T-23 (戦車) T-23 (戦車)の概要

T-23 (戦車)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 13:58 UTC 版)

T-23豆戦車
種類 豆戦車
原開発国  ソビエト連邦
運用史
配備先 ソビエト連邦
開発史
開発者 セミョーン・アレクサンドロヴィッチ・ギンツブルク
製造期間 1930年
製造数 5輛
諸元
重量 3.18 t
全長 3.30 m
全幅 1.62 m
全高 1.85 m
要員数 2名

装甲 6-10 mm
主兵装 7.62 mm DT機銃×1
エンジン ミクーリン 空冷直列4気筒ガソリンエンジン 60 hp
出力重量比 18.9 hp/t
行動距離 190 km
速度 35 km/h
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概要

1929年世界恐慌が起こり世界中で戦車製造が一時的に下火になる中、その影響の弱かったソ連では各種の戦車開発が続けられていた。この時期のソ連の戦車開発は黎明期にあり、T-23はその中では比較的後から製造が始まった。

T-21の開発と並行して、T-22とT-23の競作が行われ、T-23が選ばれた。両車の違いは、乗員の配置方法と、エンジンの種類であった。

開発の系統としては、T-23はT-18の系列に属し、MS-3軽戦車から発展したものである。砲塔を撤去して(「T-23には砲塔ありバーションと砲塔無しバージョンがある」という説もある)固定式の戦闘室を設けた。車体重量は3.5 t程度に減少した[1]

側面写真

車体はフレームに装甲板をリベットで接合している。装甲厚は、前面と側面が10 mmであった。その他は6 ㎜であった。

T-23は、操縦手は車体左側前方、車長兼機銃手は車体右側後方に、前後にずれて左右に配置されている。車内容積を確保するために、戦闘室(車体後部)の右側面は右フェンダー上に張り出している。車体左側前部の操縦手席の前にはバイザーを兼ねた乗降用扉がある。武装は車体前面右側の7.62 mm DT機銃 1挺のみである。

本車は、これまでの戦車とは一線を画する為に、ホイールに改良を加えられた。車体長も元の仕様から約30 cm増加している。

当初は、T-18と同じ35馬力のエンジンを採用する予定であったが、40 km/hの目標を達成するために、T-20(T-18 改良型)の60馬力エンジンを流用している。T-18の系列であるから、従来通り、エンジンは車体最後部に横置き配置、起動輪は後方の、リアエンジン・リアドライブ方式である。車体後部には尾体(尾橇)が付いている。

その結果当時としては快速な35 km/hという速度を出すに至るものの、T-18以下の装甲であり、攻撃力もそれ以下でありながら、T-18よりも遙かにコストの高い車両になってしまった。その為、1930年に開発が完了したばかりにもかかわらず、ただちに生産は打ち切られた。

参考文献

  • ピーター・チェンバレン クリス・エリス『世界の戦車 1915~1945』大日本絵画、1996年。ISBN 4-499-22616-3
  • М.Свирин,А.Бескурников. «Первые советские танки». Армада № 1 1995г

  1. ^ ピーター・チェンバレン『世界の戦車』321頁


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