御規則で、検査なされる其時は、八千八声のほととぎす、血を吐くよりもまだ辛い、今では勤めも馴れまして、金あるお方に使はする、手管手れんの数々は、恥かしながら床の中……」という歌詞で、明治時代に流行した[39][20]
  10. ^ 前田愛は、学者の立場から「十五」章におけるテクストの「空白」を重視し、美登利が思い悩むのは、橋をわたって廓に入って再び出てきた後で、その間の時間帯に何があったのかは小説テクスト内では書かれておらず、美登利の変化については「初潮」という解釈が通説だったが、佐多が処女喪失だと異論を唱えたことは、そこの空白が読者の「想像力」をかきたてることの証であって、佐多の説もあくまでも一つの「推定」「想定」だとその後の著書『文学テクスト入門』でも述べた[33][38]
  11. ^ 小谷野敦はこの点について、前田本人が自説として、美登利が「初潮」を迎えての「成女式」の式場で今後の「初店」のことを知らされたという代案的な説を提示したことを、当時80歳以上の年齢だった佐多が誤読したとしている[5]
  12. ^ 小谷野敦は、この「太田一夫」は瀧川政次郎ではないかと推察している[5]
  13. ^ 太田一夫の「水揚げ」説を紹介した短歌雑誌『明日香路』の編集者の岩波香代子は、女性から見れば美登利がふさぎこむ原因は従来の「初潮」説でも分かるが、太田の説は思いがけない解釈だと思われるため掲載したと同号の「編輯だより」で記している[1]
  14. ^ 薮禎子は、この時期に「樋口一葉の世界」の特集を組んだ『国文学 解釈と鑑賞』に寄稿した面々(山田有策を含め)が、佐多と前田の論争を「素通り」した姿勢を「風馬牛の趣で通り去ってしまったのは寂しい」として、「研究の名において積極的に反応してみせる気概が出て然るべきではなかったろうか」と苦言を呈しつつ、「国文学ジャーナリズムの中で、所与の形でしか書けなくなった研究者たちの、自己充足的な安穏がいささかわびしいものに思われる」と述べた[2][5]
  15. ^ 小谷野敦は、吉田裕は特に「初潮」説を書いていないとしている[5]

出典

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  3. ^ a b c d e f g h i j k 関礼子「たけくらべ〈樋口一葉〉」(研究必携1 1988, pp. 82–90)
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  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz 「九 『たけくらべ』論争 1985–2005」(小谷野 2010, pp. 172–200)
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  70. ^ a b 薮禎子「一葉文学の成立と展開――魔を中心に―― 五」(藤女子大学国文学雑誌 24号・1979年3月)。藪 1991, pp. 265–272に所収
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  72. ^ 薮禎子「『たけくらべ』論争〔付記2〕」(藪 1991, p. 351)
  73. ^ 「注解〔86〕」(新潮文庫 2003, p. 255)
  74. ^ a b c 榎克朗「美登利の水揚げ――『たけくらべ』の謎解き」(金沢大学教育学部国語教室 深井一郎教授退官記念論文集 1990年3月)。北川 1998, pp. 185, 198、小谷野 2010, p. 194に抜粋掲載
  75. ^ a b 蒲生芳郎「美登利の変貌・再考――『風呂場に加減見る母親』の読み」(宮城学院女子大学日本文学会・日本文学ノート 27号・1992年1月)。北川 1998, pp. 197–198に抜粋掲載
  76. ^ ウィリアム・エンプソン『牧歌の諸変奏』(研究社出版、1982年8月)柴田稔彦訳。前田 1989, pp. 266–267に抜粋掲載
  77. ^ a b 高田知波「代表作ガイド――たけくらべ」(群像3 1992, pp. 299–300)
  78. ^ 峯岸千紘「樋口一葉『たけくらべ』――三の酉の市の日の美登利」(群馬大学語文学会 語学と文学 2001年3月)pp.19-33。小谷野 2010, pp. 195–196に抜粋掲載
  79. ^ a b 石井茜「美登利はなぜ変わったか――『たけくらべ』の研究」(群馬大学語文学会 語学と文学 2005年4月)pp.72-81。小谷野 2010, p. 196に抜粋掲載
  80. ^ 近藤典彦「『たけくらべ』検査場の検証」(国文学 解釈と鑑賞 2005年9月)pp.186-209。小谷野 2010, p. 196に抜粋掲載
  81. ^ a b c 山本 2002
  82. ^ a b c d e f g 川上 2015



たけくらべ論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 19:11 UTC 版)

たけくらべ」の記事における「たけくらべ論争」の解説

物語最後で、主人公美登利が急に元気を無くすのはなぜか、という疑問対し、「初潮」と「初店」の2つ可能性読後感想として主張されがちであった1985年昭和60年)に「初店説」を主張する一人である作家佐多稲子が、『娼妓として正式なものではないが、店奥で秘密裏水揚げが行なわれたのではないか』と感想述べた。この佐多感想対し、「初潮説」を支持してきた学者前田愛異なる解釈述べたことから始まった解釈違いによる論争。この論争には瀬戸内晴美野口冨士男吉行淳之介などの小説家加わり侃々諤々論争繰り広げた。現在も両説ともに支持者存在している。

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