5五の龍 戦法

5五の龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/25 08:57 UTC 版)

戦法

5五龍中飛車

△羽生 なし
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急戦型の中飛車戦法で、天王山ともいわれる5五の位をとり、9七角から中央を突破する戦法。相手が5四歩と指し先手に5五の位を取らせない手を指した場合に7六歩から角を使う変化や、香落ち用の変化もある。対居飛車用の戦法のため、後手番では指しにくいと竜は語っている。

△後手 なし
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プロの実戦としてはかつて『将棋世界』1983年6月号で「定跡実験室」のシリーズ企画で永作芳也(先手、居飛車側)対伊藤果(後手、中飛車側)が、居飛車側が有利な局面として指させている。中飛車側の伊藤は事前の検討では辛い戦型なので飛車を2二飛の位置に振り直しして指そうとしていたが、対局直前に△3四歩-△1二香の組み合わせを思いつき、そのまま中飛車で指し続けた(最終的な結果は先手居飛車側勝利)。第1図から、△6二玉▲5八金△7二玉▲1六歩△1二香▲5七銀△3四歩▲6八玉△2二角▲7八玉と進んだ。

また平成8年に、王位戦七番勝負の第1局、深浦康市羽生善治戦で先手深浦が指した例があるが、羽生の勝利に終わった。その一戦は第2図から△5四同歩▲同飛△4三銀▲5六飛△4五歩▲9五歩△4二金▲6八銀と進んだ。

以降、「イメージと読みの将棋観2」(2010、日本将棋連盟)など、プロ棋士が検討を行ったこともある。大半が「しっかり相手に受けられると勝てない」「駒組がちょっと単純すぎる」「9七角と上がると角が活用できない」という、消極的な評価であった。但し羽生善治や谷川浩司らは後手△8五歩には▲7六歩として、以下△8六歩であれば▲同歩△同飛に▲5四歩で、△同歩▲2二角成から▲7七角を狙う将棋となっているということで、「今となっては普通の将棋」としている。他方で羽生や佐藤康光らは▲9七角と端角にするのはやはり若干不利としており、佐藤や森内俊之らは△8五歩に▲5六飛と指して、左の銀を使うイメージであれば中飛車勝率も5割はあるとしている。そして谷川は後手居飛車側は△8六歩▲9七角と決める方が後手が玉を囲いにくいので△6四歩から△6三銀と手堅く指すことを示唆している。

なお、漫画内で解明された後手の作戦が奨励会でコピーで配布される指し方は△5二金右-4二銀-4四歩-4三銀と中央を厚くするものであった。

中公文庫コミックス版の羽生善治の寄稿文によると、彼も奨励会時代に指してみたことがあるという。

なお、なぜ「5五中飛車」と名前に「龍」がつくのかは作中で説明されていない。単に語呂が良いからかもしれないが、一部には「端角中飛車」にすべきとの声もある。

「端角中飛車」については、『奇襲大全[32]などに棋譜や解説があるが、広島のアマ棋士・松田竹二郎がこども将棋教室用に独自に開発した戦法だとされており、手順も大幅に異なる上、つのだの名前も出てこない。

飛騨の中飛車・合掌造り

「飛騨白川郷合掌造りの家」を模した駒組み。図は5筋位取り中飛車#飛騨の合掌造りを参照。5五の位を保持し、玉を右側に囲って飛車は向かい飛車の形に配置する。5五の地点を頂点とした、見事な大三角形の陣形になっている。遊び駒がなく、全ての駒が関連しヒモついた理想形の一つ。(ただし厳密にいえば、これは中飛車ではない。)


