いかりや長介
いかりや長介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:57 UTC 版)
「星のカービィ デデデでプププなものがたりの登場キャラクター」の記事における「いかりや長介」の解説
9巻第2話に「デデデ大王の唇が厚いのはドリフのいかりやさんと親戚同士だから」というカービィのボケで登場。デデデとお揃いの帽子を被っていた。
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いかりや長介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 17:43 UTC 版)
「ザ・ドリフターズの映画」の記事における「いかりや長介」の解説
5人のリーダー格。
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いかりや長介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:35 UTC 版)
詳細は「いかりや長介」を参照 (1931-11-01) 1931年11月1日 - (2004-03-20) 2004年3月20日(72歳没)、本名:碇矢() 長一()(いかりや ちょういち) ドリフ加入:1962年(桜井輝夫とドリフターズ) 担当楽器:ベース ドリフの三代目リーダー。1964年より正式リーダーとなる。新生ドリフでは加藤と並んで最古参メンバーだった。 コントでは、わざと汚れ役の権力者を演じ、加藤や志村の仕返しというパターンで笑いを取ることが多かった。 ワンマンな一面があり、コントネタの厳格なまでの作り込みや、ギャラの配分(いわゆるワリ)をめぐってメンバーと衝突することも少なくなかったが、新生ドリフを立ち上げて以降は、そうした厳しさを含めた采配ぶりによって、メンバーを見事にまとめ上げた。 1987年のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』の出演をきっかけに本格的な俳優としての活動を始め、日本テレビ系『取調室シリーズ』やフジテレビ系『踊る大捜査線』などでシリアスな演技を見せた。 2004年3月20日15時30分、原発不明頚部リンパ節癌のため死去。
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いかりや長介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:48 UTC 版)
いかりや長介に弟子入りする際に『芸能人名鑑に記載されていたいかりやの自宅住所を見て自ら押しかける』という手段を取った。 一時期(1985年から1998年頃)は確執もあった。当時の『全員集合』でもいかりやと絡むコントは減り、『ドリフ大爆笑』ではリハーサルや撮影が別々に行われた。 しかし後年はお互いの才能について認め合う発言をしている。 いかりやは著書で当時を振りかえって志村を認める発言をしている。 志村をリーダーに第2のドリフを作って欲しいと思っている — いかりや長介、『だめだこりゃ』新潮文庫 2003.6.1 音楽に関しては、二流か四流の集まりで、笑いに関しては素人の集まりでしかなかったドリフだったが、今思えば、この志村だけが、本格的なコメディアンの才能をそなえていたのかもしれない。 — いかりや長介、『だめだこりゃ』新潮文庫 2003.6.1 志村もいかりやの死後「自分の師匠として間違いはなかった」と述べている。 また、いかりやの息子である碇矢浩一も自身の著書の中で「自分の見た限りでは特に不仲を感じることはなかった」「父さんは『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を見ては『こういう方法があるのか』と関心を示していた」と述べている。また、いかりやは亡くなる数ヶ月前に書き記したノートに志村と加藤への賛辞の言葉を残していたことを浩一が明かした。 幾度も打ち合わせやリハーサルを繰り返して、予め練りに練ったシナリオをこなしていく「予定調和のお笑い」を良しとしていたいかりやに対して、志村は適宜アドリブや楽屋オチを入れ、時には「ボケ」と「ツッコミ」が目まぐるしく逆転する「予測出来ないハプニングを含めたお笑い」を志向し、スタジオコントでは画像処理やCG合成など最新の手法も積極的に取り入れていたという、お互いの「笑いのスタイル」に対する考え方のズレが現れていた。この兆候は『全員集合』時代後期から表れており、志村のいわゆる「客いじり」のアドリブが、当時番組内ではTBSの制作陣よりも発言力のあったとされるいかりやが組立てたコントのタイムテーブルを崩し、生放送の中では後半の時間が詰まる原因になった。時には、いかりやがそれに便乗することもあった。
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