PC/AT互換機 日本における普及

PC/AT互換機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/19 04:46 UTC 版)

日本における普及

各社独自仕様による日本語化

日本では日本語表示が必要なため、日本IBMはIBM PCシリーズ(IBM PC、IBM PC XT、IBM PC AT等)や、その後のATバスモデル(PS/2下位モデル、PS/1等)を一般販売せず、日本IBMを含めた主要各社は日本語表示のために日本独自仕様PCを開発し発売した。16ビット以降の主なものには以下がある。

日本の主なPC(1981年 IBM PC登場後 ~ 1990年 DOS/V登場迄、16ビット以降)
登場年 メーカー シリーズ ベース 拡張スロット 英語モード(主な解像度) 日本語モード(主な解像度) 備考
1982 NEC PC-9800 - 独自(Cバス) - 独自(640 x 400) 互換機EPSON PCシリーズあり。後のPC98-NX以降はPC/AT互換機。
1983 日本IBM 5550 - 独自 - 独自(1024 x 768) 主に法人向け、後継はPS/55
1984 日本IBM JX IBM PCjr 独自 CGA(640 x 200) 独自(ECGA 640 x 200) 後のPS/55note・5510-Z・PS/V以降はPC/AT互換機
富士通 FM-16β/FMR - 独自 - 独自(640 x 400) 後のFMV以降はPC/AT互換機。
1985 東芝 J3100/ダイナブック XT互換機 (XTバス) CGA(640 x 200) 独自(DCGA 640 x 400) 後のダイナブックはPC/AT互換機
1987 シャープ X68000 - 独自 - 独自(768 x 512) 個人向け
日本IBM PS/55 PS/2 MCA VGA(640 x 480) 独自(5550互換 1024 x 768) 主に法人向け、後にDOS/VやXGAもサポート
1988 AX協議会各社 AX AT互換機 ISA EGA(640 x 350) 独自(JEGA 640 x 400) 主に法人向け
1989 富士通 FM TOWNS - 独自 - 独自(640 x 480) 個人向け
1990 日本IBM 5535-S AT互換機 (MCA) VGA(640 x 480) VGA(640 x 480) 法人向けラップトップ。日本語表示をソフトウェア(DOS/V)のみで実現。

日本独自仕様PCでも、内部的にはIBM PCベースのもの(IBM純正を含め、IBM PCとソフトウェア互換を持つ広義のIBM PC互換機)には以下があった。

  • JX - IBM PCjrをベースに独自の日本語化(日本語16ドットフォント)を行い、個人向けに発売された。拡張スロットは独自だが、標準の「日本語DOS」の他にオプションの英語版PC DOSを起動すればIBM PC用ソフトウェアも稼働した。日本で公式発売された最初のIBM PC互換機だが、普及しなった。
  • ダイナブック - IBM PC XTのCGAベースのノート型PC。後にはIBM PC AT (VGA)ベースとなった。ノートPC市場で普及した。
  • PS/55 - PS/2(MCAモデル)をベースに、5550互換の独自の日本語化(MCAアダプタの形で日本語ディスプレイアダプタ搭載、日本語24ドットフォント)を行った。英語版PC DOSを起動すればIBM PC用ソフトウェアも稼働した。後にXGA搭載モデルも登場した。後の個人用モデル(PS/55Z 5530-Z、5530-S)は広くは普及しなかった。
  • AX - IBM PC AT(EGA)をベースに独自の日本語化(JEGA)を行った。拡張スロットはISA。各社分業の影響で高価格となり広くは普及しなかった。
  • 5535-S - PS/55シリーズの法人向けラップトップだが、VGAのグラフィックモードを使用して、ソフトウェア(DOS/V)のみで日本語表示(当時は日本語16ドットフォント)を実現した。このため日本語専用ハードウェアはキーボード程度となった。

各社は日本語表示の性能や品質を求めて、漢字ROM搭載や、同時期のIBM PC等と比較して高い解像度などを実装した。その際に後発のIBM JX、ダイナブック、PS/55(MCAモデル)、AX等は、IBM PC系が拡張カードなどで画面拡張が可能な基本設計である事を活用し、英語モードに独自の日本語モードを追加する形で日本語化を行った。しかし各社の日本語化は各社独自規格で、各日本語モード間では原則として互換性は無かった。ただしベースがIBM PC系は、英語モードで起動すればIBM PC用ソフトウェアが稼働するなど、ソフトウェアから見れば広義にはIBM PC互換機であった(英語モードを公式サポートしたかはモデルにもよる)。

このため、世界市場ではIBM PC XT、IBM PC ATをベースとした各社の互換機が発達して表示規格もVGAや更に各種のスーパーVGAが普及するなどハードウェアおよびソフトウェアの互換市場が形成されて低価格化が進展したが、日本では世界市場と日本国内では大多数のハードウェアやソフトウェアの互換性も低く、PC-9800がデファクト・スタンダードとなって「ガリバー」と呼ばれ、硬直的な価格設定が続き、大多数のアプリケーションソフトウェアの画面解像度は横640ビット・縦400ビット(テキストモードは16ドット日本語フォントで80文字・25行)であった。