  1. ^ 連載当時五冠王時代の最盛期だった
  2. ^ もちろん実際に棋譜を並べれば、より本作の面白さを実感できる。
  3. ^ また飛車落ち定跡については、つのだじろう独自の研究も紹介している。
  4. ^ これは主人公の竜だけでなく、将棋の初心者全般の傾向でもある。
  5. ^ 実際その対局も1日では終わらず、日をまたいで勝負は続いている。
  6. ^ 宗桂寺の名称は、安土桃山時代の将棋初代名人大橋宗桂より。
  7. ^ これは虎斑の厚意ではなかった。彼は勝負が優勢であるのを見越して、実力が劣る中学生の竜に難なく勝つつもりであった。わざと際どく指して竜の再挑戦を誘い、竜馬にかわって今度は竜に「おとくいさん」(カモ)になってもらう算段であった。
  8. ^ 奨励会の最下部は7級であり、それでも勝てないと強制的に退会となる。
  9. ^ 将棋盤の中央を指す。
  10. ^ 事態の解決策として将棋大天狗は、特殊ルールの将棋「八方桂」「反射角」「獅子王」を二人に提案する。この勝負でも梅木は1勝1敗、3局目も明らかに優勢だった。しかし将棋大天狗の真意を理解し、最後は竜に勝ちを譲った。
  11. ^ その棋譜ファイルを後日読んだ駒形竜馬いわく、「変幻自在、まさに中飛車の鬼」
  12. ^ 飛田と竜の話を聞いた芦川は、噂をうのみにした自分を反省。稽古将棋ではなく真剣勝負として、改めて公開対局を申し込む。さらに「居飛車で対応する。」と戦型の限定も予告し、その場で竜の破門も取り消した。
  13. ^ この飛田vs芦川八段の戦いは、大内延介八段(連載当時)および田中寅彦四段(連載当時)の協力のもと、作中に第一手目から投了までの全棋譜が掲載されている。数ある「5五の龍」の将棋の対局の中で、もっともページ数を費やした名勝負であった。
  14. ^ 初対面の穴熊に「ゲタか将棋の駒みたいな顔した」と言われていた。
  15. ^ 関西の将棋界の隠語で「くすぶり」と言う。
  16. ^ 中学卒業までに奨励会の二級を突破すること。二級はプロ棋士(四段)に至るまでの中間地点に相当。
  17. ^ 林葉直子、1979年度入会
  18. ^ この話はフィクション化されてはいるが、奨励会で実際にあった有名な実話がモデルとなっている。
  19. ^ 駒落ち定跡の一つ
  20. ^ 架空のタイトル棋戦
  21. ^ 現在の順位戦B1組
  22. ^ 自殺騒動、と金道場の紹介、飛騨の中飛車の一件など
  23. ^ 名前の由来は早石田戦法より
  24. ^ 並八(なみはち)とは、並みの八段のこと。
  25. ^ 虎斑の名前は、将棋に使われる駒の木に出る模様に由来している。
  26. ^ 初期のヒットコミックスの単行本では「かおる」となっていた。
  27. ^ つまり、虎斑桂の妹弟子にあたる
  28. ^ 「私は思い焦がれています」と書くつもりが「私はおいもを焦がしています」と書いてしまった
  29. ^ 奨励会隠語で「簡単に勝ち星が取れる弱い奴」
  30. ^ 連載当時
  31. ^ 直前の保有タイトルは棋王のみ
  32. ^ 『奇襲大全』 湯川博士・著 森雞二・監修 毎日コミュニケーションズ ISBN 4-89563-536-8
  33. ^ これはつのだが勝手に命名した戦法名で、現実には「カニカニ銀」の名が定着している
  34. ^ つのだ曰く「連盟の意向による。全部知ろうなんてムシが良すぎるからネ!」
  35. ^ 一方で「5五の龍」を入門マンガとして登場させ水城もこれを読み基礎を覚えるため、メタフィクション的読み方もできる。
  36. ^ 銘は「五龍作 湖竜書」
  37. ^ 本人曰く「気が抜けた」
  38. ^ 前作に登場した端歩朝三の師匠と同一人物?
  39. ^ 竜がこの後聞いた「虎斑が柾目に変わった」という噂は、駒の材質に掛けている。
  40. ^ カラーイラストでは将棋駒の柄が施される
  41. ^ 胸のエンブレムに「龍学」
  42. ^ これは前作で高早高女子将棋部の訪問を受けた際の、竜の発想とも共通する。
  43. ^ 当時価格二、三十万
  44. ^ 四間飛車の基礎を伝授、中古パソコンを企業から都合、竜を飛騨から招聘など
  45. ^ 「香車」のチョッキも健在
  46. ^ 祖父は強すぎて手合い違い
  47. ^ 真野の急死により繰上1位
  48. ^ このため途中退会扱いとなり、通算3位で終了した水城が繰上げ昇級となった。
  49. ^ 水城は堂々と虹色四間で戦うつもりだったが萎縮してしまい、竜から借りた駒が光る手順を信じて追って行ったらこれになってしまった。桂は「ハメ手好きの竜の性格が駒に乗り移った」とからかい、竜は自嘲する。






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