高梨乙松 高梨乙松の概要

高梨乙松

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 12:07 UTC 版)

高梨乙松

経歴

鳥取県西伯郡外江村(現在の境港市外江町)に生まれる[1][6]。万太郎の三男[5]1920年大正9年)に関西大学を卒業し、1921年(大正10年)に弁護士試験に合格[1][6]。弁護士事務所を開業した[6]。一般民刑事件の依頼に応じる[6]

1913年(大正2年)以来国民党の政策に共鳴し、旧党解散の後革新倶楽部となり、更に革新党となるのに伴って一貫して行動を共にする[6]。革新党大阪支部長として同党内に重きをなす[6]

司法省委員となる[2]。その他、榎本鋳造鉄工所監査役、巖谷機械工作所監査役などを務めた[5]

1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に非推薦で出馬し、当選を果たした。翼賛政治会に所属[2]1943年(昭和18年)7月6日に死去[2]

人物

1931年分家する[5]。趣味は歴史、文芸[5]江戸時代の文学、相撲[6]。宗教は禅宗[5]。思想は自由主義である[5]。大阪府在籍で、住所は大阪市北区中野町三丁目[5][6]

家族

高梨家

著書

  • 『法窓五月雨雑記』(大同書院、1934年)[7]

参考文献

  • 『鳥取県人物誌 御大典紀念』因伯社、1932年。
  • 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。

  1. ^ a b c 『衆議院要覧 昭和17年11月 乙』第一編 議員履歴(タ)124頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度七十年史 第11』289頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月8日閲覧。
  3. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、5頁。
  4. ^ 『官報』第4966号、昭和18年8月2日。
  5. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第14版 下』タ123頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月8日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 『鳥取県人物誌 御大典紀念』96頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
  7. ^ 『法窓五月雨雑記』(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。


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