一ノ谷の戦い
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一ノ谷の戦い | |
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源平史蹟・戦の濱 (須磨浦公園) | |
戦争:治承・寿永の乱 | |
年月日:寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日) | |
場所:摂津国 福原・須磨 (現神戸市兵庫区・中央区・須磨区) | |
結果:源氏軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
源氏 | 平家 |
指導者・指揮官 | |
源範頼 源義経 多田行綱 |
平知盛 平忠度 平宗盛 平重衡 平教経 |
戦力 | |
数万騎 | 5〜7万 |
損害 | |
武将多数戦死 | 有力武将の死者多数で大損害 |
- ^ 青木康洋 (2015年8月31日). “なんだこれは!馬を背負った武士の銅像に隠された真実!”. だれかに話したくなる、歴史の裏側. Business Journal. 2023年11月26日閲覧。
- ^ ひよどり展望公園の辺り。
- ^ “Re:お答えします【ひょうごの謎スペシャル】 其の四 源義経の「逆落とし」場所は? - 兵庫 - 地域”. 朝日新聞デジタル (2016年1月6日). 2021年12月1日閲覧。
- ^ “義経「神戸源平物語」”. 2020年1月3日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 落合「一ノ谷合戦ー義経の坂落としは、一ノ谷か鵯越麓かー」『歴史と神戸』第134巻、1986年、ISSN 02887789。
- ^ “神戸市文書館 源平特集:一ノ谷の合戦”. 2020年1月3日閲覧。
- ^ “義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し”. 2020年1月3日閲覧。
- ^ “神戸市文書館 源平特集:一ノ谷合戦”. 2020年1月3日閲覧。
- ^ “家系研究協議会 平成17年度春の例会報告”. 2020年1月3日閲覧。
- ^ 元木『源義経』吉川弘文館、2007年。ISBN 9784642056236。
- ^ a b 菱沼『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』角川選書、2005年。ISBN 404703374X。
- ^ 『院政期武士社会と鎌倉幕府』吉川弘文館、2019年、157-191頁。ISBN 9784642029544。
- ^ 田畑「多田行綱と福原陥落」『歴史と神戸』333号、2019年、ISSN 02887789。
- ^ a b 田畑「『吾妻鏡』生田の森・一の谷合戦記事の再検討」『歴史と神戸』340号、2020年、ISSN 02887789。
- ^ 鈴木『平家物語の展開と中世社会』汲古書院、2006年。
- ^ 五味『増補 吾妻鏡の方法』吉川弘文館、2000年。ISBN 4642077715。
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