高徳院
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境内
- 観月堂 - 建屋は朝鮮王宮にあったものを、1924年に山一合資会社(後の山一證券)社長だった杉野喜精が寄贈した[24]。内部には、江戸幕府2代将軍の徳川秀忠が所持していたとされる聖観音像を安置している。
- 与謝野晶子歌碑 - かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな の歌が刻まれている。なお、「釈迦牟尼」とあるが、鎌倉大仏は「阿弥陀如来」である。
交通
ギャラリー
脚注
参考文献
- 清水眞澄 『鎌倉大仏─東国文化の謎』(有隣新書13)、有隣堂、1979
- 『日本歴史地名大系 神奈川県の地名』(「高徳院」の項)、平凡社、1984
- 浅見龍介 「新仏都に出現した宋風の巨像」『国宝と歴史の旅7 鎌倉大仏と宋風の仏像』(朝日百科 日本の国宝 別冊7)所収、朝日新聞社、2000 ISBN 978-4-023-30907-4
- 松田史朗、青木繁夫 「材料から見た鎌倉大仏」『国宝と歴史の旅7 鎌倉大仏と宋風の仏像』(朝日百科 日本の国宝 別冊7)所収、朝日新聞社、2000
- 塩澤寛樹 『鎌倉大仏の謎』(歴史文化ライブラリー295)、吉川弘文館、2010 ISBN 978-4-642-05695-3
関連文献
- 「山之内庄長谷村大佛・獅子吼山」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之96村里部鎌倉郡巻之28、雄山閣、1932年8月、43-45頁。NDLJP:1179240/28。
関連項目
注釈
出典
- ^ “鎌倉大仏殿高徳院”. 鎌倉大仏殿高徳院. 2021年6月27日閲覧。
- ^ 鎌倉市教育委員会『鎌倉の指定・登録文化財目録』鎌倉市教育委員会、H.31年2月20日現在、43頁。
- ^ a b 『京都大辞典』(佐和 隆研/[ほか]編集 淡交社 1984年)
- ^ 村山修一『京都大仏御殿盛衰記』 法藏館、2003年
- ^ 高徳院公式HP
- ^ 薬師寺君子『写真・図解 日本の仏像 この一冊ですべてがわかる』西東社 2016年 p.170
- ^ 浅見(2000)、p.18
- ^ 『日本歴史地名大系 神奈川県の地名』の「高徳院」の項
- ^ 「鎌倉大仏殿跡」の史跡指定時の文化庁プレスリリース([1])、2010年3月6日閲覧。
- ^ “鎌倉大仏殿高徳院”. 鎌倉大仏殿高徳院. 2019年12月31日閲覧。
- ^ 鎌倉大仏の震災被害
- ^ 鎌倉大仏が一時拝観できなくなります
- ^ “鎌倉大仏:55年ぶり 保存修理工事準備が整う”. 毎日新聞. 2019年12月31日閲覧。
- ^ “鎌倉大仏:きょうから拝観再開 保存修理完了 /神奈川”. 毎日新聞. 2019年12月31日閲覧。
- ^ 国宝 鎌倉大仏由来記. 鎌倉大仏殿 高徳院
- ^ 浅見(2000)、p.25
- ^ 塩澤(2010)、p.68
- ^ “鎌倉の大仏様「素材は中国銭」別府大グループが解明” (Japan). 朝日新聞. (2008年6月21日)
- ^ 平尾 良光 (2008). “鎌倉大仏の素材は中国銭”. Isotope news (656): 122-27 2010年10月15日閲覧。.
- ^ 高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事委員会 『高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事報告書』、1961年
- ^ 半世紀ぶり大修理 鎌倉大仏 - 神奈川新聞広域17頁(2015年7月29日)
- ^ 鎌倉大仏高徳院公式ホームページ
- ^ 鎌倉大仏の胎内にガム100カ所超 半世紀ぶり大調査『産経新聞』朝刊2018年4月23日(社会面)。
- ^ 同院の観音堂説明板による。
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