金毘羅街道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 02:11 UTC 版)
多度津街道
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多度津港から善通寺、生野、大麻等を経て琴平に至る道。丸亀街道と同じく金毘羅船でやってくる参詣客が多く利用していたが、こちらは西国・九州からの参詣客が多かった。天保年間に多度津藩が多度津港の大改修をしてからは丸亀街道をも凌ぐ賑わいを見せたと伝わる。
多度津琴平間の道は明治時代に政治家・大久保諶之丞が四国新道を建設した。現在の香川県道25号や国道319号が流れを汲む。JR四国土讃線と並行している。
阿波街道
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徳島県から讃岐山脈を越えて琴平に至る道。琴平町内の阿波町の名称は阿波国からの多くの人がやってきたことに由来する。阿波国と讃岐国を結ぶ街道はいくつか存在しているが、阿波池田から猪ノ鼻峠、財田戸川、樅の木峠等を経て琴平に至る街道は阿波別街道ともいい、この街道は明治時代になってから大久保諶之丞により四国新道として整備され、後に国道32号に指定された。並行してJR四国土讃線が走っている。
阿波からの参詣客は金刀比羅宮とゆかりがあり金毘羅奥の院と呼ばれる箸蔵寺も併せて参詣することが多かった。金刀比羅宮と箸蔵寺の間を、財田から猪ノ鼻ではなく二軒茶屋経由で結んでいた街道は箸蔵街道と呼ばれている。車道としては整備されなかったが、往時の道はハイキングコース・四国のみちとして整備されている。
貞光から三頭峠を越え、久保谷、造田、四条等を経て琴平に至る阿波街道の大部分は後に国道438号に指定された。峠区間は自動車道路としては整備が遅れていたが、1997年にようやく三頭トンネルが開通し、自動車の行き来が容易になった。美馬市美馬町立見山では埋もれていた旧街道の鳥居が住民の手により活用されている[7]。
伊予・土佐街道
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愛媛県から燧灘沿いに豊浜へ、ここから内陸を進み伊予見峠を経て琴平の牛屋口に至る道。伊予からの参詣客のほか、土佐(北)街道を通ってやってきた土佐からの参詣客も多く利用していた。この街道沿いに残る灯籠などの寄進物は伊予・土佐の人々によるものが多い。幕末に土佐の志士もこの街道を利用していたため、牛屋口には坂本龍馬像も設置されている。またここから少し外れたところには金比羅大権現の歴代別当の墓がある広谷墓地がある。現在の国道377号はこの街道の流れを汲む道路である。
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石燈篭と坂本龍馬像(牛屋口)
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こんぴらちかく十四里 (新居浜市)
- ^ 「琴平街道」(国道32号高松まんのう区間・香川県道266号・香川県道282号前身、本路線)「丸亀街道」(国道11号高松丸亀区間・香川県道175号・香川県道33号前身)「志度街道」(国道11号高松白鳥区間・香川県道155号前身、白鳥から国道11号白鳥徳島区間および香川県道1号の前身である「高松徳島両藩間連絡街道となる阿波街道」に直通接続)「長尾街道」(さぬき東街道・香川県道10号前身)「仏生山街道」(国道193号高松塩江区間・香川県道166号・香川県道280号前身、仏生山から塩江温泉に至る「塩江街道」に接続)の五街道
- ^ パンフレット『金毘羅街道』(こんぴらさんへの道しるべ協議会・発行)参照
- ^ 「金毘羅往来」(国道30号の原型、本路線)「鴨方往来」(国道2号の原型)「松山往来」(国道180号の原型。途中山陽道と重複する)「倉敷往来」(岡山県道27号岡山吉井線の原型)「津山往来」(国道53号の原型)「牛窓往来」(岡山県道28号の原型)の6つ。
- ^ a b c d 金毘羅往来のまち、早島(早島町公式サイト)より。
- ^ 「吉備津彦神社と吉備津神社」を一社「由加神社本宮と蓮台寺」を一寺と数え、これに金毘羅宮が加わり三社になる
- ^ 隧道の横にある新道のトンネルとは異なる
- ^ 美馬町立見山地区 シンボルの鳥居復活 徳島新聞社2011年5月25日
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