4分33秒
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作品の経緯
発端
ケージの回想によれば、沈黙の曲の始まりは1940年かもしれないとされている[注釈 1]。当時のケージは雇用促進局の娯楽部門で働いており、サンフランシスコ病院に来る子供たちを楽しませる仕事をした。患者を邪魔しないために音を立てないという条件があり、これがアイデアの源になった。また、ハンス・リヒターの映画『金で買える夢』(1947年)で音楽を担当した時には、2小節の音楽のあとに2小節の沈黙が7回ある曲を作った[6]。
サイレント・プレイヤー
1948年にヴァッサー大学で行った講演『作曲家の告白』において、ケージはいくつかの新しい欲求を語り、その中に沈黙についての構想があった。それはさえぎられない沈黙の曲を書き、ミューザック社に売るというものだった。曲の長さは3分から4分半で、曲名は『サイレント・プレイヤー(Silent Prayer)』である[注釈 2][10][11]。ミューザック社は1934年設立で、企業にBGMを販売する事業を行っていた。3分から4分半という曲の長さは、ミューザック社も音楽配信に使用していたSPレコードの再生時間が約4分半であったことに由来し、音楽の長さが技術で規定されていることを皮肉ったものである。技術による管理を音楽に持ち込んだミューザック社に「さえぎられない沈黙」を売る、というのがケージのアイデアだった[12][注釈 3]。
無響室の体験
1951年のある日、ケージはハーバード大学の無響室を訪れた[注釈 4]。無音を聴こうとして無響室に入ったが、彼は二つの音を聴いた。一つは高く、一つは低かった。エンジニアにそのことを話すと、高いほうは神経系が働いている音で、低いほうは血液が流れている音だという答えだった。無音を体験しようとして入った場所でなお、音を聴いたことに「私が死ぬまで音があるだろう。それらの音は私の死後も続くだろう。だから音楽の将来を恐れる必要はない」と強い印象を受けた[16]。『サイレント・プレイヤー』で、さえぎられない沈黙を構想した時期とは異なり、完全な無音は不可能であるという認識を得た。ケージは以後、沈黙とは意図しない音が起きている状態であると定義する[3][17]。
偶然性の手法
ケージは1950年代から偶然性を作曲に取り入れるようになり、そのために『易経』をしばしば使った。ケージが音楽を教えた作曲家クリスチャン・ウォルフの両親は出版を仕事にしており、英訳した『易経』を渡されたのがきっかけだった[注釈 5]。ケージは『易の音楽』(1951年)や『ウィリアムズ・ミックス』(1951年-1953年)の作曲に『易経』を使い、偶然性の手法は『4分33秒』の作曲にも取り入れられることになる[注釈 6][4]。ケージはこの手法によって個人の好みや心理、芸術の伝統から自由になった音楽が可能であり、価値判断は作曲・演奏・聴取のいずれにおいても含まれなくなると考えた[注釈 7][22]。ケージは偶然性の手法をチャンス・オペレーションと名付け、非意図的なものの探究とも呼んだ。
コロンビア大学で1951年に演奏した『心象風景第4番』では、ラジオ12台を使った。受信する局、音量、流す長さは『易経』で偶然に決めたため、放送していない局につながる時も多く、しばしば無音だった。ケージは、沈黙は音と同じく音楽の一部であると語った[注釈 8][23]。
ケージはこの時期に作曲家・指揮者のピエール・ブーレーズと交流を始めた。1949年にパリでケージとブーレーズは会い、作曲における偶然性について意見を交わすようになり、特に1949年から1952年にかけて多数の書簡を交わした。美学的には異なる2人だが、周囲の音楽環境が旧来の価値観に支配されている中で、互いに刺激を与え合った[注釈 9][25][26]。また、ブーレーズの作品は、のちに『4分33秒』を初演するデイヴィッド・チューダーと出会うきっかけにもなった[27]。
