一ノ谷の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/30 03:09 UTC 版)
山の手攻撃の将
本項目の合戦経過には3,000騎を率いる義経(三草山の戦い後に7,000騎を土肥実平に与えて別行動を取らせている)が兵を分けて70騎を率いて一ノ谷の裏山に向かい逆落しの奇襲を行ったとしている。ところが逆落しを詳細に記述している『平家物語』では義経は兵を分けず3,000騎で鵯越から一の谷へ逆落しをかけている。一方、『吾妻鏡』では一の谷の裏山に回ったのは「勇士七十騎余」となっている。逆落しが本当にあったとすれば、この方が多少は現実的と考えられ、合戦関係本の多くがこの後者の数字を採っている。すると残る大部分の兵は誰かが率いたことになる。そして教経、盛俊が守る山の手(夢野口)を攻撃した。多くの合戦関係本でそのような経過になっており[要出典]、本項目でもそれに従っている。
『吾妻鏡』の戦果報告で範頼、義経と並んで安田義定の名が見える。この三人が合戦の各方面の大将を務めたと考えられる。義定は義経の搦手軍に属し、戦果報告で平経正、平師盛、平教経を討ち取っており、教経は山の手(夢野口)の将と考えられることから、一般に義定が山の手を攻めた大将と推定されることが多い。例えば、2005年の大河ドラマ『義経』でも、そのように描かれている(もちろん、ドラマなので考証性は問題にならないが、この説が一般に流布しているという傍証である)。
安田義定は甲斐源氏で平家打倒に挙兵し、富士川の戦いで大功を立てている。その後は源義仲に属して入京し、さらに義仲を見限って宇治川の戦いでは再び鎌倉方に属すなど独自の行動を取っている。甲斐源氏は源義家の弟源義光の系統で、挙兵以来、鎌倉方では非常に大きな戦力を有していたと考えられ、血統的にも頼朝に対抗しうる一族である。
一方で、『玉葉』では義経が一の谷を落とし、範頼が浜から福原に寄せ(生田口)、多田行綱が山の手(夢野口)を落としたとある。三方から攻めたことになり、その一手は安田義定ではなく多田行綱だった。ところが『吾妻鏡』の編成でも戦果報告でも多田行綱の名が見当たらない。
多田行綱は鹿ケ谷の陰謀で清盛に密告した人物として有名だが、摂津国多田源氏の棟梁である。多田源氏は京武士として活動し朝廷との関わりが強く、畿内では大きな力を持っていた。多田行綱も反平家に挙兵して、義仲が後白河法皇を攻撃した法住寺合戦では院方の主力として戦っている。
多田行綱が合戦のあった摂津国に地盤を有して兵力も多く、地理も熟知していた筈であることから、山の手を攻めたのは『玉葉』で明記されている通り、多田行綱であろうとする説もある。一ノ谷の戦いで最も活躍したのは地元の多田行綱であるという説まである(神戸市郷土史家・梅村伸雄[9])。
元木泰雄は、多田行綱の戦功が『吾妻鏡』にない理由は、平家滅亡後の文治元年(1185年)に行綱が頼朝の怒りを受けて所領を没収されたためであろうと述べている[10]。 なお、安田義定も後に頼朝によって所領を没収され死に追いやられている。
山の手を攻撃した将が安田義定か多田行綱かは本によって、まちまちであり、本によっては折衷案なのか安田義定と多田行綱の両人の名を併記していることもある。本項目でも便宜上、山の手攻撃の将として安田義定と多田行綱の二人の名を併記するが、二人が共同して山の手を攻めたという史料的な根拠がある訳ではない。安田義定が『吾妻鏡』の三人の大将の一人に挙げられ、山の手を守る教経を討っており、一方で多田行綱は『玉葉』で山の手を落としたと明記されており、二人がこの方面で将として戦っていたであろうからである。
- ^ 青木康洋 (2015年8月31日). “なんだこれは!馬を背負った武士の銅像に隠された真実!”. だれかに話したくなる、歴史の裏側. Business Journal. 2023年11月26日閲覧。
- ^ ひよどり展望公園の辺り。
- ^ “Re:お答えします【ひょうごの謎スペシャル】 其の四 源義経の「逆落とし」場所は? - 兵庫 - 地域”. 朝日新聞デジタル (2016年1月6日). 2021年12月1日閲覧。
- ^ “義経「神戸源平物語」”. 2020年1月3日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 落合「一ノ谷合戦ー義経の坂落としは、一ノ谷か鵯越麓かー」『歴史と神戸』第134巻、1986年、ISSN 02887789。
- ^ “神戸市文書館 源平特集:一ノ谷の合戦”. 2020年1月3日閲覧。
- ^ “義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し”. 2020年1月3日閲覧。
- ^ “神戸市文書館 源平特集:一ノ谷合戦”. 2020年1月3日閲覧。
- ^ “家系研究協議会 平成17年度春の例会報告”. 2020年1月3日閲覧。
- ^ 元木『源義経』吉川弘文館、2007年。ISBN 9784642056236。
- ^ a b 菱沼『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』角川選書、2005年。ISBN 404703374X。
- ^ 『院政期武士社会と鎌倉幕府』吉川弘文館、2019年、157-191頁。ISBN 9784642029544。
- ^ 田畑「多田行綱と福原陥落」『歴史と神戸』333号、2019年、ISSN 02887789。
- ^ a b 田畑「『吾妻鏡』生田の森・一の谷合戦記事の再検討」『歴史と神戸』340号、2020年、ISSN 02887789。
- ^ 鈴木『平家物語の展開と中世社会』汲古書院、2006年。
- ^ 五味『増補 吾妻鏡の方法』吉川弘文館、2000年。ISBN 4642077715。
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