DRAGON GATE
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 08:39 UTC 版)
概要
闘龍門JAPAN
1999年1月、ウルティモ・ドラゴンがメキシコに創設したプロレスラー養成学校闘龍門(とうりゅうもん)が、親交のあった格闘技塾 武輝道場を吸収合併して兵庫県神戸市に闘龍門JAPAN(とうりゅうもんジャパン)を設立。1月31日、後楽園ホールで旗揚げ戦を開催。
DRAGONGATE
2004年7月4日、神戸ワールド記念ホールで開催された旗揚げ5周年記念大会を機に闘龍門JAPANが闘龍門から独立することを発表[2]。 7月5日、団体名をDRAGONGATE(ドラゴンゲート)に改称。
日本の緩急性や自己表現能力、アメリカのエンターテイメント性、メキシコのスピード感をミックスした技巧なレスリングを展開している。
闘龍門JAPANから一貫して黒をイメージカラーとしている。リングのマットカラーは通常は黒で、一部の大規模な興行では白を使用している。通常興行では長い間白のマットカラーだったが、2016年10月から黒のマットカラーに戻された。
2018年5月7日、DRAGONGATEの運営会社が株式会社ドラゴンゲートから株式会社ドラゴンゲートエンターテイメントに移行することを発表[3]。株式会社ドラゴンゲートエンターテイメントの代表に木戸亨が就任。株式会社ドラゴンゲートは代表の岡村隆志が病気療養のため、退任してCIMAが代表に就任。株式会社ドラゴンゲートエンターテイメントは日本事業、株式会社ドラゴンゲートは海外事業を展開していくことを発表。また、新体制となってからは観客動員数を実数で発表していることを木戸社長が明言している。
2019年9月29日、ウルティモが最高顧問という形で闘龍門JAPAN時代以来15年ぶりに復帰。12月4日、来年からロゴマークを中井義則が手掛けたデザインに変更することを発表。12月27日、琉球ドラゴンプロレスリングとの業務提携を発表。2020年2月10日、社名をDRAGONGATE株式会社に変更することを発表。
固有名詞の分類
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