演奏者との出会い
ピアニストのデイヴィッド・チューダーとの出会いは、ケージに大きな影響を与えた[注釈 10]。ケージは1949年にブーレーズから『ピアノ・ソナタ第2番』の楽譜を贈られ、その複雑さに驚いた。作曲家のモートン・フェルドマンは、ブーレーズのソナタを弾くにふさわしい人物としてチューダーをケージに紹介した。楽譜を託されたチューダーはその内容を理解するだけでなく、フランス語を学んで文献を読み、作曲当時のブーレーズに近づこうとした[注釈 11]。その結果、『ピアノ・ソナタ第2番』のアメリカ初演(1950年)は成功し、ケージはチューダーを高く評価した。自分たちのどんな作品もチューダーなら演奏できるとケージは考えた[注釈 12][27][29]。
視覚芸術の影響
本楽曲の別の影響源として、視覚芸術の分野も言及されている。ケージは友人の作曲家ルー・ハリソンの招きでブラック・マウンテン・カレッジを訪れ、画家のロバート・ラウシェンバーグと知り合った[注釈 13]。ラウシェンバーグは「ホワイト・ペインティング」のシリーズを制作しており、これはキャンバスに白いペンキだけを塗ったもので、照明や人物の影などによって変化するキャンバス表面の表情そのものを作品とした。ケージはラウシェンバーグについて、自分との共通点がありすぎて会った時からほとんど話す必要がないと感じ、ラウシェンバーグの作品を見てすぐに納得した。ケージはラウシェンバーグの絵を見て、自分がこれをやらなければならなかったと考えた。そこで無音を空白のキャンバスとして使い、毎回の演奏をとりまく環境音の流転をそこに反映させようとした[注釈 14]。ケージは1952年にブラック・マウンテン・カレッジでパフォーマンスを行い、ラウシェンバーグの白い絵を使った[注釈 15][34][11][32]。
注釈
- ^ ケージは作品のきっかけになるアイデアと発表の年月が離れることがあり、例えば『ミュージサーカス』(1967年)は1931年のセビリアの街角での体験をきっかけとしている[8]。
- ^ Silent Prayerは「黙祷」の意。アメリカの公立学校で一日の初めに設けられる祈りの時間もこの名で呼ばれる[9]。
- ^ ケージはこの後、1949年から1951年にかけて仏教学者・僧侶の鈴木大拙に師事した[13]。
- ^ 無響室に入った時期は1940年代末や1952年など、諸説ある[14]。ここでは著書『サイレンス』におけるケージ自身の主張に従った[15]。ケージは講演『私の人間形成について』では1940年代後半としている[14]。
- ^ クルト・ウォルフとヘレン・ウォルフはドイツからの亡命者で、パンテオン・ブックスの経営や、ボリンゲン・シリーズを手がけた。クルトは、フランツ・カフカの著作を初めて出版したり、ゲオルク・トラークルの生前唯一の詩集を出版した人物でもあった[18][19]。
- ^ 『易経』の前には、ケージは魔方陣を使っていた。数字の代わりに音や音の集合をマスに入れるという方法で、『プリペアード・ピアノのための協奏曲』や『16の踊り』はこうして作られた[20][19]。
- ^ 『易の音楽』、『心象風景第4番』、『ピアノのための音楽21-52』の作曲方法について、ケージはのちに著書『サイレンス』で解説した[21]。
- ^ 別のピアノ曲『待ちながら』(1952年)では、1分半の沈黙と20秒の沈黙を用いている[11]。
- ^ 1949年から1954年にかけての2人の書簡では、ケージの『プリペアド・ピアノと室内オーケストラのための協奏曲』におけるチャート、ブーレーズの『ポリフォニーX』の構造、ケージの『易経』のチャート、ブーレーズの『ストルクチュール』などが説明されている[24]。
- ^ ケージは、1952年以降の作品は、チューダーにとって素晴らしく見えるものを目指したと語っている[28]。
- ^ チューダーが読んだのは、ブーレーズの論考やアントナン・アルトーの『演劇とその分身』などだった[29]。
