陰陽博士 陰陽博士の概要

陰陽博士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/20 09:14 UTC 版)

日本書紀持統天皇6年(692年)の条が初出。ただし、定員については『続日本紀養老5年(721年)に大津首津守通の両名が陰陽博士として登場しており、実際には定員が複数だったとする見方もある。陰陽生10名を教育するのが役目であったが、天平2年(730年)に陰陽寮強化の一環としてうち3名を陰陽得業生として給費し、更にそこから後任の陰陽師・陰陽博士が選ばれた。後には博士に対して職田4町が与えられた。教科書としては、子部五行類の『新撰陰陽書』・『黄帝金匱経』・『五行大義』・『周易』・『難儀』などが用いられた。奈良時代から平安時代初期にかけては、大津氏・弓削氏・滋岳氏などが、平安中期には惟宗氏安倍氏賀茂氏などが世業としていたが、平安後期以後は安倍氏と賀茂氏による世襲となった。




「陰陽博士」の続きの解説一覧




陰陽博士と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「陰陽博士」の関連用語

陰陽博士のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



陰陽博士のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの陰陽博士 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS