龍宝寺 (台東区寿) 歴史

龍宝寺 (台東区寿)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:08 UTC 版)

歴史

1590年天正18年)、然蓬社本誉上人是応によって開山された。是応は観智国師慈昌の弟子であった。徳川家康江戸入府に同行し、八重洲に「是応庵」と称する草庵を結んだ。また是応は家康の側近となり、祈祷書記の業務に従事した。これらの功績により、1615年元和元年)に紫衣を賜る栄誉を受けた[1][2]

その後、1611年慶長16年)に現在地に移転した[1]

当寺には、1853年嘉永6年)に、大鯉を葬った「鯉塚」があることから、別名「鯉寺」とも呼ばれている[2]

交通アクセス

脚注

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参考文献

  • 東京市浅草区 編『浅草区誌 下巻』文会堂書店、1914年

  1. ^ a b 東京市浅草区 編『浅草区誌 下巻』文会堂書店、1914年、193-194p
  2. ^ a b 龍宝寺浄土宗「新纂浄土宗大辞典」


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