- ^ チューダーはピアニストとしての技巧に加えて、作曲家とのコラボレートにも優れ、自身も作曲家として活躍した。カールハインツ・シュトックハウゼンの『ピアノ曲第11番』では彼にアドバイスをしている[30]。
- ^ ケージは1930年代からブラック・マウンテン・カレッジに関心を持っており、1948年にダンサー・振付家のマース・カニンガムとブラック・マウンテン・カレッジで夏季講習を教えた。この時にバックミンスター・フラーと出会って意気投合している[31]。
- ^ ケージは同様に画家マーク・トービーの作品『ホワイト・ライティング』を支持した[32]。
- ^ このパフォーマンスは詩の朗読、ダンス、ピアノの演奏、映画の上映、スライドの投影、レコードの再生などを同時に行うもので、のちにアラン・カプローが創始したハプニングの先駆けとされる。ラウシェンバーグが作った絵が使われたほか、カニンガム、チューダー、詩人のメアリー・キャロライン・リチャーズとチャールズ・オルソンが参加した[33]。
- ^ チューダーはこの演奏会で『4分33秒』の他にも現代作曲家の作品を選び、クリスチャン・ウォルフ、モートン・フェルドマン、アール・ブラウン、ヘンリー・カウエル、そしてブーレーズのピアノ・ソナタ第1番を演奏した[40]。
- ^ ケージとブーレーズは、次第に関係が離れていった。ケージは偶然の手法を作曲から演奏法にも拡大し、のちにハプニングを呼ばれる方向へと進んでゆく。対してブーレーズはセリーの原理を拡大し、管理を強化していった[42]。
- ^ 当時の新聞に批判されたケージの作品には『4部の弦楽四重奏曲』、『心象風景第4番』、『易の音楽』などがあった[43]。
- ^ アパートのある地区は建物の管理が行き届いておらず、ケージは家主の名前をとって皮肉を込めて「ボッザの邸宅」と呼んだ。ケージが借りたのは6階のロフトで、壁を切り取って大きな窓を作るリノベーションをした。この改装はニュースになり、ファッション雑誌の『ヴォーグ』はケージの部屋をモデル撮影に使った[45]。
- ^ ケージはキノコ採取を楽しみ、1962年には活動停止状態だったニューヨーク菌類協会の再開に協力した[46]。
- ^ パイクはケージに敬意を持っていたが、1960年に美術家のマリー・バウアーマイスターがケルンで開催したイベントではケージのネクタイを切り刻むというハプニングを起こした。ケージはパイクを恐ろしいと感じたが、これがきっかけでパイクとの交流が始まる[49]。
- ^ 参加アーティストは、デイヴィッド・チューダー、クリスチャン・ウォルフ、アール・ブラウン、ロバート・アシュリー、ラリー・オースティン、ロバート・ブラック、ジャクソン・マックロウ、ジェームズ・テニー、クロノス・カルテット、小杉武久、メレディス・モンクなど[55]。
- ^ 『フォンタナ・ミックス』は不確定性の作曲をするための仕組みで、曲線が描かれた紙、点が書き込まれた透明板、2000個の正方形の格子を描いた透明板、直線が描かれた透明板で構成される。作曲では板を重ねてゆき、曲線、点、格子、直線の交点によって音のタイプ、長さ、音量などを決める。もともとは、磁気テープによる不確定性の音楽を作るためにケージが考案したものだった[57]。
- ^ 現代音楽をレパートリーとする打楽器グループアマディンダ・パーカッション・グループのアルバム。このグループは、ケージの打楽器作品を全て録音している[60]
- ^ フロラレーダ・サッキのアルバム[61]
- ^ サックス奏者のトビアス・リューガー、ライマー・フォルカー、ウルリヒ・クリーガーらのアルバム[62]
- ^ デッド・テリトリー(Dead Territory)による演奏(2015年)は、YouTubeでの配信開始1週間で11万回再生となった[63]
- ^ 神奈川フィルの名曲シリーズ第5回「アメリカ~新世界で生まれ育ち、移りゆく音楽達~」で演奏された。太田によれば、「ケージをやるのも面白い」という意見がきっかけであり、本当に採用されるとは思わなかったと語っている[65]。