DOS/Vの登場による「開国」

日本でのIBM PC/AT互換機の本格的な普及は、1990年DOS/V登場による。日本IBMはVGA搭載のPS/55ラップトップモデル(5535-S)用のオペレーティングシステムとして登場したが、このDOS/VがIBM PC/ATベースのノート型モデル(PS/55note 5523-S)にも搭載されると、PC/AT互換機でもソフトウェアのみで日本語化が実現できる事が当時のパソコン通信等のネットワーカー達により話題となり、多数の互換機での稼働報告や、価格性能比に優れた台湾製80486搭載パーソナルコンピュータの個人輸入などが拡大した。

日本IBMはDOS/V普及のためにOADGを組織し、日本語キーボードの標準化、開発者向けリファレンスガイド発行、ユーザー向けソフトウェアカタログ発行などの活動を行った。また1991年5月にPS/55ZエントリーモデルとしてATバス搭載のデスクトップ(5510-Z)を日本で初めて発売した[4]が、当時このモデルは「IBMが発売したPC/AT互換機」として各社の稼働検証用にも使用された。更にIBM DOS/V(後のPC DOS/V)を他社に提供する他、当時のOS共同開発契約に基づきDOS/Vの日本語化部分をマイクロソフトに提供し、マイクロソフトからもマイクロソフト版のDOS/V(MS-DOS/V)を各社に提供した。富士通、東芝、AX参加各社もOADGに参加し、AX協議会は発展的に解消した。またコンパック等も日本市場に参入した。なお、当時日本では「PC」とはPC-9800シリーズを指すことがほとんどだったこと、日本IBMにはPS/55など別の日本語化規格のPCも併存していたこと、当時のPC/AT互換機は既に80386や80486、VGAやSVGAなどオリジナルのIBM PC/AT(80286、EGA)より拡張されていたことなどもあり、日本では「IBM PC互換機」「PC/AT互換機」よりも、「DOS/V機」「DOS/Vパソコン」などの呼称が普及した。

当時はWindows 3.0の時代で、アプリケーションも少なかったが、その間、ネットワーカーたちによって環境の整備やノウハウの蓄積が行なわれた。例えば、DOSの日本語拡張表示機能であるV-Textは、西川和久やLeptonらネットワーカーたちによって考案され、IBM公認の仕様となり、当時のDOS/Vブームを支えた。ブームに伴い、日本語変換入力ソフト、各著名アプリケーションがDOS/Vパソコンに移植されていった。

日本でも標準機の地位を確立へ

リリースが大幅に遅れた日本語版Windows 3.1は、1993年に発売されるとブームになり、パーソナルコンピューターを急速に普及させた。Windowsはパソコンのアーキテクチャの違いを埋め、異なるアーキテクチャのパソコン同士であっても、同一のパソコン操作環境を提供した。その過程で、安価で高性能、かつ内外多数のメーカーから機種を選択できるということで、PC/AT互換機は日本でも一般層に徐々に浸透していった。そして、日本での標準機であったPC-9801 シリーズを供給していたNECは、PC-9800シリーズアーキテクチャーの維持が価格競争上困難であると判断し、その供給を終了することになる。

世界標準のPC/AT互換機がそのまま日本語環境で使える事になったため、コモディティ化を招くことになった。海外、特にコスト面で競争力が強かった台湾製のPC/AT互換機が大量に流入するに至って、日本メーカーはNEC他、細々と独自のものを維持していたメーカーも、そのアーキテクチャーを放棄した。加えて、ほぼNECの寡占状態であったパーソナルコンピューター市場は、広く日本の他のメーカーにも開かれた形になり、それらのメーカーはPC/AT互換のプラットフォームの上で独自性を持たせる製品開発の方向へと進んだ。以後は、多くの日本メーカーも中国や台湾などのメーカーからOEM供給を受けてパーソナルコンピューターを販売するようになった。


注釈

  1. ^ ただし、OSのサポートに依存する。また、OS自体が、おおまかに言って特定の年代のハードウェアでしか動作せず(OSの動作要件で示される)、またOSのソフトウェアとしてのサポートも年限が限定されている。
  2. ^ IA-32、いわゆる32ビットOSでは容量の壁により4GB以上のメインメモリにプロセスはアクセスできない。実質的には3.25GB程度が利用可能メモリの上限となる。
  3. ^ まれに、USB I/F接続により内蔵する場合あり

出典

  1. ^ The birth of the IBM PC - IBM
  2. ^ The PC - Personal Computing Comes of Age - IBM
  3. ^ UEFI Today: Bootstrapping the Continuum, Intel Press, http://www.intel.com/technology/itj/2011/v15i1/index.htm 
  4. ^ 20万円を切った低価格DOS/V専用パソコン登場 - 日本IBM
  5. ^ HGST、世界初となる容量10TBの3.5インチHDD「10TB SMR HelioSeal HDD」発表 - エルミタージュ秋葉原”. 2021年3月閲覧。
  6. ^ Appleのみ


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