- ^ 参加アーティストは、デペッシュ・モード、ニューオーダー、ライバッハ、ヤン・ティルセンなど[67]
- ^ ケージは1954年、北西ドイツ放送のスタジオで、『23分56.176秒』をチューダーと演奏し、「アメリカの新しいピアノ音楽」として放送された[71]。
- ^ 一柳は日本の放送や文字メディアでケージの紹介につとめ、コンサートやケージの楽譜の展覧会などを企画した。ケージはチューダーとの演奏の他に、高橋悠治と『冬の音楽』の録音をした。また、東京では鈴木大拙に会い、京都では龍安寺に滞在した[74]。
- ^ ケージは初期の作品から電子機器を導入していた。『心象風景第1番』(1939年)では可変速ターンテーブル、『クレド・イン・アス』(1942年)ではラジオとレコード、『フォンタナ・ミックス』(1958年)では磁気テープと再生機などを使っている[75]。
- ^ 1965年のブランダイス大学での演奏では、ケージはタイプライターで手紙を書きながら水を飲み、椅子をギシギシ鳴らした。喉などにつけられたマイクがそれらの音を増幅した[77]。
- ^ ケージは1965年から1966年にかけてマルセル・デュシャンからチェスを学び、チェスを電気機器とつないで駒の動きで音楽の組み合わせを決める『再会』(リユニオン)というパフォーマンスも行った[81]。
- ^ 意図的な音を重視する立場は、作曲家や演奏家に結びつけて作品を聴いたり論じたりする立場にもつながる[83]。
- ^ ニューハウスは、ニューヨークの地下鉄に騒音に似た電子音を発する音響装置を設置した。聴衆は特定の音に注目したり、焦点を変化させるなどのさまざまな聴き方によって、音の連なりを自ら作り出す[92]。
- ^ 後にバットは、この訴訟は宣伝のために仕組まれたもので、6桁の和解金はバットを訴えた側として取材対応を行った男がメディアの質問攻めに苦し紛れに言ったことだ、と明らかにした[94]。
- ^ 映像はライブストリーミング番組DOMMUNEのアーカイブの編集版である[96]。
- ^ このエッセイは、1962年にケージが来日した際に東野芳明の依頼で書き、美術雑誌『みづゑ』のデュシャン特集で掲載された[101]。
出典
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- ^ 『ケージ:プリミティブ/ある風景の中で/ルーム/変奏曲 I/ウェイティング/4分33秒/夢/トイピアノのための組曲(ハッピー・バースデイ・ジョン!)』
- ^ 『ジョン・ケージ・エディション 42 - サクソフォンのための作品集 3, 4』
- ^ デス・メタルバンドが4分33秒間、演奏をせずに沈黙した映像が1週間で11万再生を記録!前衛音楽ジョン・ケージ「4分33秒」のカバー曲映像が話題に(DI:GA online)
- ^ John Cage Live at the Barbican(BBC)
- ^ 神奈川フィル×太田弦(指揮)~ひびクラinterview<1>(ひびクラシック)
- ^ 安部美香子「初体験の「4分33秒」 世界の音に、ただ耳傾けて」『朝日新聞夕刊』、2019年5月9日、3面。
- ^ a b MUTE 設立40周年企画、ジョン・ケージの歴史的作品「4分33秒」を独自解釈した全58曲収録の『STUMM433』を 10/4 発売!
- ^ ジョン・ケージ「4分33秒」トリビュート盤発売が決定(虚構新聞2015年10月14日)
- ^ 「ジョン・ケージ「4分33秒」トリビュート盤発売が決定」についてお詫び(虚構新聞2019年1月18日)
- ^ The 4'33” App Lets You Create Your Own Version of John Cage's Classic Work(Open Culture)
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